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こんな夜中に徒然に映画に関する何かを書くはずが脱線する

こんなタイトルですがそんな壮大なこと書くわけではないので
くれぐれも過度な期待はご遠慮下さい。

以前、日本のホラー映画(和製ホラーとか呼んでたかも)と海外のホラー映画って全然テイストが違うねえ、的な会話をしていて、その時に喋りながら「ああ、こういうことかー」って納得したのが、

【海外ホラー:パニック映画的手法?要所要所で恐怖の対象が画面に現れ、それが具体性を伴って見る側をも追い詰めていく】

に対して

【和製ホラー:恐怖の対象がとことん画面に晒されず、見る側は次々に起こる事象や兆候に対して「勝手に」恐怖の対象を思い描き、ソレに対して恐れ怯える】

みたいなところあるよねーって話になったんですよね。

今になってみればこんな構図でなんて分けられないとは思うのですが、かつてのステレオタイプな感じの映画感で言えば、だいたいこんなイメージで洋モノと和モノを捉えていたなあ、って。

そういうモノサシで言えばリングは割と特殊だったのかもしれない。
だって最期には貞子オンステージだし。
呪怨にしても、結局恐怖の対象がバリバリ画面に出てくるわけで、やっぱり私の妄想した和製ホラーって何か偏ってたというか定義がズレてたのかも。

で。

そんな感覚な私が当時スクリーンで観て
「これは…ひどい(褒め言葉)映画だ…」と絶句したのが
ブレア・ウィッチ・プロジェクトだったんですね。いつの話だよ。

物語と、ソレによる映像の定義がまず斬新ではありました。
手ブレも隠さぬ潔さ、そりゃそうだ民生機だもん。
ブレるに決まってるわ、とかそんな重箱の隅はいいんです。
それゆえの生々しさ、却ってライフログとしての映像感を際立たせてたのが印象的でした。

そしてことごとく最期までスクリーンに直接登場しない【怪奇】の数々。
最期まで…いや、最期になっても写ってなかったような。

あの話の怖さの軸っていうのがあるとすれば、捉えようのない何かに追い詰められていくことで壊れていく主人公たち3人の思考を克明に記録している点で、言い換えれば人間の隠しようのない脆い部分を浮き彫りにしていることと、ソレと同時に彼らを追い詰めていく絶対的な何かが確実にいて、その正体不明な何かを観る側が「勝手に」妄想していくことで初めて生まれる、文字通り「恐怖の元凶」に対して観る側が恐怖する、この2つの軸が絡みあうことで生まれる【日常からの隔離と崩壊する良識】みたいなものに集約されるんじゃないかなとか。うまく表現出来ないなあコレ。

だから、あの話で主人公たちに起こる数々の怪奇現象から「恐怖の元凶」を妄想できない人は「何よコレ」って駄作の烙印を押すし、妄想が過ぎる人はその日映画館から帰る途中で「もしかしたら私はもう二度と家に帰れないかも」とか行き過ぎた妄想に恐れおののくわけです。ごめんなさい少し盛ったかも。

さておき、そんな構図でブレア・ウィッチ・プロジェクトを解釈して「この映画は私の周囲には評価されないかもしれないけれど、私の中ではトップクラスの恐怖映画だ」と思っているわけですが、コレに若干似ているような…だけど真逆な展開、何か他にあったなあ…なんだっけ…

ああ、思い出した。新世紀エヴァンゲリオン(TV版)だ。

あの当時、私は高校生だったのですが正直に白状するとあのアニメの面白さがさっぱり分からず、各話ごとのバトルシーンに盛り上がるも、話の本筋については「んー…」といった感じ。
しかも最終回が体育館みたいなところで「僕はココにいてもいいんだ!」って戦いはどうしたんだよドコにいようが勝手だけど話のオチがまるで意味不明じゃないか、って感じで堂々と「クソアニメ」認定して以来、時間を割く気にすらなれず劇場版も一切観ない、単行本は途中で売っ払ったなどなど、要するに完全に見限ったわけでして。

そんな一方で、あの話は実に深い!的な解釈をして、「お前にはあの話が理解できないか。まあ仕方ないよね」みたいな感じで「私には解る」を展開しては悦に浸る人が割といっぱいいたもんで、ソレに対して辟易していたのも実際あったのかもしれないなーなんて。

軽く脱線したけれど、結局のところ、物語が全ての要素を克明に表現しなければいけないなんてことは無くて、むしろ観る側に判断を委ねることで、初めて造り手の意図を超えたレベルで観る側が何かを感じ取ったり物語を体感する、みたいな部分ってあるよなーって思うわけです。

あの頃の私はエヴァの世界観とか物語の伏線なんてそこまで読み解こうとしてなかったから、あのTV版のオチに辿り着いたとしてもそこに何かを見いだせなかった…のかなあとか。

ぶっちゃけ、あの頃ドヤ顔で物語の解釈を独自理論で展開しては、そこに到達できなかった私を「仕方ないよね、難しい話だから」感満載に見下す輩に対して「お前はアレか、裸の王様のお召し物を必死に褒めまくるクチか」とか悪態じみたことを思わなかったわけじゃないです。いやマジで鬱陶しかったけど。

さておき、物語にせよ何にせよ、その事象やコンテンツなどをどのように解釈するかは受け取り手に委ねられているわけですから、味わうがごとく満喫するも良し、その逆もまた然り。

そんな自由さがこの世界にはあるわけです。
だからこそ、徹底的にスルメがクチの中でイカに戻るくらい噛み締めて満喫するのも立派な楽しみ方だと思うのです。
そうすることでたどり着ける解釈の仕方もあるでしょうし、その過程で様々な思考の寄り道があったりして、それ自体が楽しいことだったりするわけで。

同様に噛み締めないこともまた自由。

だからアレだよ、私が言いたいのはエヴァに興味ないのを
「え、どうして?!」って顔するの勘弁してくれぃ!ってこと。

…いやいやそこじゃねえってば!!
こうして何かを書こうとしたはずが脱線していく、という話。

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