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連載小説『ヒゲとナプキン』 #6

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(おまえの望むフツーとは、息を潜めてビクビクしながら生きていくことなのか?)

 ジンに突きつけられた言葉がアルコールに溶け込んで体内を駆け巡る。黒の革靴が冷え切ったアスファルトを踏みしめるたび、苛立ちが音を立てて脳天を直撃した。

「そんなわけねえだろ」

 イツキが吐き捨てるようにつぶやくと、路上に佇む派手な化粧を施した男性の客引きがぎょっとした顔で振り返った。

 息なんて潜めたくない。自由に呼吸がしたい。何かに怯えるような暮らしなどしたくない。だけど、だけど、だけど——。考えれば考えるほど、胸の内にくすぶる苛立ちはジンの言葉に対してではなく、自分を窮屈な牢獄に押し込めている社会そのものに対するものではないかと気づき、途方に暮れた。

 だけど、とイツキは立ち止まった。「社会」とは、いったい誰なのだろう。そいつはどんな下卑た顔をして、どんな衣装を身にまとい、どんな邪な心で、こっちを向いているのだろう。

(本当はそんなやつ、存在しないんじゃないか……)

 絶対に触れてはならない問いが心の内に浮かぶ。イツキは大きく頭を横に振って、また歩き出した。だが、歩いても、歩いても、その問いは消えることがない。ふと視線を上げると、イツキはまた同じ曲がり角に戻ってきていることに気がついた。

 帰宅したのは、深夜一時近くだった。三軒のはしご酒ですっかりシャワーを浴びる気力も奪われたイツキは、スーツやワイシャツを脱ぎ捨てると、キッチンでコップ一杯の水を体内に流し込み、そのまま寝室へと向かった。電気が消えたままの暗い部屋でセミダブルのベッドに体を潜り込ませると、布団の中は先客の温もりでほのかに温まっていた。

 目が慣れてくると、となりで眠るサトカの寝顔が暗闇の中にぼんやりと浮かび上がってきた。普段はアイラインを強めに引いたメイクを施しているサトカだが、こうして素顔になってみると三十歳を迎えたばかりとは思えないほど愛くるしい顔立ちをしている。

 イツキは指先でそっとサトカの前髪を撫でると、白く浮かび上がる額に口づけをした。起こしてはいけないと思いながらも、続けて頬に、そして唇へと口づけの場所を移していく。

「ん、おかえり……なんか煙草臭い……それにお酒……んぐ」

 目を覚ましたサトカは、鼻をつく酒と煙草の匂いに思わず顔をしかめたが、イツキはその先の言葉を唇で封じ込めた。そして、するりと舌をねじ込ませていく。

 目を見開いて驚くサトカ。だが、すぐに目を閉じてイツキを受け入れた。その柔らかで艶かしい感触をしばらく楽しむと、イツキはやがてサトカの着ていたパジャマを強引にたくし上げ、そこに潜んでいた二つの丘をむき出しにした。

「ねえ、ちょっと痛いよ……」

 サトカの言葉に、イツキはあれだけ飲んでも最後まで酒場に置いてくることができなかった感情を、せめてベッドの上で吐き出そうと、いつも以上に強い力でサトカの体を弄んでいたことに気づかされた。

「ごめん……」

 乳房の頂上にある突起を舌でやさしく弾くと、サトカは「あっ」と短い声を上げた。その舌を乳房から腹へと這わせつつ、オレンジ色のパンティの上から指先で秘部をなぞる。

「んんっ」

 サトカがくぐもった声を漏らすと、イツキは自分の体を半身だけ起こし、白いTシャツを脱ぎ捨てた。

 ようやく上半身が露わになったイツキの腕をぐいと引き寄せたサトカは、男性としては華奢な背中に両腕を回した。唇から首筋にかけて何度もキスをすると、もう傷跡さえ見つけることができないイツキの胸板に唇を這わせた。

 ここまで何年かかっただろう。乳房を切除するまで、イツキはたとえ交際中のパートナーの前でも裸を晒すことはできなかった。性行為に及ぶときでさえ、Tシャツを着たままだった。みずからの肉体が“女性のもの”であると視覚的に認識されることは、イツキにとって何よりも耐え難い恥辱だったのだ。

 サトカと付き合いだしたのは、乳房も切除し、ヒゲも生やすようになってからだった。それでも、Tシャツを脱ぐには勇気が必要だった。付き合い出してからもしばらくは着衣のまま性行為を続けていると、サトカに「距離を感じる」と泣かれて、ようやく胸をはだけることを決意した。しかし、いまだにボクサーパンツを脱ぐことはできずにいる。

 イツキは湿り気を帯びたオレンジ色の布を剥ぎ取ると、露わになった部分に顔を埋めた。そっと舌で触れると、電流が走ったかのようにサトカの体が震えた。トンと舌で突くと、ビクッと体が震える。トンと突くと、ビクッと震える。そのペースを次第に早め、小刻みに舌を震わせていくと、サトカはベッドから腰を浮かせて歓びの声を上げた。

「うううああああぁっ」

 サトカの腰が砕けたかのようにベッドに崩れ落ちると、荒く乱れた息遣いだけが薄暗い部屋に響いた。途端に恥ずかしさがこみ上げてきたのか、サトカはあわてて掛け布団を手繰り寄せ、全身を覆い隠した。

「俺、トイレに行ってくるね」

 イツキは始まりの合図がそうであったようにサトカの額にもう一度キスすると、ベッドから抜け出して、ひとりトイレへと向かった。便座に腰を下ろし、そっとパンツの中に指を這わせる。そこには悲しいほどに蜜が溢れていた。


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