見出し画像

全国の中高生、それで本当に悔しくないのか?

先週の土曜日は、こんな記事を投稿した。まずはこちらをお読みいただきたい。

私たち日本人は、「ルールを守る」ことは得意だが、「ルールを変える」ことはあまり得意としていない。それどころか、ルールを変えようとする人を批判しようとする空気が強い。

こうした習性は、国際競争をしていく上でとても不利に働くことが多い。

古くは、「バサロ泳法」が思い出される。現在、スポーツ庁長官を務める鈴木大地氏は、1988年のソウルオリンピック「100m背泳ぎ」で金メダルに輝いた。このとき勝利の原動力となったのが、潜水してドルフィンキックだけで進む「バサロ泳法」だった。鈴木氏は、なんと100mのうち30mをバサロで、つまり潜水した状態で進んだのだ。

その直後、国際水泳連盟はルールを変更。バサロ泳法による潜行距離は、スタート、ターンともに10mまでとルールが変更されてしまった経緯がある(現在は潜行距離は15mまで認められている)。

1998年の長野オリンピックでは、スキージャンプ競技において日本選手団がラージヒル団体で金メダルを獲得。ラージヒル個人でも金メダルに輝いた船木和喜選手のジャンプには、五輪史上初めて審判全員が飛形点20点をつけるなど、「世界一美しいジャンプ」と称された。

だが、長野五輪の翌年、突然、「スキー板の長さは身長の146%以内」というルール変更がなされた。スキー板は長ければ長いほど有利と言われる。欧米に比べて小柄な選手が多い日本人には不利なルール改正だと言われた。

また、F1の世界でも同様のことがあった。ホンダのターボエンジンを搭載した「マクラーレン・ホンダ」が1988年シーズンで16戦中15勝と圧倒的な強さを誇ったため、翌年よりレギュレーション変更によってターボが禁止になった。

これ以外にも、フィギュアスケートやバレーボールの世界でも、当時、国際的に活躍していた日本人選手や日本チームの強みを消すようなルール改正が行われ、その結果、苦戦を強いられるようになったという指摘がある。こうした例は枚挙にいとまがない。

日本ではこの状況を、「欧米が日本潰しのため、強引にルールを変更。日本はそれを跳ね返すべく鍛錬に励んだ」というストーリーとして描きがちだ。しかし、「なぜ日本はルール変更に異議を唱えないのか」「そもそも日本がルールメーカーになれないのはなぜか」といった文脈で語られることはあまりない。

興味深い本がある。これはホンダで海外の販売店開発などを担当してきた著者が、ビジネスの観点から欧米と日本における「ルール」に対する価値観や考え方の違いについて解説したものである。

この本を読むと、日本と欧米では「ルール」に対する考え方がまるで違うことがわかる。日本ではルールを「上から与えられるもの」として捉え、だからこそ「ルールを守る」ことを至上命題とする。それに対して、欧米ではルールは「自分たちでつくるもの」と捉えている。だから、勝負の前提となるルールづくりに対しても、彼らは全力を尽くすのだ。

著者はまえがきで、「勝負は、ルールの作り手が有利になるもの。日本人や日本企業がルールを守るばかりで、ルール作りに無関心なままでは、不利な闘いを続けるしかありません」と書いているが、私もこれに賛同する。

今度ますます加熱していくであろう国際競争において日本が勝ち残っていくためには、少なくとも「ルール」に対する姿勢を改めていく必要があるのではないか。「ルールを守る」ことは大原則だが、「ルールをつくる」「ルールを変える」ことに対しても、もっと積極的に取り組んでいく必要がある。

だから、私はこのプロジェクトにどうしても賛同することができなかった。

            ------✂------

ここから先は有料公開となります。

個別の記事を数百円ずつご購入いただくよりも、月に20本近い記事が配信される定期購読マガジン(月額1,000円)をご購読いただくほうが圧倒的にお得です。

記事の更新はみなさんからのサポートに支えられています。ぜひ、この機にご登録をお願いします!

「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.mu/h_ototake/m/m9d2115c70116

ここから先は

1,263字

¥ 300

みなさんからサポートをいただけると、「ああ、伝わったんだな」「書いてよかったな」と、しみじみ感じます。いつも本当にありがとうございます。