農業とトレイルランニングをコネクトし続けている物静かな鉄仮面・イケル・カレラの肖像

 2014年に誌上で取り上げた記事を加筆修正をして懐かしむシリーズ「イケル・カレラ編」。UTMFに出場した4選手を連続インタビューした中で、今でも印象に残っている彼を、オマージュ的に再録します。

 2011年のUTMBで王者キリアン・ジョルネとデットヒートを繰り広げた姿が印象深い。もうあれから8年も経っているのか。

また、2013年にイタリアで行われたトル・デ・ジアン(距離330km、累積標高24,000m、制限時間150時間)という超ウルトラトレイルレースで、70時間という驚異的な大会新記録で優勝したとんでもないランナーというイメージのみが、インタビューに臨んだわずかな情報だった。

 あまり笑わない表情から「鉄仮面」と揶揄されることもあるイケルだが、初めて来日したUTMFでは、序盤トップ争いをしたものの途中で右足の痛みもありリタイヤしてしまった。その翌日、インタビューは静かに始まった。

「日本に来たのは初めてです。去年の12月か1月に行くことを決めたんですが、その時は、痛めた膝の調子も戻るだろうと思っていました。でも、下りを走ると痛みが出てしまい、天子山地からの厳しいセクションを考えると、シーズンの序盤でもあったので無理をしない判断をしたんです」

 実は、イケルはプロのランナーではない。多くの人たちと同じように働きながら競技をしている”市民ランナー”のひとりだ。

「地元スペインの山岳地域で、農業の振興に携わっていて、農業組合(日本でいう農協)で仕事をしています。そこでは、新しい技術を取り入れたり、品種改良を行ったり、灌漑設備を計画したりしていまして、大学を卒業してからずっと16〜17年くらいかな。職業はプロランナーではなく、農協で働く職員なんですよ」

 では、なぜそんなに強いのか? それは、彼が育った環境に依存するものだった。

「競技としては2003年からなんですが、私はスペイン・バスク地方の山村に暮らしていて、父親が農場を経営していました。だからか、山がそこにあるというのは、私にとって特別なことではありませんでした。むしろ、山は生活そのものだったので、スポーツですらなかったくらいです(笑)。
 例えば、家から学校まで1kmなんですが、通学で往復2kmになりますよね。ランチは実家に戻って取っていたので、また通学するわけで、合計で毎日4kmの道を通っていたことになります。この環境は、他の子と比べて自然に触れる機会が圧倒的に多いということでもありますし、結果的に持久力がついたんだと思います。だからですかね、長い距離は速かったけど、100mとか200mとか短い距離はそうでもなかった(苦笑)」

 彼が長い距離を走る上で一番大切にしているのは、モチベーションだと言う。

「モチベーション。つまり、やる気を保つことです。モチベートは、気持ちを上げることに注力しがちですが、もちろん、それは大事なんですが、もっと大切なのはそのモチベーションを高い次元でキープすることだと思うんです。モチベーションをキープしようと意識すると、細かいことにまで気を払うことが出来ます。逆に言うと、キープすることにズルをしてしまうと、細かい部分に気を回せなくなりますし、モチベーションがなくなってしまうんです。これはエンデュランスレースを走る上での大前提だと考えています」

 家族の理解と協力の中、ランと仕事を両立させて続けている競技だが、イケルのモチベーションの源泉は、彼らしいストイックな視点にあった。

「モチベーションの源泉は、とても個人的なものです。目の前のレースに対して自分のキャパシティがどれほどあるのか、自分の限界に挑戦するというシンプルな考えがモチベーションに繋がっています。世界にはいろんな大会があって、そこにはいろんなコースがあって、それぞれ違う環境化に置かれた時、自分はどう適応出来るのか、自分の中の能力をまだ高めることが出来るのか、自分は何を発揮して、何を得られるのか、そういうことが重要だと考えています」

 イケルは「コミュニケート」という言葉を多用して、自然との関わり方を話し始めた。

「私たちは生活をしていて毎日違う感情がありますよね。楽しかったり、幸せな時もあったり、そうでない時も。でも、私にとって山は、いつも気持ちを落ち着かせてくれるものです。自然と向き合うことは、一人の人間として、自然とコミュニケーションすることであり、自分が自然に対してオープンマインドでいることが大切だと思っています」

 彼のこの考えは従事している農業にも繋がっている。

「トレイルランニングも農業も、自然とコミュニケーションするという点で同じです。よりよい農業を行っていくには、土や動物や植物とコミュニケーションしなければいけません。例えば、動物や植物が調子悪くなった場合や、バクテリアが繁殖したりするときも、自然が僕らに対してアクションを起こしてくれていて、教えてくれていることだと思うんです。今の農業は自然とコミュニケーション取ることを忘れてしまっています。うまく育たないからと農薬を使ってしまうことは、そもそも自然とコミュニケーションが取れていないことから生まれるのです」

 残念ながらイケルはリタイヤしてしまった。シーズン序盤の今、この事実をどう受け止め克服しようと考えているのだろうか?

「今回のレースは、私だけでなく多くの選手がリタイヤされた厳しいレースでした。リタイヤってショッキングな出来事で、自信を失ったりすることもあります。ですが、まず、それぞれの理由を見つけることが大事です。私は今、自分に対して沢山の問いかけをしています。いくつかの答えは出ているけれど、もっと知ることになると思います。こういう状況があるということは、自分はもっと強くなれるだろうと前向きに考えてもいます。だけど、モチベーションを持って行うことが重要です。そうでないとネガティブな問いかけをしてしまって、良くないことに繋がることもあります。私が日々実践していることはトップアスリートだけの特別なことではなく、全てのランナーに共通することです。だって、私たちはみんな、同じ人間ですから(笑)」

 日本は豊かな国で景色もきれいだと耳にしていたイケルは、仕事としても日本に興味を抱いていたようだ。時間が許す限り、日本の農業の様子も視察してみたいと言っていた。

 朴訥で物静かな鉄仮面は、質問の1つひとつの単語に頷き、きちんと飲み込んで自分の言葉に置き換えて答えてくれた。そのつぶらな瞳に奥には、静かに燃えたぎる情熱の固まりが垣間見えていた。


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Yamada Hiroshi

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