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【義足プロジェクト #3】 「もう義足はいらない」 義足との決別を決めた三歳の秋

この記事は、今月21日(日)に「FRaU×現代ビジネス」にも掲載されます。

 二歳になると、江戸川区役所にある葛西児童センターの育成室に通うようになった。この育成室は、心身の発達に遅れのある子どもたちが通う保育園のような施設で、幼稚園に入学するまで毎日お世話になった。

 昼になると、みんなでお弁当を食べた。食事の前には手を洗わなくてはならない。手洗い場は子どもの腰ぐらいの高さにあるので、育成室の先生はそこに三段の階段を設置してくれた。

 階段一段の高さは私のへそほどの高さだったが、短い右足を軸にして、少し長い左足を振り上げることで登ることができた。蛇口の下の洗面器に溜めてある水に両手の断端を浸して洗うと、また右足に体重を乗せて左足から階段を下り、食事のテーブルに戻ってきた。当時もいまも、歩くときの軸足は短いほうの右足だ。


 二歳半を過ぎると、本格的な義足訓練が始まった。

 身体の成長につれて両足で立つことができるようになってきたので、それまでより義足を高くし、足部を靴のような形にした義足で歩行練習をするようになった。
 
 すると、私の映像から笑顔が消えた。それまではどんな練習をしているときも、子どもらしい笑顔を振りまいていたのに、口をへの字に結んで、ムスッとした表情をしている。義手の練習のときとは大違いだ。三歳にもならない頃の記憶など、普通は残っていないはずなのに、私はいまも義足の練習をさせられているときの不快感を鮮明に覚えている。

 なぜ、それほどまでに義足の練習がいやだったのか。

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