障害児を抱えて日本で幸せに暮らしてますけど、何か? 3

 由比ヶ浜は、車椅子でも海を楽しめるようにと、様々なサービスを進めてくれています。こういう運動も、息子がいなければ気づくこともなかったし、感動することもなかったんだろうなと思うと、寂しい感性の持ち主だったのかなあ。

親子入園はやってよかったよ。

 息子が手にした障害者手帳1級。障害者、18歳未満の方は障害児。現在の日本において、健常者が作り上げた社会との間に障害がある方を障害者とする、というのは後付けにしてはいい文章だなと感じた。初めての子供なので、首の座りが遅いとか、言葉が出てこないとか、全然わからず、毎日毎日夫婦で可愛い可愛いってはしゃいでいた。家内も私も、息子が脳性麻痺だとか、障害があるだとか、そういうことを自分へのネガティブとして捉えることはない。当たり前のことだ。息子には息子の人生がある。彼が成長をしていく中で、様々な健常者の社会との間に生まれるであろう障害は親である我々が全力で取り除いていく。彼の人生を我々が悲観的に考える必要はないし、それは親としてどうかと思う。精一杯親として楽しませればいい。その考えは、今でも変わっていない。

 …だからと言って、自分たち夫婦で全てを乗り越えることは困難であり、相変わらず国やら県やら区に助けてもらったし、私が子供の頃に比べて差別も少なくなり、システムも充実していた。有難いことですよ、本当に。

 心身障害児総合医療療育センターには、「親子入園」というシステムが存在した。子供とその母親が、数グループでおよそ一ヶ月生活をするというもので…詳しくは愛すべき妻に聞かなきゃ分からないし、思い出せないんだけども…まあそういうものがあった。この一ヶ月間、私は会社から小茂根に通ったり、(ダメだけど)一緒にお風呂に入ったりしたなあ。ちなみに大浴場だった。お風呂掃除もしたっけかな。週末にはこの施設内にある来訪者専用の宿泊施設があり、そこに泊まったりもした。お泊まりもできたんだけど、この頃の心身障害児総合医療療育センター(通称小茂根)の施設は全体的に薄暗く、夜になるとまるでバイオハザードの世界観に入り込んだかのような恐怖感で満たされた。病院とも違う静けさの中、部屋も宿泊施設とは名ばかりの小さな部屋で、大きな窓から庭が一望できるんだけど、真っ暗闇の中に誰にも使わなくなった錆びれたブランコが…。これ風もないのに絶対揺れるやつじゃん。ってわめき散らしていたのを思い出す。今現在、この施設がどうなっているのか定かではないのだが、通っていたお父さんたちは皆震え上がっていたに違いない。

 この一ヶ月間で息子は、「立てない」と言われていた事実を退け自立を覚え、毎日泣きじゃくりながら訓練を続けた。家内は同じく障害を持った子を持つ母親たちと知り合い、持ち前の明るさで多くの友人を得た。10年以上経った今でも、たまに連絡を取り合う仲になって、この間でいっぱい色々な経験をさせてもらえた。

 人は一人では生きられない。ガンダムの歌だけど。本当にその通りで、もし子供に障害があり母親が一人で苦しむなら、その苦しみは夫婦で。夫婦で抱えきれない苦しみは家族で。家族で抱えきれないなら仲間たちで。そうやって人は重たい荷物を分散させ、強く生きていくんだなあ…と感じた。重たい荷物をはなっから持とうとしなかった私たちではあるんだけども。



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