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安定と変化を求める「飽きること」

2021年9月27日のツイートから

安定が続けば変化を求めるし、変化しすぎれば安定を求めるもの。でもその安定や変化を求める出所はひとつで、事象に揺れ動く人間の認識と思考。ブレないために学問がある。

大学院で「レトリック」を学んでいる頃、ある授業の教授が言った言葉。「人間はね、飽きるのよ(笑)」。

「飽きる」ということは、それに関心がなくなり、力が宿らなくなるということ。例えば、新しい車を買って、最初の頃は毎週のように洗車して、ワックスかけて。でも1年も経つと?あるいは、業務が新しいシステムにアップグレードされて、いろんな便利な機能に感謝するんだけど。1年後は?

「レトリック」とは、人々の心と行動に変化を引き起こす学術。対するは「グラマー(Grammar)」。ガンとして揺れ動くことのない法則や安定。先生曰く、「人間は飽きたら変化を求め、実際に変化すると、今度は安定を求めるもの」だと。つまり、「レトリックとグラマー」、「変化と安定」を行ったり来たりするんだと。

また、「変わらない方がいいもの」と「変わった方がいいもの」という捉え方もする。行きつけのラーメン屋では変わらぬ味を求めるが、ゲームではどんどん変わる状況を楽しむ。

変化と安定を行ったり来たりするのは人の気持ち。状況の認識と、それに対する思考。飽きやすいということは、ブレやすいということでもある。実際、仕事でも、むやみに新しいことを始めようとする人もいる。

飽きる人間の本質に対して、絶対的な判断基準を提供するのは学術。真理真実に近づくための継続的な努力。できるだけブレずに生きるための術(すべ)を求めて。

しかしある程度までは学術を高めることはできるものの、いかんせん、人間の認知や認識には限界があるので、その先は、この「飽きる」という本質との我慢くらべ。逆に、飽きるからこそ、心や体が新しい状況を求めて動くことにもなるので、社会で様々な生業(なりわい)が成り立つことも事実。

https://twitter.com/H_Hatayama

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