「エッフェル塔写真」に批判的であることと、寛容であることはどちらが正解なのか。
今週、もはや何の説明の必要すらないほど話題となったのが、“エッフェル塔事件”。自民党の女性局38名が海外視察のためフランスを訪れ、幼児教育の義務教育化、少子化対策、政治における女性活躍といった課題について学ぶことが目的だった。ところが、エッフェル塔の前で撮影した写真がどうにも観光客に見えてしまうポーズだったこともあり、「ただの物見遊山じゃないか」「税金で観光とはいいご身分だな」と大炎上してしまったのだ。
しかし、この炎上騒動には疑問を呈する人も少なくなく、「写真を撮ることのどこがいけないのかわからない」「ただの嫉妬に付き合うことはない」と写真撮影について問題視する人々に批判的な声も上がっている。
著名人の中にもそうした考え方の方は多く、茂木健一郎さんは「みんな余裕なさすぎ」、三浦瑠麗さんは「エッフェル塔で記念にポーズ取るって普通の発想」と綴っている。
この問題にはいくつもの論点が含まれているので、単純化して是非を語ることには慎重であるべきだと思っているが、私には「大規模の炎上を何度も経験している」「政治家を目指していた時期がある」という他者にはない視点があるように思われるので、この問題について私なりに深掘りしてみたいと思う。
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