見出し画像

【舞台】最貧前線

原作は宮崎駿。

1990年、プラモデルの専門誌であるモデルグラフィックス誌に不定期連載されていた『宮崎駿の雑想ノート』のうちの一作で、わずか5ページ短編です。

無論、宮崎駿とは、アニメ界の巨匠の宮崎です。アニメのイメージしか浮かばない人が多いと思いますが、こんな仕事もされていたのです。僕も今回、初めて知りましたが。

物語は、大東亜戦争末期、ほとんどの軍艦を沈められた日本海軍がアメリカ軍の動静を探るべく「漁船」を駆り出して海上で監視(見張り)をさせたという史実をネタにしています。

木造マグロカツオ漁船「吉兆丸」が特設監視艇となります。乗り込むのは、エリート軍人の艇長と砲術長、通信長、若い水兵2名の軍人5人と、元々の漁船の乗組員が、船長、魚労長、機関士、無線士、見習いの5人、計10名。このメンバーが一艘に乗り合わせ、アメリカ軍の監視をすべく航海に出ます。
当たり前ですが、まるで合理的な作戦ではありません。敵を見つけて本国に通報する時は、つまり敵に存在を見つけられることを意味します。当然攻撃されますし、漁船に積める大砲で対抗できるわけがありません。ほぼ、撃沈されるのは間違いない。1回、敵の攻撃を見つけるためだけの存在であり、その先に待っているのは死だけです。こんなアホな作戦はない。

その意味でこの舞台のテーマは「反戦」だと言っていいと思います。それは、ラストシーンで語られる一言でも明らかです。

ただ、それだけでもないと僕は思いました。

海軍軍人は、軍艦での実戦経験はあっても漁船の扱い方がわかるわけではありません。「船はこんなに揺れるのか」というセリフがありますが、偉そうにしていても扱うものが違えば、結局何も出来ない。鯨を潜水艦と見間違えたり、嵐の予兆を読み間違えたりします。それを救うのが現場経験豊富な漁師たちです。

そうして軍人たちが漁師たちに一目置くようになり、信頼関係も出来てきます。

軍人たちは「すべて」のことをちゃんとこなそうとします。そして現実は大したことが出来ません。経験がないから。対して漁師たちは、それぞれさまざまな欠点をもっていながら、自分のポジションについては本当のプロの仕事をして見せます。

ここにもう一つのテーマがあるように思いました。それぞれが自分の仕事を全うすることで、全体の調和が取れること。現場の経験に勝る知恵はないこと。そして上に立つエリートが現場の英知を尊重すること。いまの日本(過去もそうでしたけど)に足りないことが実は描かれていると僕は感じていました。

小説や映画と同様、舞台から何を読み取るかは人それぞれですから、見た人がどう感じるか、各人が自分なりの解釈をすればいいと思います。僕は、ビジネスの世界から、日本社会の風潮から、今夏ことを感じ取ったということです。

本作品の脚本は、水戸芸術館ACM劇場 芸術監督である井上桂さんです。水戸芸術館開館30周年記念事業として企画されました。だから水戸まで観に行きました。僕の高校時代より明らかに衰退した水戸の街に、新しい風を吹かせるとしたら、キーになるのは芸術館のような気がしています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?