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「こどもの誕生日を祝う」について思うこと

バースデープランナー/カラーコーディネーターとして主に子どもの誕生日をメインとして誕生日祝いや季節のイベントの装飾やスタイリング活動をしています。他には店舗の装飾、パーティテーブルスタイリングなども行います。

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ご家庭でのお誕生日祝いについての話です。

(プロの方がされることはまた別の話)


携帯で手軽にきれいな写真を撮れる時代と、その写真を投稿できるSNSが一般化したことが重なり、誕生日の写真をよりおしゃれに、かわいく、撮るという人が格段に増えました。企業や個人事業主もそれに着目し、様々な飾りつけアイテムやパーティスタイリングを提案し、消費者が気軽に手に入れられ、実現できる日常になりました。

でも、そんなこどもの誕生日のお祝い風景をSNSへ投稿すること、飾り付けることが、親の作品発表会のようになっているような気がしています。どんどん盛り上がることが、誕生日のスタンダードのようになって、もちろん良いことも楽しいことがたくさんあるけれど、それに息切れを起こすことがあったら辛いなぁと。

SNSが無かったらここまでしているだろうか…

自分の幼少の頃はこんな飾りつけをおしゃれにして撮るなんてなかったなー(折り紙でつくるワッカくらいはあったかな)と。

誕生日を祝うことへの私の考えをまとめておきたいとおもいます。

おしゃれな飾りつけや写真スタジオ並みにおしゃれに撮るなんてほんとここ数年の話で、同年代(80年代生まれ)の結婚式のプロフィールムービーとか見てもおしゃれな飾りつけやテーブルスタイリングで撮った幼少期の誕生日写真なんて出てこない。これには間違いなく携帯で手軽にきれいな写真を残せるようになったことと、SNS の一般化が大きいなと思います。

だいたいそこ(おしゃれな写真)に出てくるフレーズとしては「将来子どもが写真を見た時に、こんなに祝ってもらったんだ、こんなに自分は愛されているんだと思ってもらえたらいいなと思う」みたいなもの。

それは間違いなくそうだと思います。

わが子はかけがいのない存在でかわいいし、大切。

だけどたぶん、その思いはおしゃれじゃなくても飾らなくても

こどもに伝わる。

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これは我が家の私の幼少期の誕生日のお祝いの写真。

ポテトサラダがあって、海苔巻があって、お吸い物があってケーキがあってすごく雑多な感じだけど、父がケーキの箱の裏だか、カレンダーの裏だかにマジックで『誕生日おめでとう』と書いてくれて、写真に入っている風景。

フォトジェニックには程遠いけど、私には写真を見ただけで愛情が伝わる。

こどもの誕生日をお祝いするのに正解も何もないし、パーティスタイリングをしている私が言うのもおかしな話なのだけど、おしゃれにする必要も、フォトジェニックにする必要も無くて、ただただ自分のできる範囲でこどもの誕生日を祝い、記録とキオクに残してあげればそれで十分なんだと思います。もっとそぎおとせば、生まれてきてくれたこと、存在していることそのものを喜ぶこと、それが誕生日の節目の「親の気持ち」であり、伝えるべきことだと感じています。もし、「こうしなきゃ、こうしてあげたいという気持ち」と、「でもできなかった」の間で悩む人がいたら無理しなくて大丈夫と伝えたいです。


か装飾するというのは、こどものためが1番なのだけど、特に誕生日の概念すらわからない年齢の誕生日祝いなどは主にお母さんへの(お父さんでもヨシ)ご褒美かなぁと思ったりします。

子育ての毎日は地味で、SNSに載せているようなフォトジェニックで詩的でキラっとしたものはほとんどないと思う。一瞬の切り取りを載せる場所だから、キラっと見えることもあるけれど、余裕もない人がほとんどじゃないかなと(最近はその雑多な感じが一番後々残る素晴らしい情景と感じている)私自身もこどもを寝かしつけるまでの毎日は時間との戦いで必死。


そんな中で、訪れるわが子のハレの日。

そんな日に、こどもがとびきりかわいくて楽しい空間で、過ごしてくれたら、写真に残せたら、一番うれしいのはそれを見たお母さんなんじゃないかなと思います。


誕生日の概念がわかり、自分の意志もはっきりしてくる年齢になったら子どもの意志を第一に、出来る限りのことでお祝いしてあげられたらいいなと思います。

こどもは心を結構見抜いてくる人達だけど、やっぱりビジュアルで伝えると、いつもとは違う空間で、飾りで、「今日は特別!」と理解しやすいと思うので。

もし、おしゃれに、かわいく残したいなと思っても、時間がなかったり考えられなかったり、限界を感じたら、そこでお手伝いできたらうれしいなと思っています。







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