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覚悟はあるのか。

これまでは落語鑑賞くらいしか趣味らしい趣味がなかった私。ところが、この3年間でずいぶんと多趣味になりました。ええ、ヒマだったからです…。

時折、歌舞伎も観に行くようになりました。東銀座にある歌舞伎座は2013年にリニューアルされ、エレベーターも設置。一階後方には車椅子スペースもあるので、私のような車椅子ユーザーでも安心して観劇できます。

今月27日(日)も、初春歌舞伎公演(夜の部)に行ってきました。人気俳優の市川海老蔵さんが長女の麗禾ちゃん、長男の勸玄くんとともに出演とあって、連日連夜、大入満員となる舞台の千穐楽でした。

この公演の夜の部は4つもの演目があり、そのどれもが見応えたっぷりで、カツカレーにうな重に焼肉を食べて、デザートにフルーツパフェまで食べたような満足感(褒めてます!)が得られたのですが、ここで一つひとつ舞台の感想を述べることはしません。

だったら、なぜこんな文章を書き始めたのだとお叱りを受けてしまいそうですが、今日はひとつ「私がなぜ歌舞伎に惹きつけられるのか」について書いてみたいと思います。

やはり歌舞伎の醍醐味と言えば、贔屓の役者の演技を楽しむことや、華やかな舞台セットや衣装に目を悦ばせること、それから唄や三味線、笛や鼓といった演奏に耳を愉しませることなどが挙げられます。もちろん芝居の筋そのものに心打たれるといったこともあるでしょう。

ただ、私が決して安くはないチケット代を払ってせっせと歌舞伎へと通う理由は、また別のところにあるのです。いや、もちろん上で挙げたような要素をたっぷりと堪能することも目的のひとつなんですよ。でも、やっぱり私は歌舞伎をただの「お芝居」として捉えることができず、その根底に横たわる「ある感情」を感じたくて足を運んでしまうのです(あ、運ぶ足はなかった…)。

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