見出し画像

日記hibi/ 2018/12/24〜12/30

12月24日(月)
祝日なので覚悟はしていたが今日は人がこない。ましてやクリスマスなのだ。遊び、飲み、たのしくすごしてほしいクリスマス。一晩遊び、あるいは一人で粛々とすごし、そして朝、心を落ち着けたりなにかに反省したりするために本を読めばいいのではないか、クリスマス。だからきっと今日は暇なんだろうなと思っていて、それでやはり暇だった。が、少ない中でも嬉しい方がいらっしゃり、嬉しくお買い物していただき、ぼくも嬉しくお話をした。嬉しい。年末だからだろうかやはり、ごあいさつに来ていただけるのはとてもありがたいし嬉しいことで、ほぼその売上だけで店は閉じられようとしているが、まぁそれは良い。良いのだ。心は満たされていて、それで家で、柄にもなくケーキなどを買って食べ、というかケーキを買ってきましょうね、と相方を約束していたため蔵前のいつもお世話になっているケーキ屋さんに向かうと当たり前なのだけれど多くの人がケーキを求めに並んでおり、そして店内ではいままで見たことがないほどの人が働いていた。ぼくは、並ぶ、であったり、みんなが同じものを同じように買い求めたり、その多すぎる需要に対してお店の人が限界まで頑張って働いている様子、それらすべてにただようピリピリとした雰囲気、というのがすごく苦手で、人が集まる、並ぶ場所からなるべく遠ざかりたいと思っているのだけれど、クリスマスのケーキはまさにその渦中のところで、それで、人が並んでいる、ぼく以外のひとの多くがケーキを買い求め、そしておそらくこの美味しいお店のケーキはぼくが買おうが買うまいが売り切ることができるのだろうと思うと、その列にならぶことが急に恐ろしくなって、それでなんどか行ったり来たりを繰り返して、それから近隣のもう一件の、正直言うと流行っていないケーキ屋はどうかと向かうとそこはそこですでに売り切ったようでしまっていたので、それで仕方がなく、急に早くなる鼓動を抑えながら最初のお店に戻り、それで意を決して並んだところ、お店のかたはとても良くしてくださり、今日はこの数種類のケーキしかないんですけど、とご案内いただき選ばせてくださったので2つのケーキを買うことができた。なんで、こう、人が殺到しているところがこんなにも苦手なのだろう。好きな商売が本屋で良かったとつくづく思う。しかしこれはこれで、みんな家に帰って美味しくいただくのであろうな、それはハッピーなことだな、ハッピーのため頑張ってくださっているのだなケーキ屋さんは、だとしたら敬意をもって丁寧にいただこうと、妙な熱意とともに帰宅した。
ケーキはとても美味しかった。ハッピーだった。

12月25日(火)
朝から『ニューQ』の追加依頼のメールが来ており、「つきましては年内にほしいのですが可能でしょうか」とあったので、えー、めっちゃ大丈夫です、宅配便だし、とお返しして、荷造りして送る。年末年始も働いてくださる宅配便の方には頭が下がる。適切に、休んでいただきたいが、しかしありがたい。それで発送などして、それから他の本、というかこの年末……、年末! 昨日のクリスマスを受けて、年内にお届けいただきたいメールを見たことにより、この年末、という感が一気に押し寄せてきて、それで文章にも反映されたのをいま書いていて実感したのだけれども、その年末には、月〜金で働いているしごとの新刊と、取次の新刊と、編集で関わっている本の新刊が入れ替わり立ち替わり出たり発送したりしていてずっと混線するような感じで、慌ただしく働いているのだけれど、その一つの新刊の、精算、印税とかのあれこれについてご連絡を行って、これでこの本は一段落、だろうか年内は(年内!)ということになって安心していると、編集で関わった本、の搬入が行われたという連絡があり、喜んだ。出来はどうなのだろうか、早く実物が見たい、実物が、というはやる気持ちがあったものの、明日に出荷の作業をまとめてすることになっていて、発送用に納品書やクリックポストなどの登録をしながら、搬入したという連絡とともに本の写真を見て気持ちを紛らわせていた。
『ゆたかな社会』。だんだんちょっと複雑になってきたというか、言葉がすっと頭に入らなくなってきて、これはちょっと小説がよみたいな、そろそろ読みたい、と新宿のブックファーストに行って、もともと買うつもりだった『天冥の標Ⅹ PART1』と『無限の玄/風下の朱』を手にとって買って帰ってきて、しかし『天冥の標Ⅹ』は1月、2月と連続刊行で完結するという情報を得ていたので、これ例えばいま読み切ってひと月待つ、というのはつらすぎるのではないか、10年間も付き合ってきた大好きなシリーズの完結巻はまとまって一気に読みたいのではないかと、そのまま保留することにして、『無限の玄/風下の朱』は、年始の読書会の課題本で手に取られたが、思いのほか薄いというか、すぐ読めそうだったので、これも根を詰めて、年末年始などで一気に読んだほうがいいのではないか、と思われ、それで結局『ゆたかな社会』を読んでいる。年末、という気持ちになると、なんだか身構えてしまって、どうでもいい算段ばかりしてしまう。年末年始の読書や作業予定は計画通りに進んだ試しがない、がいまの段階であるのは「希望」、だけであることに間違いはない。本が読める、かもしれない、という希望。

12月26日(水)
朝からSNSがなにやら騒がしくなっていて見てみると、これは、正確には昨日のリリースで、セブンイレブンで新作の絵本を先行発売するのだ、というようなニュースが流れてきた。

やりたいことはわかるけれど、ひどい話だなと思って、それはつまりひどい話だな、ということで、やりたいことがどんなに理解できてもひどい話はひどい話でぜんぜん共感できないわー、みたいな案件だった。コンビニで展開することで新しい本とのタッチポイントにする(わかる)、セブンイレブンだけで売ります(わからない)、先行発売で4月からはどこでも買えるようにします(とてもわからない)、という感じで、タッチポイントを本当に増やしたいんだったら書店でもセブンイレブンでも同時に買えればいいし、セブンイレブンのPB商品に近い扱いでやるのだったらちゃんとセブンイレブンだけで売ればいい、というか、なんならセブンイレブンに協力金も出してもらって代わりに買切で安く卸して責任持って大々的に売ってもう、みたいなことならなんだか双方ハッピーな気もするし、買う人もわかりやすいだろうな、というか、そうしてくれないとむしろ問い合わせ受ける本屋さんがかわいそうというか、お客さんに「これセブンイレブンだけで売っている本だからそこで買ってね」と伝えるか、「これいまはセブンイレブンでしか買えないから、いまほしいならそこで買って、あ、うちでは4月からなら売れるんだけどね」と伝えるかは、なんか、もう本当に、後者は屈辱的と言うか、出版社に舐められてる感じがするうえ、セブンイレブンはセブンイレブンで三ヶ月展開したら、すっと、4月からお店で置くことはないんだろうなみたいに思うと、まじで本もかわいそう、だれもにちょっとづつ配慮した結果、だれもがそんなに喜べない施策、みたいな、愛がないなー、愛もないし、実益もないなー、みたいなリリースで、辟易してしまった。辟易してしまった残念企画だと思われたのだけれど、よくよく考えると、本は本屋さんならなんでも手に入る、扱える、って結構珍しいなという気もして、コンビニの独自開発ってわりと、実はこれが始めてじゃなくて本も過去にあるんだけど、お菓子とか、雑貨とかすでにいっぱいあるけれど、文房具屋さんで、あのセブンで売ってるペン、マジで最高なのになんでウチの近所の文房具屋にはないの、みたいなクレーム入らないんだろうな、いや、本当は文房具屋さんの苦労や屈辱はものすごいものがあって、いつも根に持っていらっしゃるのかもしれないけれども、イメージとしてはぜんぜんなくて、本、特に有名な作品や作家の本が本屋さんで買えない、みたいなことってほとんどないんだな、というか、それ自体珍しいんだなー、と。それこそ、セブンイレブンの担当者は文房具と同じ感覚でメーカーである出版社に話持ちかけて、普通に企画詰めて、普通にリリースだしたら、なぜか本だけ反発多くて困惑、みたいなことなんじゃないだろうか、というかきっとそうなんだろうなぁ、という気がする。文化の違いと言うか、市場傾向の違い、が大きくあるように思え、だから本が特別ということで持ち上げるつもりはないんだけれども、人にやさしく、丁寧なしごとを心がけたいな、とは思う。

それで、気持ちも落ちがちなまま昼過ぎまで過ごしてしごとをして、夜に双子のライオン堂に新刊のチェックと発送作業に赴いた。今日これ、200冊くらい発送手配して、残りはもって帰ろうかと思うんだけどどうか、と、何百冊でもカートで運ぼうとする性分なのでそうメールすると、それは明らかに異常な大変さ、ということを察してくださったのか、閉店後であればHABまで車で運べるけれども車を家から取ってくる必要があるので店番を変わってくれれば、とたいへんありがたい提案をいただき、「変わる、変わる、ぜんぜん変わるよ―。どうせ荷造りさせてもらうのだから店に居るし」ということで、ライオン堂で店番をしながら荷造りをすることになって、向かい、荷を作り、店番をしていて、合間にパソコンでメールのやり取り(重版するんですけど紙が廃盤になっちゃったみたいで、あの、これどんな紙に変えるのがいいでしょうね。どうしましょう?)などもこなし、これ、やっていることHABの店番となんにも変わんないな、落ち着くな、と思いながら小一時間こなしたところ車を取ってきていただき、大感謝! して荷物を積み込んでHABに向かった。向かった先でごはんなど食べ、そうするとなんと荷造りも手伝ってくれるとのことだったので、2人で深夜に荷造りをすることになり、残っていた荷物をガンガン作り、浅草の深夜まで空いている郵便局に投函し、ここまでくるとお近くのReadin’Writin’さんは、直接投函してしまおう、となって、そのまま店の前まで行くことにして、向かってみると、というか向かう途中で、「あそこポストってあったけ?」「うーん、シャッター降りるとどこにもない気がする」「や、でもポストない物件とかほぼないのでは。きっとあるのでは」と希望的解釈に基づいて向い、見ると、「ないwwwww」という状況が訪れ、なんだかもう夜も深まっていてそのせいか既に面白かったので面白く周辺でポストを探すと、「やっぱりないwwwww」となって、もうどうしましょうね、これ、ここまで来て郵便ポストに投函ですかね、と諦めかけるも、そもそも郵便局の方は何らかの方法で投函しているはずと、さらに見回った結果、たぶんこの、ギリギリ屋内とも言え、ほぼ人が立ち入らないであろうこの空間、ここでは? とその扉を開けるとポスト同じように郵便が置かれていたので、「ここーーー!」となって、置いていくことにして、「置きました」との一報をメールで行い、それで今日の納品は終了した。
たのしかったので、家に帰って気持ちよく眠る。

12月27日(木)
朝が早いので目が痛い。昨日深夜まで騒いで納品を終えたところで、気持ちよく眠ったはいいものの、今日は早朝から店、これは下北沢のB&Bのほうだけれども、そこの大掃除があり、普段より三時間近く早く家をでることになり、電車に揺られながら向かった。B&Bなどに直接納品する『しししし』を担いでいる。担げども眠い。
掃除を終え、B&Bへの『しししし』の納品も終え、せっかくまち=下北沢まで出たので銀行に寄り年末年始のお支払いを済ませることにして、そうすると年末の、銀行の担当者への挨拶、というような方も銀行には訪れていて、銀行とそのようなお付き合いをするのはどういう、どんな感じの借り入れや投資などをするのだろうか、と、銀行をツールとしてしか使ったことがないぼくは思うのだけれど、ひとが窓口に立ってやっている以上は交流があるのだよなと、ATMに向かいながら思う。
代々木八幡にある事務所に帰って、一区切り、というところまでしごとをこなすと、では、そろそろ、とそわそわしながら初台のfuzkueまで向かうことにした。グーグルマップさんにきいたところ徒歩で15分程度とのことで、たいへんうれしいことだけれども『しししし』のご注文を頂いていたので、そのまま店に納品に伺うのが良かろうと、朝が早い今日は途中で中抜けくらいしても問題あるまい、なんなら小一時間ほどそこで過ごそう、と、そわそわしながらしごとをしていて、それで機を見て歩いて向かった。ここから向かうと商店街を逆から通ることになるのか、住宅街を通り過ぎて商店街っぽいところに入っていき、そうすると、fuzkueに行く前に、元本屋、であったであろう物件があり、それはあきらかに「本」の看板を掲げている本屋で、そして、明らかに「元」であるところの証左として、その物件の軒先では大量のしめ縄が売られていた。

「本」の脇でしめ縄。なんだか、これはいいな、季節感があって、なにか、役割を終えても使われているということはとてもいいものだ、と思って凝視しながら通り過ぎた。むかし、元本屋だった物件を集めた写真ZINEをつくろうと思ったことがあって、店を始めたことでぜんぜん外出できなくなってしまって頓挫したのだけれど、建物には本屋っぽいなぁという部分、本屋であるからには本屋っぽさがどこか残るよな建物には、と思っているところがあるし、いままさしくそういう光景が広がっていてうきうきしている。
fuzkueまで行き、行ったところでドトールを発見して、「ドトール」、これがあの! という気持ちで、向かい、向かうといかにも「初台のドトールです」というロケーションがあったためパチリと写真に収めた。

最近の読書日記でよくドトールが出てきており、fuzkue近くのドトール、ドトール……、といまいち意識していなかったため場所を確定させたいと思っており、本当にドトールあったー、みたいな、聖地巡礼みたいな気持ちでパチリした。そこからfuzkue。
『無限の玄/風下の朱』。
あ、これ、すごい、すごいものを読んでいる、読んでいるしここはfuzkueで、なんだかもう完璧なのではないか、すごい本とすごい場所でふさわしく読めているこの瞬間は完璧なんじゃないか、これは、と衝撃に次ぐ衝撃で、1つ目に入っている『無限の玄』を一息に読み終えると、すでに2時間がたっていた。

「そうしてずいぶんと長いこと、叔父は穏やかに過ごしていたが、姿勢を崩し、背もたれに頭をあずけたと思ったら、ふっと穴に落ち込むように眠ってしまった。僕は和室から毛布を持ってきて、その細い体にかけた。部屋の明かりも落とした。縁側の照明はそのままにしたが、こちらまで届くのは光の裾の、すり切れておぼろになったような微光ばかりで、全体が影になって皺の消えた叔父の寝顔には、見覚えのあるあどけなさがそのかわりに浮いていた。僕は毛布の上から叔父を抱き、僕だけが知ったままになっている千尋の強さや、幸せが、胸から染み出していくのを願った。
目を閉じると、腕に叔父の鼓動を感じた。その小さな命の証は、やがて僕に赤ん坊を連想させた。自分の子ではなく、僕は甥を抱いているつもりでいた。どうせガキだろ、お前が欲しいのは、と父が兄に囁いたあのとき生まれた甥を、腕の中で眠らせているつもりでいた。かわいそうに、と甘い匂いの中で思う。まだ殴られもしないのに、もうこんなに愛されている。
『無限の玄/風下の朱』(小谷田奈月、筑摩書房)P.103~104

お会計をして店の外で少し阿久津さんとお話をして出る。なんだか夢うつつで事務所まで帰ってくるとそこは当然のように仕事場で、さっきfuzkueで飲んだにも関わらずコーヒーを淹れてまたのみ、残ったしごとを進めていた。帰りながらもう一遍の「風下の朱」を読み始めて、家に帰ってからもビールを飲みながら読んで、読み終わって、レモンを漬けた。普段から、レモンスカッシュとパナシェが好きすぎて自宅でレモンを砂糖とはちみつで漬けているのだれども、fuzkueのパナシェがとても美味しく、これは、ハートランドビールとの相性と、甘みが、もうちょっと甘みが強いほうが美味しい気がする、甘めに漬けたい、と思ってレモンを買ってきて漬けて、年末年始を楽しく過ごすための準備をして、それで楽しみがまた一つ増えたのだった。
年末の、こういう時期になにか、このくらい衝撃を受けた本が合った気がするなと思い返すとそれは伊藤計劃の『ハーモニー』でどうにも、たしかに、そのくらい衝撃的で、ふわふわしながら寝た。

「そのチームの中でも、侑希美さんは特に三波という投手に入れ込んでいるようだった。「三波が奪う見逃し三振はーー」と彼女は陽の光のように顔を輝かせて語った。「日本で観測できる中で、一番神秘的な自然現象よ」
『無限の玄/風下の朱』(小谷田奈月、筑摩書房)P.132

2018年12月28日(金)
荷物、本を納品するため一度店に向かい30冊をとりまとめ、担いで代々木八幡の事務所に向かう。今週はずっと本を担いでいる。向かうとそこでは大掃除が行われており、先日はしごとの店、今日はしごとの事務所、でもちろん自分の店と自分の家も掃除しなければならないので、なんというかずっと掃除そうじSOUJI☆している。納品、掃除、しごと、読書、納品、掃除、しごと、読書、年末。や、年末だろうがなかろうが、そのように生きていければ十分な気もしているが、そうやってきれいになったデスクで、しごとをすると捗るなぁと、後ろで箱に詰めた私物やら、大掃除でいらなくなって廃棄することにした雑誌、でぼくが貰い受けたもの、が入っている箱を見てみないふりしながら気持ちよく進める。掃除をして、荷物を増やす。いつもそうで、だいたいなんでもすぐ捨てるくせに本だけは増やしてしまう。夜になって作業がいったんおちついたので、最後に納品先に本を担いで行き納品、30冊、それで終わり。なにも終わっていないけれどもひとまず年内はもうこの事務所に来ないのであろうなと、なんとなく一年分感謝して帰宅、就寝。

2018年12月29日(土)
掃除洗濯掃除洗濯掃除。
今週末は店をお休みすることにしていたので、ゆるりと起き出し、それから掃除を始める。いつもは11時すぎると店の準備でバタバタしながら移動することになるので、この、いつもより遅い時間に起きてしかし次の予定がない、ということへの安心感、これはひどく珍しいもので、こんなに、これに、好きなだけ時間をつかって、好きなようにこなしても、あとの予定が詰まっていない! という開放感に酔いしれて、それで自由に掃除、洗濯を行っている。まだ12時! なんとまだ12時!! こんなにやったのに、まだ時間がある、すごいことだと感動して、洗濯機は2回まわって、きっと明日も2回まわす。本の部屋、引っ越してきてから雑然と本が積み上がっている本の部屋を、掃除と称して右から左にきれいに積み替える作業に没頭して、物量を大きく減らさず、なんとなくきれいに見えるように置き換えることを終えると、なんとなくやってやったぞ、という満足した気分が訪れた。
そこで夕方くらいから、相方と押上までバスで向かい、今年の年末は実家には戻らないことにしていて、それもあって年賀になにか贈ろうとギフトなどを見てまわり、お菓子を送ることにして、それからニトリで家具をみる。カーテンを新調したいという話をずっとしていたのでカーテン売り場に向かい、相応、妥当、と思える値段でカーテンを選ぶ。椅子売り場に向かい、いま自宅で使っている、PCが置いてあるデスクの方の椅子はもう、初めて一人暮らしをした15年前から使っている代物で、普通のオフィスチェアの、背もたれの部分が折れてしまって、座椅子だけになった状態のもので、座っていると常に腰が痛くなるため、歳かな? と相方に問うたところ、それは椅子のせい、と、仕事場でエンジニアの人は肘掛け付きの頭まである椅子を自前でもっており、それが体に負担をかけないようだ、と教えてもらったため、せめて背もたれ付きの椅子を新調しようかと、椅子売り場に向かい、最低限の機能は果たしそうというものを購入した。壊れかけのピーラー(ピーラーも長く使うと壊れかける)を買い増したり、靴箱なども買い、満足して郵送のカウンターで申し込みをすると、なんと元日から配達可能とのことで、運送会社のみなさまにまたまた感謝した。ゆっくり、休めるときには休んでほしい、ありがとう。
そこから押上のもつ焼き屋に向かい、飲み、楽しく話して帰宅した。今日一日で、おそらく普段の一か月分、効率よく生活してやりきったときの一か月分、くらいのタスクを一日で終わらせることができ、休日、まっさらな休日ってこんなに物事が進むのであるな、と感心したし、なんというか、普通の方はこれが週2日もあるのか、持て余さないだろうか、というか持て余していたから店とかやっているんだったな、店やろう、と、あ、それでいつもの立ち位置に帰ってきたので、店を開ける、開けている、来年も開ける。たまに休みあるのはすごくいい。が、これからしばらくは、こういう日が続くのか。

2018年12月30日(日)
再び、遅く起き出す。今日も店はおやすみ。おやすみだが、ここ2日で、年末年始だからだろうか、Amazon経由のweb注文が溜まっていたので店に向かってそこで荷造りや、年末の作業などをしようかと思っている。だとしても店自体は休みであるので、なんだか新鮮な、店に行くのに開けないんだな、という気持ちで、13時頃に相方と家をでて、ひとまず駅前でごはんを食べることにして、ゆるやかに、ひと、いないなー、という駅前で中華料理を食し、両国の東京商店という、立呑で好きに自販機から日本酒が飲める、という、近くまできたら何かと寄りたいスポットがあるため寄り、日本酒を飲みながら、日本酒を買い、それでお歳暮的に日本酒をお送りしたい方がいたのでその方の分も買い、送っていただく手配などして、これはなかなか、今日もまた休日っぽいじゃないか、すごいな、この休日っぽさ、家庭っぽさは、なんか普通の家族みたいだなと思って自分自身に感心していた。
そこから相方と別れて店に向かう。落ち着いた、こちらもあまり人のいない蔵前で、これは年末だからなのか普段からそうなのか、判別できないところがあって、そもそも日中、店の営業時間の土日に蔵前を歩くことがないので、どうなんだろう、だいたいこのくらいなんだろうか。それとももっとわさわさ人がいるんだろうか。いずれにせよ、うわー、こんな環境でわざわざ店まで入ってきてきてくれるひとはすごいなー、えらいなー、ありがたいなー、とお客さんに驚嘆し、感心し、感謝した。多くのお店も営業していないようであったが、裏路地にあるスパイス屋さんが開いていたので、インドのビールを買うことにして購入すると、レジの、インドなのか、南アジア系の方が「良いお年を」と言ってくださったので、なんだかとてもハッピーだな、「良いお年を」はとてもいいなとおもって笑顔で別れた。良いお年を。
店につくと空気がひんやりとしており、電気をつけないままブラインドをひねると、東向きの窓からうっすらと光が入ってきた。営業するときは電気をつけるけれど、最低限の採光は取れていたのでそのまま荷造りの作業をして、片付けをして、年始に棚卸しをする予定でいたので、大掃除とまではいかないものの、ちょっとづつ、棚卸ししやすいように細々としたものを片付けていった。普段営業しているときと、変わらないといえば変わらないことを、なんだか気安く、ゆっくりと自分のペースでこなして、そうするとなんだか、うちの店がうちの店ではないような、オープンしていない日曜日のH.A.Bookstoreを、ひとりで楽しんでいるような雰囲気で、そうだったそうだ、いいなぁと思う本屋で、店主すらいない、自分ひとりの空間で、ただただゆったりと1冊選ぶ、というのが至上の贅沢だよな、ということに思い至り、浸った。
家に帰り、それなりに片付いた部屋で、ごはんをつくって食べて、近所の銭湯にいき、暖まって寝た。これはこれで、至上のことだなと、思い至り、浸った。
ありがたいことだ、ありがたい1年だったなと思う。区切られるということに抵抗があって、ずっといまでもある。不断に続く日常にことを思い、常にいまとつぎを区切られずに生きていくのが自然だと、そう思っていて、そう思ってきたから年末年始という、区切り、それはある意味では人工的に作られた区切り、というものを極力意識しないように生きてきたし、生きている、これからもそうするけれども、区切りを、本に始まりと終わりがあるように、区切りがあることで、なにかを見つめることができる、と受け入れる程度には良い1年だったのだろうと思う

明日も予定がないが、しかし、もうそろそろどうすればいいんだこの空白の日程、と思い始めている。

#READING  『ゆたかな社会 決定版』
#READING  『無限の玄/風下の朱』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?