きまぐれ小説日記『すき焼き』

すき焼きが食べたいかもな。
深夜1時を回り、そろそろ就寝するかという頃合いに、男は不意にそう思った。
「かも」というのは、絶対的にすき焼きの口になっているわけではないものの、なんとなく肉が食べたくて、なんとなく和風の味付けが良くて、なんとなく家にある調味料で作れそうで……と連想するうちに、漠然と感じたからだ。
すき焼きといえば何が必要だろう? 牛肉。無いな。長ネギ、しいたけ、しらたき、とうふ。どれも無い。卵……はあった気がする。肉も、冷凍した豚肉ならある。ご飯も一膳分くらいは残っていたはずだ。
「なんか、作ってみるかあ」
男は布団から這い出ると、眠気でぽんやりとした頭を掻いて、のそのそと台所に向かった。

適当にネット検索で見つけたレシピに従って割下を作っていく。醤油にみりん、水も少々。あ、砂糖が無い。代用品がないか、コンロの下の引き出しを漁ると、コーヒー用のシロップが出てきた。まあ、甘みがつけばいいかと、2〜3個をプチンと開封して鍋に入れていく。
冷凍庫から取り出した豚バラ肉は、程よいサイズに薄くカットされて袋詰めされた徳用のもので、使いたい分だけ手軽に使うことができる。袋から鍋に直接ザラザラと肉を落とし、軽くかき混ぜてから火にかけた。
本当はちゃんと解凍したほうがいいんだよな、と、冷凍肉を調理するたびに男は頭の片隅で考える。ただし、残りの肉を冷凍庫に戻すまでのわずかな時間で、その片隅の考えはサッパリと消えているのだった。
男はこれまた冷凍のご飯を電子レンジで温めると、卵を適当な汁椀に割り、適当に溶いていく。ご飯が温まる頃には、鍋も軽く煮込み、卵も程よく混ざっているだろう。効率的といえば聞こえはいい、単に雑な調理にすぎないが、深夜の思いつきの食事はこのぐらいのアバウトな進行でちょうどよいのだ。
ピーッ、と電子レンジが鳴る。男は卵をかき混ぜながら、「いち、に……」と口で秒数を数え始めた。なんでも、温め終わってから30秒ほどそのままで蒸らすと良いらしい。どこかで聞き齧った裏付けのない知識をなんとなく実行し、「さんじゅう」とつぶやくと、コンロの火を消し、電子レンジからご飯を取り出した。
ラップに包まれたご飯を茶碗によそい、溶いた卵をかけ、箸でざっくりとかきまぜる。
割下で味をつけた豚肉と、卵かけご飯の出来上がりだった。

「……これは、すき焼きなのか……?」

食に無頓着な男は、「すき焼き味の肉」「卵」「白飯」の三要素が揃っていればすき焼きだと考えていた。極端な話、「割下と肉の炊き込みご飯オムライス」でもすき焼き欲を満たせるのではないかと思っていたが、それと比較して「まあまあすき焼き寄り」な目の前の食事を見ても、あまり「すき焼きっぽさ」を感じられなかった。
まあいいか。男は、いただきます、とひとりごち、台所でそのまま食事を始めた。箸で鍋からひょいと豚肉を掴み、口に放り込む。煮詰まっていない豚肉はやや薄味だったが、そこそこすき焼きっぽい。
追加で卵かけご飯を頬張ると、口の中は完全にすき焼きだった。……いや、完全に、ということはないか。「ここから上がすき焼きですよ」というハードルを、スレスレで飛び越えたような感じだ。まあ、何はともあれ、それなりに美味かった。

男は、どこかで聞いた、料理研究家の「口に入れば一緒」という言葉を思い出していた。
「腹に入れば一緒」ではない。料理としての見てくれが整っていなくても、口に入る段階で同じく構成されていれば、綺麗に作った料理と、いわば「食べ心地」は同じということだ。この適当に作ったすき焼き風の夜食も、まさにその精神といえるだろう。

男は、「深夜に食べるなら、せめて卵かけご飯だけでよかったかもしれないな」などと考えながら、ざぶざぶと食器を洗っていく。「じゃあ、なんで作ったんだよ」とひとりツッコミをしつつ、それぞれを水切りかごに重ねると、台所の照明を消し、やはりのそのそと寝床へ戻っていった。

今度は、ちゃんと本気のすき焼きを作ってもいいかもしれない。もう少し寒い季節になったら、ちゃんと揃えた材料で、ご飯も炊き立てで……。

そんな計画を立てていると、いつのまにかうとうとと眠りにつきそうな感覚があった。
男は「このまま寝たらすき焼きの夢を見るかもしれないな」と思った。

それなら、わざわざすき焼きを作らなくてもよかったかも。じゃあ、なんで作ったんだよ……。
誰に聞かせるでもないひとりツッコミは、まどろみに消えていく。

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