見出し画像

日本人から“ドラクエ城”と呼ばれる城で見つけた文明の利器。

先週末からちょっと遅めの夏休みを取り、東欧を訪れています。

バルト3国のうち、最も南に位置するリトアニア。首都・ヴィリニュスから車で40分ほどの場所に、日本人からひそかに“ドラクエ城”とあだ名される城があるという噂を耳にしました。

日本で最も有名なゲームといっても過言ではない「ドラクエ」に出てきてもおかしくないような雰囲気の城だとのこと。小学生の頃、寝食を忘れて「ドラクエⅢ」にハマっていた身としては、どうしても気になってしまいます。

でもまあ、こういう噂は「行ってみると大したことなかった」というオチで終わることがほとんど。あまり期待に胸ふくらませないようにと自分に言い聞かせながら、めちゃくちゃ期待に胸ふくらませながら行ってきました。

画像1


ど、ど、ど、どうですか!?

画像2


湖に浮かぶ離れ小島。そこに架かる一本の橋。それを渡ると、厳かな城がそびえ立っています!!!

画像3


めちゃくちゃ、“ドラクエ感”出てるじゃないですか!!!

この「トラカイ城」!!!!


ここで少し、歴史をおさらいしてみたいと思います。

この「トラカイ城」は、リトアニア大公国の君主であったケストゥティスによって14世紀後半に建てられ、1409年、息子であるヴィタウタスによって完成されたと言われています。つまり、完成から600年以上が経過する重要な歴史的建造物ということになります。

その後、軍事的重要性を失ってからも、大幅に改修されて王室の住居として使われたり、諸外国の特使を招いて饗宴などが開催されていたようですが、17世紀に起こったモスクワ大公国との戦争を境に荒廃の一途を辿り、歴史からは忘れられた城に。

ところが、1888年に考古学委員会が城の残骸の調査に着手すると、当時のフレスコ画が修復されるなど城の再建が始まり、1961年にその大部分が完成。いまでは国を代表する観光名所にまでなったということです。

つまり、「要塞」→ 「王の居城」 → 「廃墟」→ 「観光名所」という流れのようですね。


さて、歴史を押さえたところで、早速、中に入ってみましょう。

画像4

城壁の役割を果たしていた周囲の部分は、召使いたちの住居や食事を作るためのキッチン、さらには囚人たちの牢獄として使用されていたのだとか。

画像5

実際に王たちが居住していたのは、広大な中庭を突っ切った奥にそびえ立つ別の棟。ここに行くには、写真の左端に見える階段を上っていかなくてはなりません。

え、階段……。

これは困ったぞ……。

「最悪の場合、デニムを泥々にしながらでも自分で階段を上がるか」と覚悟を決めて近づいてみると——。

              ------✂------

ここから先は有料公開となります。

個別の記事を数百円ずつご購入いただくよりも、月に20本近い記事が配信される定期購読マガジン(月額1,000円)をご購読いただくほうが圧倒的にお得です。

記事の更新はみなさんからのサポートに支えられています。ぜひ、この機にご登録をお願いします!

「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.mu/h_ototake/m/m9d2115c70116

この続きをみるには

この続き:1,154文字/画像12枚
記事を購入する

日本人から“ドラクエ城”と呼ばれる城で見つけた文明の利器。

乙武 洋匡

300円

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ありがとうございます。よろしければシェアもお願いできれば幸いです!
50

乙武 洋匡

乙武洋匡の七転び八起き

乙武洋匡のコラムやQ&Aコーナー、マネージャー日記や趣味(映画・ワイン・旅行etc.)の記録などを公開していきます。 「すべての人に平等なチャンスと選択肢が与えられる社会」を目指す仲間を大募集中です!