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2022年7月25日

水平線に太陽が近づいていくのを感じながら日記を書く。良い休日とはこのこと。

ウトロの海岸。

今、埋め尽くしているのは、「旅に出たい」という思い。

この地でいろんな人と出会い刺激をもらう中で、旅とはなんなんだ、というのを考える。最近、私の安っぽい価値観をぶち壊していく人がたくさんいるのだが、そのうちの一人が「旅の本質」について綴っていて、これまた刺激をもらった。

私はホテルスタッフとして旅人をウェルカムする側の人間でもある。だけどそれ以上に、旅に出たい人間なんだと思う。

小学生の頃から、定期的に一人で出かけていた。行ける範囲はたかが知れているが、阪急電車の始発に乗ってまだ明け方の京都に行ったりした。思い出せば、親父も幾度となく私を好き勝手連れ回した。反抗期もいいところの娘を連れて、車で15時間かけて大間岬まで行ったり、富士山に登ったり(天候が合わず、山頂まで行くのに3回もチャレンジした)。
小さな工場で仕事に明け暮れる中で、口下手な彼なりに、旅に出たい欲をぶつけていたように感じる。私はそれに巻き込まれていたのか。今考えると、とんでもない親父だ。

「この子は海外に行くかもしれない」
私が生まれた時、母が占い師から言われたそうだ。だから、私の名前は書きやすく説明しやすい「晴花」になったらしい。

私は生粋で、親譲の旅人だったのか。これはディスティニーか。

いい感じに陽が傾き、岩肌も染まっていく。

私が旅に出たいのはなんでか、きっとそれは素敵だと思える旅に出会えたからだと思う。

この6月に知床サス旅へ参加した旅人が、またこの地を訪れてくれた。まだ1ヶ月しか経ってないのに。それだけ知床を好きになってくれたのか、知床サス旅すげぇなと思いつつ、それに関われた嬉しさが湧いてくる。

嬉しさもあるが、また違った感情が残っていることに気がつく。

知床サス旅当日はものすごくいろんなことに追われていて、とても不完全燃焼だった。やりたいことをやりきれなくて悔しくて、みんなから抜けて一足先に帰ると言いつつ、一人で泣いていた。割と号泣していた。27歳にもなる女が。

泣きながら、絶対また次作ってやるからなー!くそー!と叫んだことを有言実行すべく、色々終わって肩の荷が降りた今、悔しさをバネに、みんなのことを死ぬほど追かけている。

(心の肛門の話、今度は私も混ぜて欲しい。)

また来てくれた旅人と、美味しいご飯を食べながらたくさん話をする。旅人は、私たちが持ってないものをこれでもかとプレゼントしてくれる。私たちも私たちなりに、精一杯ウェルカムをする。
正直、私たちのウェルカムが届いているかわからない。だけど、また来るよと言ってくれた言葉に、偽りはないと信じたい。そう思える、信頼が心地よいと思った。

昨日の鰤しゃぶは、たまらなく美味しかった。

「新しい旅の形」は何か、今の私には答える自信がない。だけど、「旅がどうあって欲しい?」と聞かれたら、ウェルカム側としても、旅人側としてもそんな心地よさを感じるものがいい。

私は、知床サス旅でそれができなかった。色んなことに追われていて物理的に無理だったこともあるかもしれないが、たぶん、信じてなかったんだと思う。
企画者の想いも、参加するみんなの熱量も、自分がウェルカムしたいんだって気持ちも。
全部大事にできなかったし、もういいやって半分、いや8割ぐらい投げてた。
今思うと、ちっぽけなものにスレていたのかもしれない。テレビの中の名前のない声や、ビールに溶かしてどうにか飲み込んだ出来事に大事なものを食われていた。

終わって1ヶ月経った今、また泣きそうになる。何やってんだ自分。

だから今、大事にしたいって思えるものを大事にするし、それができる余白を残すようにしている。一丁前に「余白」って言葉を使ってみたけど、旅人にも余白が必要なように、ウェルカム側もないとダメだったみたい。

気がつかせてくれた知床サス旅に、関わってくれた皆さんに改めて感謝。

みんなの笑顔が眩しすぎる...

どっかの誰かが「最近の若者は、自分が成長できる環境ではなく、自分を成長させてくれる環境を探している」と言っていた。
なんだかちょっと頷く。自分ごととしてか、人の姿を思い浮かべてなのかはわからない。私は前者か後者か。

ここで成長できないというわけではない。ただ、ここにはない、何かが私には必要で。お腹がすけばコンビニに行けばいいこととか、ずっと敷きっぱなしの布団とか、二日酔いでもなんとかなる1日とか。なんか、そういうので守られてない環境で生まれるものもあると思う。
環境を自分で作れなくても、自分で探して飛び込んでいくことはできる。

久しぶりに海でバシャバシャした。この海で獲れた鰤を昨日いただいたのか。

たくさん見たいものがある。仕事につながることならきっと、出張とか研修とかでいけるかもしれない。でも、そんな与えられたものじゃなくて、どこかに所属する誰かじゃなくて。ちゃんと、村上晴花が、自分の脚で歩いて、自分の目で見て、人と出会って、感じたものを信じたい。

「皆さんのお給料は、お客様からいただいていることを忘れないように。」
一つの信仰のように、毎日耳にする言葉。従業員130名を養う会社に、私の生活は依存している。お金は大事だ。ホテルに来る全てが、ここで定義する「旅人」ではないこともわかっている。

私が働くホテルは、窓の外に海が広がっているが、大きな岩があるので夕陽は見えない。
夕陽を見に行くにはホテルの外に出なければいけないように、ここにいるだけでは感じられない何かがある気がする。

世界一周した人からすると私の旅はちっぽけかもしれない。同僚言わせれば、なんかすごいことやってる、なのかもしれない。
でも、私は私なりに、手が届きそうなところをちゃんと見つけて、背伸びしすぎないところで、やりたいことやって生きたい。

蚊に刺されたから帰ろう。

息を吸うと、海の、潮の香りがする。
日常では気がつかないものに出会うことも、旅の醍醐味な気がした。

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