見出し画像

推しイタリア俳優と友人になり、彼の旅を見送るまで

イタリア俳優リベロ・デ・リエンツォのファンになって早5年。そして7/15はリベロさんの命日でした。
悲しみに暮れたあの日から2年が経ち、私も少しずつイタリア映画を純粋に楽しんで見れるようになったので、彼とのやり取りを少しだけここに記します。

まずリベロさんを知らない人はアマプラで配信している「いつだってやめられる」3部作を見てみてください。すごく面白いし、良いキャラしかいない。最近のイタリア映画はそんなに面白くないって言う人にはそっといつやめコンプリートBOXを渡したいくらいには好きなので是非。

遡ること2018年。「可愛い髭がいっぱいいるから見てみよう」と軽い気持ちでいつだってやめられる10人の怒れる教授たちを見た私は、なぜか髭が全く生えてない代わりに立派なもみあげを持つバルトロメオ・ボネッリが好きになりました。そう、このバルトロメオを演じていたのがリベロさん。

一度好きになると絵を描いてインスタに上げたくなる人間なので、いつやめにはまった後はものすごい勢いで好きなシーンやバルトロメオの絵を描いていました。いつもなら本人に届くようにメンションをつけますが、当時はリベロさんがインスタをやっていなかったので届ける宛先がなく、ひたすら描いては上げ、描いては上げを繰り返していました。あの頃の私を知っている人ならわかるはず。冗談抜きでいつやめの絵しか描いてなかった。

そして2018年8月末。今でも忘れないあの日、朝起きてインスタを開いたらイタリア人のフォロワーから1つのDMが届いていました。「今リベロと電話しててあなたの絵を送ったんだけど、それ見た彼があなたに電話番号教えておいてって」
…………え?
ジョークじゃないからと一緒に送られてきたWhatsappのスクショには本当にそのやり取りがあって、電話番号も送られてきました。嘘じゃなかったし、私のフォロワーにリベロさんの知り合いがいたなんて知らなかった…。すぐに仲介してくれた恩人をフォローバックしてリベロさんに震える手でメッセージを送り、その日から私はリベロさんとWhatsappでやり取りをする仲になりました。

以前リベロさんが主催したArtethicaというプローチダ島で行われたイベントがあり、またそのイベントをやるためにイラストレーターを探していたようで私はそのお誘いを受けました。
それ以外にもリベロさんは私との繋がりを大事にしてくれていたのか、ある日急に「息子のためにTシャツを作りたいんだけど、自分のデザインじゃ全然格好良くならないから手助けしてほしい」や「パナライト(映画やテレビ撮影の機材レンタルをしている企業)の知り合いと話してたんだけど、セットにいるスタッフに配るシャツのデザインを一緒にやらないか」など色々な話を振ってくれました。

全ての制作物に対してギャラはなかったけど、好きな俳優から必要としてもらえている嬉しさが勝って全然気にならなかったし、ラフを上げるたび逐一褒めて喜んでくれるその優しさだけでやり甲斐を感じていました。(もちろんArtethicaの件に関しては話が本当に進む目処が立ち次第ギャラのことも決めようという話はちゃんとしていました。)

この動画でリベロさん本人が一緒にデザインしたシャツを着てくれています。

結局Artethicaはポスターのデザイン案を上げてはいたものの、リベロさんの他の仕事との兼ね合いでイベントの実現はせず、近いうちに開催したいという話をしたまま彼は旅立ってしまいました。

何より辛かったのは、「またパパになったの知ってる?」と小さな2人目のお子さんの写真を送ってくれて感激した2年後に彼が亡くなったこと。そして会えるかもしれないチャンスが実際にあったのに会いに行けず、直接感謝を伝えられなかったこと。
いつだったかリベロさんからサンタマラドーナの監督かつ親友であるポンティ監督を紹介してもらって、そのポンティ監督から「今リベロと一緒にいるからイタリアに飛んでこい!」と言われたことがあったにも関わらず会いに行けなかった。そのことを悔やむ日が続いたんだから後悔してもしきれない。
コロナや自分の留学のタイミングが被らなければ本人に会いに行けていたのかな。どちらにせよそんな勇気はないまま会えなかったと悔やむのは一緒だったのかなと今でも考えてしまうことがあります。

そんなこんなで2年が過ぎて、私の心の傷も時間をかけて回復しつつあるものの、やっぱりこれを書きながら今まさに涙目になっています。そう簡単に立ち直れないほど、短くも深い関わりだったんだなと改めて実感せざるを得ません。
そういえば、私はどうしても自分はリベロさんのいちファンであるという認識が最後まで抜けなかったけれど、リベロさんはずっと私のことを友達と言ってくれていたことをふと思い出しました。いつやめ3にヴァルテルの部下役で出演していたジュリオさんがリベロさんの訃報を直接知らせてくれたあの日、私が珍しく人目を気にせず声を上げて泣いたのはもしかすると自分にとってもリベロさんは大好きな推し俳優であり友人だったからかもしれません。

イタリア映画の絵を描いているとたまに聞かれる「なんでイタリア映画にそんなにこだわるんですか?」という質問。自分でもイタリア映画が好きだから以外の理由って何かあるかなと思ってたけど、リベロさんとのやり取りを久々に振り返って気がつきました。私が留学して映画の勉強すると伝えた時に「じゃあいつか一緒に映画を作ろう」って言われたからだ。
リベロさんとの約束は果たせなかったけど、自分がイタリア映画の絵を描き続けたらいつかイタリア映画制作に関わる仕事ができるかも。そしたらどこか遠い場所でリベロさんも喜んでくれるはず…なんて気持ちが心のどこかにあるんじゃないか。そう考えると「イタリア映画が好きだから」だけじゃない大きな何かに背中を押されて描き続けているのかもしれないという気がしてきました。あの言葉に突き動かされているのはきっと間違いない。

近い将来イタリアに行って私とリベロさんを繋いでくれた恩人やポンティ監督に会って、リベロさんとの思い出話をしたい。そして自分の絵を使って、イタリア映画に関わる仕事をしてみたい。そんな野望を胸に私は来月からイタリア語教室に通い始めます。リベロさん、あなたは本当どこまでも影響力がある人だよ。

最後に。
私はリベロさんとのやり取りの中で何度かボイスメッセージを受け取りました。その中で1番心に残っているリベロさんからのメッセージを書いて終わります。
“I think we connect in some strange way we didn’t understand yet and now I know we’re brother and sister.”

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?