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【義足プロジェクト #1】 四十三年前、私は奇形児として生まれた。

この記事は、今月7日(日)に「FRaU×現代ビジネス」にも掲載されます。

「倒れないように」

 私は頭の中で、その言葉を繰り返していた。

 倒れないように、倒れないように、右足と左足を、数センチずつ、交互に振り出す。私の短い大腿部が、一本約十キロの義足を持ち上げ続ける。

 二〇一八年十一月九日の午後、東京都江東区にある新豊洲Brilliaランニングスタジアムの六十メートルトラックで、私はいつもよりずっと長い距離を歩いていた。

 足が重い。カーッと熱くなった肉体に緊張が走る。疲労がバランスを取りづらくさせ、疲れた肉体に余計に力が入る。もうムリだ。身体が前に倒れる。

「あ! あ!」と声をあげた。そばで待機していたマネージャーの北村が、私の身体をキャッチする。汗だくになったTシャツ。北村は、そのまま私をトラックに座らせた。

 スタッフが大急ぎで駆け寄ってきた。メジャーを伸ばして、歩行距離を測る。

「七・三メートル!」

 その声に、ワァッと周囲が沸き立つ。全身を支配する虚脱感が、心地よい疲労感へ。それは、そこにいる誰もが想像しないレベルの新記録だった。

 
 私は、四肢欠損の状態で生まれた。だが、短い手足を使って、食事をすることもスマートフォンを操作することもできるし、階段を上ったりボールを蹴ったりすることもできる。三歳のときから使っている電動車椅子で、日本中、いや世界中どこにでも行くことができる。困るのは衣服の着替えくらいで、それまで生活のなかに義足の入ってくる余地はなかった。

 大学三年の秋に『五体不満足』が出版され、私の存在が世間に知られるようになっても、「義足を履いてみたら」と提案する人は誰もいなかった。四肢のない私が電動車椅子を乗りこなす姿があまりに衝撃的で、義足を履く姿など思い浮かばなかったのかもしれない。

 義足には致命的な問題がある。両手のない私は、転倒した際に手をつくことができないため、いきなり地面に顔面を叩きつけることになるのだ。両手両足のない人間が義足で歩く感覚は、健常者が両手を後ろに縛られ、竹馬に乗って歩く状態に近いという。みなさんにも、そのような状態で竹馬に乗ることを想像してみてほしい。

 じつは、幼少期に少しだけ義足の練習をした時期がある。だが、うまくいかずに電動車椅子へと移行した。以来、私の生活に義足という選択肢が登場したことはなかった。

 そんな私がいま、「義足」への挑戦を試みている。

 恐怖と重圧、そしてどこかワクワクする気持ちを抱えながら、はじめて自分の意志で「歩こう」としている。

 乙武義足プロジェクト――このストーリーの始まりはいまから三年前に遡るのだが、ここではさらに四十年ほど、時計の針を戻すことにする。

『およげ! たいやきくん』が大ヒットし、田中角栄前首相が逮捕された一九七六年の暑い夏の日、まだ生まれて半年にも満たない私が、かつて東京都新宿区にあった東京都補装具研究所を母と二人で訪ねるところから、私の義足物語は幕を開ける。

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