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10歳の不登校YouTuber・ゆたぼんの賛否が語られる上で抜け落ちている視点。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.mu/h_ototake/m/m9d2115c70116

「ゆたぼん」が燃えに燃えている。

「不登校」というと、私たちはどうしても「学校に行きたいのに行けない」というイメージを抱いてしまうが、ゆたぼんはどうも違うようだ。

「宿題をやりたくない」
「まわりの子がロボットに見える」

これらの言葉からも見て取れるように、「学校に行きたいのに行けない」というよりは「学校には行きたくない」という意志を持った不登校のようだ。

こうした彼の態度に、「わがままだ」「やりたくないことから逃げているだけ」と批判の声も多く寄せられている。また、「父親の金儲けの道具にさせられているだけ」「彼こそが親に洗脳されたロボット」と、ゆたぼん本人の意志がどこまで反映されているのかに疑問を持つ人も多くいるようだ。

これに対して、著名人を中心にゆたぼんを応援・擁護するようなメッセージも発信されている。

 

このように、ゆたぼんについては賛否両論が渦巻いている。彼を批判することも、また彼を擁護することも、基本的には自由であるはずだ。だが、私はこれらの報道を見ながら、どこかで物足りなさを感じていた。それは、ゆたぼんという少年を巡る議論において、必要不可欠であるはずの視点がなかなか見えてこなかったからだ。

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