サイコーにツマラナイ理由はウソツキ
私の文章サイコーにツマラナイ。いや、お世辞とかいらないの。本当に本気でそう思ってるから。
文才無いわ。泣きたいほど、面白いことも書けないし、洒落たことも言えない。なんというか、絶望。
こんなので良く『小説家になりたい』なんて言えたもんだわ。恥ずかしすぎて尻の毛まで抜かれて鼻血も出ねぇぜ。
どうして、私はこんなにも面白くないのか。ふと、思ったの…『私はウソツキだから』って。
どういうことかって?私の野望は知ってるでしょ?人の心が動くようなそんな物語が書きたい。恋愛でも、友情でも、ホラーでも推理モノでもいい。『うわぁ…』って言わせたい。
それが一番の望み。
そんな『うわぁ』って小説書いて、みんながスキって言ってくれて、それでご飯が食べられたら素敵だなって思ってるの。
だから、マネタイズとか記事への課金も抵抗は無い。真似をするんだ。
すごいよね。有料記事は勉強になるものも多いし、素晴らしいものばかり。自分の指針になる。
でもさ、この程度なの?って思う記事もある。この程度なら私だったら無料なのになぁって。どの面下げて言ってんだって笑っていいのよ。でも本当にそう思うの。みんな一生懸命考えて、頑張ってるのにね…。
私の醜悪たる心。本当に嫌になる。そして一度そういうモヤモヤが生まれると中々消えない。
普通の文章が書けない。ネタが降りてこない。
それでも何か紡がなきゃって、絞り出した言葉が面白いハズないじゃない。
真っ黒な妬みと嫉みを隠したウソツキの文章。自信が無くて、上手くもない文章に価値を見いだせない。
そんな文章が一生懸命前だけを見て書いたものに勝てるわけ無い。
どうすればいいか、なんて明白。全部捨てちまえばいいんだ。しがらみも、浅ましさも、一旦空っぽにしてしまえ。
そもそも、noteを始めた理由はなんだっけ?
文字が書きたくて書きたくて、仕方なかったからだ。だから、書けばいいんだ。
素直さは、どこへ消えたのだろう。わくわくと楽しく、踊るように文字を書く。それが私じゃなかったのだろうか。
どんなに日常が暗くても、どんなに毎日辛くても、そんなことを忘れるくらい楽しく書く。それが最初に掲げた熱い気持ちだったはず。
どうしてブレてしまうのかね。人間、嫌になる。勢いだけで突き進もうとするからだ、はは反省だ。
でもね、人間だからやり直せるのよ。修正出来る。私は、何度も立ち上がる。何度も挑戦する。頑張れよ、って自分を励ます。
そうやって書いた文章は、ツマラナイかもしれない。誰にも届かないかもしれない。
それでも、一生懸命書いたものならば、それでいいって思えるきっと。
私はウソツキだから。
どこかのアイドルみたいに完璧にウソを突き通せたら、それはそれで素敵なことだなぁ。
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