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「を」を「で」に変えてみる

2020年12月13日のツイートから

「を」を「で」に変えてみる。ギターを弾く→ギターで弾く。絵を描く→絵で描く。ダンスを踊る→ダンスで踊る。すると、ギターで哀しみを弾く、絵で喜びを描く、ダンスで怒りを踊る、などとなるから、表現技術から表現対象に意識が向く。

大学で働いていると、学生たちの活動成果を発表する場に招かれる。大学祭や部活動の公式試合、文化系の公演など。つい最近も、吹奏楽団のコンサートや、芸術系学部の演劇の公演に行ってきた。

観てて、「上手いなぁ、上手くなったなぁ」という場合がほとんどだが、時々、「すごいなぁ!」ということも。演奏や演技の技術的な上手さ以上に、例えば、鳥肌が立つような時や、引き下がってしまいそうな迫力がある時は、「うまい」よりも「すごい」と感じる。

自分が中学生になった頃、ギターの練習を始めたが、最初はもちろん技術的な向上を目指していた。ある程度弾けるようになると、プロのプレイヤーの演奏を真似して、曲のコピーをたくさんやって、同じように弾けるまで頑張った。でも、自分で作詞作曲するようになると、詩やコード進行やリズムやメロディをゼロから生み出さなければならない。

コピーとの大きな違いは、オリジナルの場合、「表現対象」に意識が向かないと、何も生み出せないということだった。

ギターで何を表現したいのか。この問いは、他の表現活動にも当てはまる。絵を描く、ではなく、絵で何を現すのか。ダンスを踊る、ではなく、ダンスで何を訴えるのか。演劇で何を形にするのか。

技術は未熟なのに、パフォーマンスで感動するということもある。つたないスピーチなのに涙が流れたり、下手な似顔絵なのに、温かい気持ちになったり。表現技術よりもむしろ、表現対象に意識を持っていかれるのだろう。

「上手い」と「すごい」の違いの原因も、表現技術と表現対象の意識的な移行に関係があるのかもしれない。

https://twitter.com/H_Hatayama

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