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2019年6月に読んだもののメモ、感想


河口和也,2007,『クイア・スタディーズ』岩波書店.

クィア理論の教科書。「思考のフロンティア」シリーズは、著者陣も豪華だし、文献紹介が充実していることと、Kindleで読めることがとても助かる。



長谷正人,2017,『ヴァナキュラー・モダニズムとしての映像文化』東京大学出版会.

ヴァナキュラー=土着的な、すなわち「他人から『格好悪い』と言われそうな卑俗な題材をわざわざ選ぼうとする欲望」、そして「日常生活の卑俗な文化のなかにこそ、私たちの退屈で閉塞的な現代社会を開放してくれる可能性が眠っているはずだ」(あとがき)という確信は、ポルノグラフィ研究をしている私には非常に共感できる。この欲望と確信こそが私の研究動機の根底にあるかもしれない。

第7章「ヴァナキュラー・イメージとメディア文化――シミュラークルとしての『ルー大柴』」が取り上げている、探偵ナイトスクープの有名な感動回「おじいちゃんはルー大柴!?」は、本書の中でもとりわけ「格好悪い」題材だといえるだろう。これを、メディア文化 vs ヴァナキュラー文化という単純な二項対立を乗り越える事例として捉えなおし知見をもたらす手腕には敬服する。

そんな第7章を含む第1部「ジオラマ化する世界」は、フーコー、デリダ、バルト……といった現代思想からスタートしていくわりに読みやすく、個人的には一番興味深かった。



東浩紀,2001,『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』講談社.

積読だったのを、さすがに読んでおかないとなと思い移動時間を使いつつ読了。
「データベース消費」概念が有名だけれども、しかしシミュラークルの次元の「小さな物語」消費と共存しているのだ、という部分もまた重要ではないか。と思うのは、「『物語』が長い」ことがその特徴として語られがちな女性向けAVの研究者だからかもしれない。

ポルノグラフィックなイラストがほとんどおまけのようなものになる(男性向けの)エロゲー(ノベルゲーム)についてどう考えたらいいだろう、と思っていたので勉強になったが、その「小さな物語」も感情を動物的に満たすための効率性が重視されている、という説明には、直感的には違和感があるので考え続けたいところ。

130~131ページの、「小児性愛や同性愛、特定の服装へのフェティシズムを自らのセクシュアリティとして引き受けるという決断」と、「倒錯的なイメージで性器を興奮させることに単に動物的に慣れてしまっている」という「オタクたちの性的自覚」が別物である、という部分は、「性的主体化」をキーにポルノグラフィを研究している身にとってかなり重要だと思いつつ、まだ理解しきれていない。



牧野智和,2012,『自己啓発の時代――「自己」の文化社会学的探求』勁草書房.

牧野先生は、極めて現代的な「自己啓発メディアの流行」をフーコーの「自己のテクノロジー」概念で捉えようとするわけだけれども、晩期フーコーが「自己のテクノロジー概念」を用いて性(セクシュアリテ)を研究しようと思ったとき古代ギリシャ、ローマを対象としたという時代的な齟齬が、あまりに容易に乗り越えられているのではないか。
言い換えれば、抵抗の拠点であるはずの『自己の自己との関係』という主体化の経路が、今日では『他者の不確定な行動の領野を構造化する』営み=『統治』の実践に組み込まれているという屈折した事態(p. 17)も何も、だからフーコーは純粋な「自己の自己との関係」の分析のために古代に目を向けたのではなかったか。

こういう「自己のテクノロジー」概念を時代から切り離す作業は、牧野先生が依拠するニコラス・ローズあたりを読めば、当たり前のようにすでに行われているのかもしれないが。



ヴァルター・ベンヤミン,「複製技術時代における芸術作品」(野村修編訳『ボードレール 他五篇』岩波文庫.

超重要古典なのに、5年ぐらい積読してた。まあなんというか、「読んだぞ」っていう気持ちです。



J・L・オースティン著、飯野勝巳訳,『言語と行為――いかにして言葉でものごとを行うか』講談社学術文庫.

最近は、「Kindleだから移動中に読める」というそれだけの理由で本を買ったりする。まあもちろん、自分の場合、J. バトラー理論の研究のためにも読んでおくべきなのだが。

訳者である飯野先生の解説がユーモラス。オースティンは30代の間、「もっぱら他人の説を壊滅に追い込むような議論を繰り広げるばかりで、自身の積極的な説を語ることはなかった」らしい。ただの厄介アカハラおじさんだな。
そして「四一歳の若さで、そして既発表論文わずか三本で──ただし、彼は自分の著作の少なさを終生気にしていた、という証言もある──当時オックスフォード全体で三つしかなかった哲学正教授のポストに就いた」そうだ。



デイヴ・アスプリー著,栗原百代訳、『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』ダイヤモンド社.

冬から春にかけて5kgほど太ったのと、最近頭がぼーっとするのとで、食事を改善しなきゃなと思い購入。まあ見るからに怪しいし、内容的にも怪しい部分はある。特に、「裸足で草原でヨガをすると時差ボケしない」とか、「寿司を食った翌日は水銀のせいでヨガの木のポーズがうまくいかない」みたいなエピソードはさすがに信用していない(特に前者は著者本人もあんまり信じていなさそうな節がある)。書いてあることをすべて信じるというよりは、何が信じられて、何が自分の身体にも合うのかを自分の身体で実験していくこと、すなわち「バイオハッカー」になることの愉しみを教えてくれる本なのだ、と解釈した。

試せる範囲で自分もチャレンジしてみたら、3週間で3kgほど痩せた。が、脳のパフォーマンスに変化は感じないので、クソ高いグラスフェッドバターやら、MCTオイルやら、クリルオイルやらはもう買わないかな。

ところで、私も博士課程ともなれば、人文社会系の本なら胡散臭いものはちょっと読めば何となーくわかるのだけれども、自然科学系の本は全然そうはいかなくて、「さあ栄養学の入門書でも軽く1冊読むか」と思っても何を読めばいいのかわからなくて困った。教養科目で理系の授業もっと取っておけばよかったな。



一徹,2019,『セックスのほんとう』ディスカヴァー・トゥエンティワン.

女性向けAVに多数出演する一徹さんが、女性向けAVを題材に、男性向けに伝えるセックス論。したがって、女性向けAVの研究者である自分にとっては、すでに聞いたことのある話のおさらいになった。

大事だと思うのは、「セックスのほんとう」と題されているけれども、男性向けAVも女性向けAVもファンタジーで成り立っていると幾度となく強調されており、「女性向けAV」=「セックスのほんとう」ではない、ということ。



そのほか、J. バトラー『触発する言葉』関連の文献を読みまくって、査読論文の準備をするなど。




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