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新刊 『ただいま、日本』——「はじめに」を無料公開しちゃいます!

【全文無料公開】

さて、先月28日に新刊『ただいま、日本』(扶桑社)が発売されてから一週間ほど経ちました。

一口に言えば、「電動車椅子で世界37カ国を放浪した旅行記」なのですが、旅行者は訪れることのできないパレスチナ・ガザ地区で現地の人々と触れ合ったり、インドで「世界で最も危険な祭り」と言われるカラフルな祭りに参加したりと、一風変わった旅行記になっています。

そもそも、なぜそんな旅を始めたのか。本書の「はじめに」にて、じっくり記していますので、ここでも無料公開させていただくことにしました。

ぜひ、みなさんにも一緒にこの旅の扉を開いていただければ幸いです!


【はじめに】

車椅子で世界を回る

 初めて海外旅行に行ったのは中学生の頃。私の家族と友達の家族でハワイに行ったときだ。当時は電動車椅子を飛行機に積み込めるとは思っていなかったし、ほとんどの航空会社で積み込めないような時代だったので、人に押してもらうタイプの車椅子で行った。

 一番鮮明に覚えているのは、友達に車椅子を押してもらっていたら、親たちと逸れてしまったことだ。とはいっても、ホテルの中で迷子になってしまっただけなのだが、大きなホテルなので部屋番号は覚えていたものの、なかなか辿り着けない。どうしようと思って習いたての英語で周囲の人に聞くと、何とか通じて、部屋に戻ることができた。ちょっとしたことだが、それがうれしかったことは今でもハッキリと覚えている。

 しかし、そこから自分で海外に行くまではだいぶ期間が空いてしまった。次に海外を訪れたのは、大学二年生のこと。ロサンゼルス、サンフランシスコ、ラスベガスと西海岸を中心にアメリカを回った。メンバーは予備校時代に一番仲のよかった四人の友人たち。初めての電動車椅子による海外旅行だった。

 ところが結構酷い目に遭った。というのも当時は電動車椅子を分解しないと乗せてもらえなかったのだ。まずは成田で分解されて、ようやくアメリカに着いたら、現地の空港職員に「俺ら組み立て方わかんないよ」と言われ……。こちらもどうやって組み立てればいいのかわからないので、自分たちで「ここはこう繫ぐのか」と模索する羽目に。電動車椅子で海外を旅するってこんなに大変なのかと思い知らされた。

 現在は航空会社によって若干の違いはあれど、基本的にはチェックインカウンターで航空会社の用意する車椅子に乗り換えて、その場で貨物として電動車椅子を預ける。そうしてコンテナに積まれ、到着した現地の空港で返却されるというイメージだ。中には保安検査などを通ってゲートに行くまで不便だろうということで、ゲートまで自分の電動車椅子で行かせてくれて、そこで乗り換えさせてくれるところもある。

「どうしてそこまでして海外を旅するのか」と思う読者の方もいるかもしれない。私はもともと好奇心が旺盛なタイプだ。だから、行ったことのない場所には行ってみたいし、触れたことのない文化に触れてみたいし、食べたことのないものは食べてみたい。知らないことには、何事も判断もできないからだ。いろんなことに対して、まずは一回知りたいなと思ってしまう人間なのだ。

 今回紹介する世界中を回る旅以前にも、仕事やプライベートで海外に行く機会はあったが、結局一週間がいいところ。そうすると観光だけで終わってしまって、本当にその国の文化やライフスタイルまで知ることは難しい。
二〇一五年初頭、ちょっと英語を鍛えようと、四週間フィリピンの英語学校で寮生活を送ったことがある。残念ながら英語は思ったほど上達しなかったが、やっぱり四週間もいるとフィリピンの人々の暮らしを感じることができた。

 たとえばフィリピンにはストリートチルドレンがたくさんいる。というのも、フィリピンには「二つの政府がある」という言葉があるそうなのだ。
フィリピンはキリスト教徒が多くを占める国だが、中でもカトリックが八〇%なのだという。宗教上、避妊も中絶も認められていないそうだ。だからどうしても産めよ増やせよになってしまう。逆に政府としては人口を抑制したいので、いっときの政権はコンドームを配るなど、国策としてとにかく避妊をして子どもの数を抑えようとしていた。

 両者の言っていることは正反対。政府の言うことを聞いて国が豊かになっていくなら、おそらく人々は政府の言うことを聞くだろう。しかし、国が貧しいままだと、政治よりも宗教のほうが人々を惹きつけるのだろうか。貧困層の多くは政府の配るコンドームを使用しなかったのだという。数日間旅行に行くだけではそんな話には辿り着けなかったはずだ。四週間滞在し、現地の人と交流したからこそ聞けた話だと思う。

 そんな経験を振り返って、一時期どこかの国に住んでみたいという想いはずっと前から感じていた。でも、当時は仕事もなかなか忙しく、時間的な余裕もなかったので、そういう機会は持てなかった。
しかし、ご存知のとおり、あるときを境にさっぱり仕事がなくなり……。「行くなら今だ!」と、日本を飛び出して世界を旅することになった。


海外で暮らすならどこにする?

 実を言うと自分の中では今回、このように世界一周をする気はなかった。フィリピンでの英語留学のように、どこかに長期滞在をしようと思っていたからだ。候補に挙がっていた都市は二つあって、ひとつがロンドン、ひとつがイスラエル随一の商業都市テルアビブだった。

 テルアビブは世界一周旅行の前年、二〇一六年に初めて訪れ、とても興味を覚えた。今、世界で最も起業しやすい国ランキングの一位はイスラエル。テルアビブは特にイケイケで、まさにシリコンバレーのような雰囲気だった。

 また、LGBTフレンドリーでもあり、ゲイビーチなどもあるぐらい。実際、初めて行ったときも街中を歩いたり、レストランで食事していると、男性同士が腰に手を回していたり、女性同士が手を繫いでいたりする様子をあちこちで見ることができた。

 テルアビブが気になっていた理由は、もうひとつあった。当時は何も仕事がなく、今後どうやって生きていこうかと考えている時期でもあった。起業家の友人たちから「政治みたいにしきたりが重要な分野より、おまえは性格的にビジネスが向いているよ」と言われて、その気になっていたのだ。イスラエルのベンチャー界隈にどっぷり浸かり、人脈を作ってベンチャーマインドを自分に染み込ませ、イスラエルに残るにしても、日本に帰ってくるにしても、そういう方面でひと勝負するのはありかなと思っていたのだ。それがテルアビブを候補に挙げていた理由だ。

 そして、もうひとつの候補、ロンドン。「自分自身の将来はもうお先真っ暗だ。もう二度と活動できることはないだろう」と思ってはいたものの、それでも二〇二〇年のパラリンピックの存在は、私の頭の中にずっとあった。せっかくパラリンピックについてインプットしても、それを活かせるようになれるかどうかは、悲観的にならざるを得ない状況……。

 それでも、こういう時期でもなければ、パラリンピックについてじっくり取材したり、学んだりする時間も取れないはずだ。パラリンピックを学ぶのであれば、過去最も成功した二〇一二年のロンドン大会だ。パラリンピックから数年が経ち、ロンドンがどう変化したのか、なぜあの大会は成功したのか、それを現地で取材したいという想いがあった。

 テルアビブとロンドン。正反対の二つの都市。人生の後半戦をスタートさせるにあたって、ビジネスや起業というまったく違うフィールドで勝負をするのか。それとも、これまでどおりダイバーシティという分野にこだわっていくのか。それこそ二か月は悩んだかと思う。最終的に選んだのは、パラリンピックだった。その理由には、ある起業家の友人の言葉もあった。

「乙武洋匡の無駄遣いなんじゃないの?」

 ビジネスの世界で勝負したいなら、もちろん応援するけど、ビジネスアイデアを考えて、それを実現して金を稼ぐのは別におまえじゃなくてもできる、「そういうのは俺らがやるよ」と。

「この世界で、特に日本では乙武洋匡じゃないとできないことっていうのがあるはず。それをやらずにビジネスをやるのは、何か乙武洋匡の無駄遣いな気がするけどね」

彼の言葉は思いの他、私に響いた。その言葉が決定打となって、ロンドンに向かうことを決めたのだ。

 しかし、実際にロンドンに行ってみると、自分の中の欲張りな部分がドンドン出てきてしまう。フランスのパリやベルギーのブリュッセルはロンドンからは電車で二、三時間の距離。せっかくヨーロッパにいるんだからと、ロンドンに滞在しているうちに、オランダやスコットランド、アイルランドやアイスランド、その他のヨーロッパの国も旅することとなった。

 最初は半年ほどで戻ってこようとも思っていたが、こうなると止まらない。アメリカのボストンやシリコンバレーも見てみたい。一度訪れてみたいと思っていたキューバにも。そうして気づくと世界中を回っていた。本書はそんな私が各国で見て、聞いて、話して、そして食べて感じたことの記録だ。

 国によって価値観も違えば、ライフスタイルも違う。ルールも違えば、経済状況も大きく違う。こうした違いは、あらためて日本という国を見つめ、考え直していく上で大きな糧となった。読者の皆さんにとっても何らかの気づきや発見があれば幸いである。

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いかがでしたでしょうか?

せっかく開いた旅の扉。このまま一緒に「車椅子の旅」に参加してみませんか!?

先週から、Kindle版も販売開始。ぜひ、こちらもご利用ください!


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