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サラダ命日

サイゼリヤの小エビのサラダを食べると思い出す人がいる。
ある日の夕飯に、小というにはやや大きめの、でも普通のを想像した時よりは小さめの生食用のエビを買った。わたしはちぎったレタスをお皿に乗せて縁取るようにエビを乗せた。
ドレッシングをかけようと思ったけどこの部屋にそんなものはなかった。この人は家で料理を全くしない。わたしはオリーブオイルと酢と塩と胡椒を空き瓶に入れて振る。
上下左右に振られて乳化を待つ簡易ドレッシング越しにキャメル色のフローリングの色が見える。あまりものを持たないその人の家にゴミ箱はなかった。燃えるゴミ用の大きい袋が床に直に置いてある。袋の口はゆるく折りたたんで閉じてある。生ごみは入っていないのできれいだと思う。床のゴミもお掃除ロボットの中に蓄えられているはずだから、便宜上はゴミと呼ぶしかないけどそれはただ「不要なものを袋にまとめてある」ものだ。表面すべて清潔なポリエチレン素材だ。中には主にチラシが入っている。わたしはそれをきたないものだとは感じなかった。
無心で瓶を振ったおかげで出来上がったドレッシングをサラダにかけて、リビングに持っていくために片足を前に出す。皿も前に出る。レタスの上の水分と油分を適度にまとったエビが、慣性の法則で皿とレタスに置いていかれる。エビが落ちる。その先に、不要なものをまとめた袋、もとい「ゴミ袋」の、側面。着地。水気を含むペチッという音と、ポリエチレンのカシッという音がした。
わたしは「エビ洗わなきゃ」と言った。「一応洗った方がいいよね」
でもその人は「いや、捨てなきゃでしょ」と言った。「ゴミに落ちたんだし」
でも、と言いかけたけどやめた。
レタスの上の僅かに残った数尾を落とさないようにしつつお皿を机の上に避難させ、落下エビたちはそのまま「ゴミ袋」に入れた。「ゴミ袋」が本当に「ゴミ袋」になったのはこの瞬間からだ。わたしが「ごめん」と言ったらその人は「しょうがないよ」と言った。

わたしの「ごめん」は
何に向けたものだったか。


「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

「サラダ記念日」俵 万智



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