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日記hibi/ 2018/10/8〜14

10月8日(月)
また休みなのか、月曜日は……。そろそろうんざりしてきた感があるが、店が開けられるのはいいことだ。そういえば、いつだったか、多分一週間とかそのくらい前に電車で、会社員らしい様子の女性二人が、「これをすぎるともうあんまり三連休がない、つらい」というようなことを言っていて、面倒だから全然検証していないんだけど、そうなのか、そうなの? と思いつつ、そもそも休みの何が楽しみで平日の何が嫌なんだろうか、と思い、もう僕自身はぜんぜんよくわからなくなっていて、平日も休日もまぁ生きているなぁ、くらいの感慨しかないのだけれど、たぶん、きっと、こういう考えの方が珍しいのだろう。今日は月曜日で祝日。

祝日というのは、どうも店はダメだなという感じが強い。だいたいいつもヒマ、というか、お客さんが少ない日が多いなと思う。いつものことだけれども、一人で入ってきた人や、ちゃんと棚を見てくれた人が何も買わずに出ていくと露骨に凹むし、ただでさえ人が少ないのに、という気持ちになる。土日祝営業、なのだけれど、どうも圧倒的に週末営業、土日営業というイメージでいられているのではないか、今日祝日じゃん、ラッキー、HAB開いてる、みたいなのが少ないのではないか、しかし時々、ほんとうに時々、いつも土日は仕事なんですけど祝日なのでこれました、みたいな人がいらっしゃるのでなんかもう、なにをどうしていいかわからないところがある。

それでヒマだったのでYahooで野球速報を眺めていたら、ロッテの岡田の引退試合のようで、ヒット、ヒットさえ出れば、なんならホームランでも、と思っていたらなんとヒットがでた! 岡田がヒットを打った。岡田が! 岡田が!! スタメン出場で、全球ストレート勝負だったし、だからヒットが出やすいのは当たり前でむしろ打っておくれよという状況だったのだけど、それでもヒットがでて、嬉しくて嬉しくて嬉しかった。浅尾と岡田は同級生で、同じ年に引退するんだな。浅尾のことも、岡田のことも、いつも同時に思い出す。2010年の、前進守備の外野を超えていった、あの打球のことだ。たぶん、というかまちがいなく、何万人もそういう人がいて、なにかこう、見えない連帯みたいなものがきっとそこにはあって、あったこともないたくさんの人がきっと同じことを考えているんだろうなと、とりとめもないことを考えた。

ない本、つくります。というTwitterアカウントがバズっていて、なんか全然関係ない写真を文庫のカバーに仕立てて、タイトルもあらすじも創作する、ということをしている人でそのクオリティというか、“わかっている感”がすごかったのですかさずリツイートした。したら、なんだか僕のアカウントとない本をつくる人のアカウントに同時に「これでおねがいします!」みたいな、どうでもいい写真を送りつけてくる人が増え、ということはこの100倍くらいない本をつくる人には、無責任に写真が送られているんだろうなと思って、本当に辟易して、リツイートを消した。ない本をつくる人は超おもしろいし、最高にかっこいいんだけど、なんだかよくわからない写真を送って、ない本を作ってもらいたいだけの人は、なんでその写真でつくってもらいたんだろうか。作ってもらったらなんだか最高に心が沸き立つんだろうか、いや、沸き立つんだったら申し訳ないんだけど、とにかくこの、おもしろい人やアイデアにタダ乗りして、消費してすぐ忘れる、みたいなノリのやりかたが全然共感できなくて、タダ乗り、唾棄すべき! と思ったのであった。もっと自分で文庫化してみるとか、いろんな文庫見比べておもしろい装丁のもの探してみるとか、日常で文庫の表紙にできそうな風景を撮影して楽しむとか、なんか、自分の生活のなかで超素敵なアイデアを活かして、ともに生きたほうがきっとたのしいのにな、と思って悲しくなった。

今日は月曜日で祝日。店はヒマ。

10月9日(火)
朝、出荷の荷物をつくりに店に行くと、とってもタイミング良く宅急便が届き、正味15分くらいしかいない滞在だったので、奇跡! みたいな確率で、届いた荷物は名古屋のONREADINGからの荷物だった。ONREADING文庫というレーベルで、文学作品を新しい作家のアートワークで彩って再刊するというもので、その第一弾が太宰治の『正義と微笑』ということで、超かっこいいなぁと思って仕入れたところ、超かっこよくて大変よかった。よかったのであんまりやらない、入ったよ―、という体の自慢ツイートをして、自分の分を自分で購入したあと、良き気分で下北沢に赴いた。下北沢では、月イチの経理の打ち合わせをしたあと、事務所で仕事をしていて、ほどほどに夜になったので、野球速報を、と思い見てみたところ、横浜は先日に引き続き今日も筒香が1番を打っていた。白熱したホームラン王争い、という感じで、今年は広島の丸と、横浜のソトと筒香がいい感じに争っていて、高まるー、と思って速報を見ていて、まぁなんとなく、やはりなんとなく助っ人よりは日本人バッターにホームラン王をとってほしい気持ちというのは、どうしてもあって、だから筒香の40本(これもなかなか珍しい本数)を期待していたら、するっと、本当にするっとソトが41本目のホームランを打った。筒香を一番にして打席数を増やそうとか、そういう、なんだか日本人的な感性とか配慮を、全部ぶっちぎっていくそういう力、エネルギーみたいなものを感じてもう笑うしかないというか、君が優勝、という、なんだかもうすっげー、という心地で、速報のテキストを見ていた。

『百年の孤独』を読み終わった。ほんと、最高か、『百年の孤独』。ありがとう、『百年の孤独』。
夏の終わりから、ちびちび、ちびちびと、ほかの本をなんどもはさみながらずっと、おもしろいなー、これおもしろいなー、と思って読んでいて、メメが、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダが、フェルナンダが、あぁそしてウルスラとピラル・テルネラ!!が少しづつ去っていくなかで、おわるなー、もう終わってしまうなーと思ってどんどん悲しくなってしまって、終わるなー、と思ったのは、もう本の残りページが物理的に少ないからなのだけれど、電子書籍とかで、残りページ数がわからないものだったら、もうこれ、一生、何なら100世代くらいどんどん続いてもらって構わないのではないか、という気持ちに、一生この家族の話を延々と読んでいたいと思わせられていて、なんだろうこれは、なんだろう。とにかくも、ブエンディア家のみんながとにかく好きだった。好きだ。

そのくせ故郷の村へ帰るさいには、いくら説得しても、どうしても三つの箱を持っていくと言ってきかなかった。貨物として送らせようとする車掌に向かって、カルタゴ語で罵詈雑言を浴びせ、結局、客車に持ちこむことに成功した。「この世も終わりだよ。人間が一等車に乗り、書物が貨車にのせられるようになったら!」とそのとき彼は言ったのだった。これがその最後の言葉となった。
ガルシア=マルケス『百年の孤独』(新潮社)p.455

この、長めの話を、ほかの本をはさみながらずっと読む、というのはとてもいいかもしれない。こういうスタイルで、次は何を読んでいこうか。とてもいい体験だった。

10月10日(水)
家で仕事をしているあいだは、粛々とCDの整理をしている。引っ越しのたびにどんどん少なくしていっているのだけれど、本orCDみたいな、そういう対決になることが多く、現在の家はスペースが切羽詰まっているのでCDから整理されている、という状況であって、そもそもそんなに、レコードなど持っているわけではないので、とりあえず音源データだけHDDに取り込んでおくという作業になる。CDは自炊が楽だ。それでCDが読み込めるPCが家のものなので、家で作業するときは常に傍らでCDを取り込み続ける。延々と円盤がエンジンのように回転する。
そうしたら棚、というか片づけきらないダンボールの奥地から、too close to see の「ETERNAL BASEBALL BOY」が出てきて、懐かしいなぁたいへん懐かしいとなった。なんか野球がテーマのミニアルバムで、四曲目に小笠原道大が日ハムからFAして巨人にいったときの曲が入っているとのことで、パンクも好きだし、それで買ったんだった。で、聞いてみたら、まぁ当たり前なんだけど、普通のパンクだ、となってそれは多分10年だか15年くらい前に買って聞いたときも同じ感想で、それでしまわれていたはずだった。確かMDに音源は落としたのだったか。とにかく、年を経てもパンクはパンクで、かたや小笠原はといえば、中日で次期監督候補などと言われ続けながら、二軍監督をしているのだった。

それが今日の早朝の話で、10日が税金などの締切のため各種振込手続きに赴き、まぁそれはそれは窓口が混んでいて、思った以上に時間がかかってしまってから昼過ぎに「若おかみは小学生!」を見に劇場に駆け込んだ。なんだか別々の人から、公開される前と、公開されたあとのタイミングで、とてもいい、すごくいい、と聞いてどうにも見に行きたくなって、調べたら昼の回だけ近所の映画館でやっているようだったので、駆け込んだのだった。
最初にけっこうハードな話があって、でもそこからは頑張る若おかみという感じのコミカルな展開が続いて、それでいてなんか最後にこう、大人がぐっとくるというか、ネタバレを気にする必要がこの日記にあるのかどうか、ぜんぜんわからないのだけれど、ネタバレで書くけれども、それはおっこの両親の交通事故の加害者が被害者であるおっこのいる旅館に知らずに泊まりに来ているという場面で、それはもうそれはもう大変に、だれにとっても辛いシーンなのだけれど、最後の、おっこが一歩踏み出す場面で、でもたぶんそれ、きみは良いのかもしれないけど、大人は、おばあちゃんは絶対にだめだろうというか、おじさん本人もとうそうにキツかろうというところで、ちゃんと「おじちゃんが辛いんだよ」という大人のセリフをすっと差し込んできていて、そういう配慮が、そう本当に大人だものそういう気持ちになるしそうだよね、という一言がはいっていて、それはつまりちゃんと大人にも配慮されていて、ただの美談では本当はないのだ、憎しみがあるのだどうしても、ということへの配慮であって、そこにとてもぐっときて、そのあとやっぱり子どもであるおっこの気持ちに涙した。
ので、とてもいいものを、純粋なものをみたな、まるで孫の成長を見守るようだね、と思って周りを見渡すと、平日の昼間なのだから、だいたいそうなのかもしれないけれど、おじいさんやおばあさんばかりの会場だった。みんな孫の成長を思って涙しているのだろうと思ったし、それはとても純粋なことだった。

家に帰ったあとはもう粛々と仕事をしていたら、夜も深くなってしまい、とはいえごはんを食べていなかったので、なんかあるもので、と思ってシチューを作った。時間が、仕事しながらなので、煮えるのをまっている、という感覚がなくて延々と、グツグツとけっこうな長時間煮立て続けたところいつものシチューの何倍も美味しいものができて、よろこんでいただいた。

10月11日(木)
朝起きると首が痛かった。昨日の映画のせいか仕事のせいか。や、というよりも積年のなにかなのだろう。もうずっと首は痛いし曲がらないのだけれど、この日はとくに右側が痛くて、とてもいたい、みぎがわ、いたい、となった朝に、しかしながら午前中から打ち合わせがある日だったため、早々に下北沢に赴かれ、打ち合わせを終え、仕事をしていて、している。みぎがわのいたみ、は多少収まってきたので、もうこのままシャワーを浴びて寝てしまおう。銭湯に行きたい気持ちは、常にあるが、どうにも行かないまま日々を過ごしている。深夜2時くらいまでやっていてくれると都合が良いが、それは銭湯の人に悪い、というものだろう。

10月12日(金)
夕方や、夜に打ち合わせがある日は、どうにも朝から落ち着かない。日中にできる時間が決まっているのだから、むしろきびきび動けばいいのに、やっぱり夜までえんえんと緩いペースで進めていくのが楽だなぁと思ってしまう。ので、落ち着かないしペースがつかめないまま、夕方に出発して、小石川のペブルスブックスへ向かった。昨日、ちょうど昨日注文をもらっていて、オープン以来どうにか行く機会を作ろうとしていたが定休日と重なったりして時間が取れず、もう今日思い切って納品ついでに行ってしまおうと思い立ったため、向かわれたのだった。住宅街の、や、手前は工場だろうか、とにかく、住宅街の奥に不意に訪れ、建物の、道に“面していない”場所から中に入る。こじんまりした空間に、見覚えのある、あゆみブックス小石川店にあったという平台があった。新刊をメインに、それにからめて既刊も面で展開した平台で、少し大きめの店であったら、ジャンル別の棚か、あるいはちょっとした特設コーナーになるような趣のものが、店の狭さもあってか、平台で展開されているような印象だったが、それが妙にはまっていた。直取引だけでもいい本屋は作れると思うのだけれど、titleとかもそうなのだけど、制限のない仕入れルートがちゃんとあり、それを使いこなせる人がちゃんといる、というのはやはりとても素晴らしいことで、うんうんうなづきながら、楽しんで見ていた。ひとしきり楽しみ、本も購入したところで話をしたら、なんと二階もあることを教えてもらった。二階。すでに時間がなかったが、もう一度ここに来る時間もしばらくなかったため、ずんずん上がって、ずんずん見た、ところ、人文、哲学、技術、自然科学、写真と、まだ棚入れ中という雰囲気であったものの、この品揃えの感じで、日々の新刊が入り始めたら最高だろうなと、小石川住民が羨ましいなというものだったし、なんかまだ作ってます、という雰囲気が見れたのも逆に良かった気がした。こういう骨子から、どんどん肉付けがされていくんだな、という、や、肉付けはされていてもうすぐ皮膚かぶせるかな、くらいの、そういうものを見た。
それですっかり遅くなって、段差に四苦八苦しているおばあさんのカートをレスキューしていたりしながら、15分ほど遅れて次の打合せに向かった。
イベント会場の下見、という形だったのでふんわりとした雰囲気で赴いたところ、どうにも配置からその場で決めるぞということだったので、会場の寸法を測ったり、動線を考えたりしていた。こういうことは好きで、そのあと場所を移した打ち合わせでもなんやかやがあり、イベントで販売するZINEのレイアウトを作ることになった。作ることになったな、いったいいつやるとできるのだろうな、と思ったが引き受けた。ぼくはなんでもすぐかんたんにひきうける。

10月13日(土)
店を開ける。明日は日曜日だけれど休むことにしているので、今週は今日しかオープンしない。店に着くと、階段の電灯のスイッチがなくなっていてだいぶ混乱して、どうにもよくよく見てみると、すべての電灯を自動点灯式に変更したようであった。あがる、つく、とおる、きえる、という仕組みのやつで、そもそも階段は上がるものなのだから上る前に電灯がついていないと危ないのだけれど、上がったらつく、というのは恐ろしく本末転倒なのではないかと思い、思ったし、なにより、店としては“登らないと電気がつかない”というのは根本的に順序が逆で、“電気がついているから登ってくる”ということにしなければならない、ので、大変に憤って、これはもうなにか、クレームだろうか、クレームレベルではないのだろうか、と思ったのだけれど、言ったところでなにか変わるでもなし、とりあえず電灯、電池でつく電灯を購入するというタスクを追加した。人間の行動や動きの根拠について、みんなもっと真剣に考えたほうがいい。

水窓出版さん、が来てくれた。営業であって、HABに営業の人が来るのはたいへん、たいへん珍しい。それはまぁ土日祝しかやっていないので、休日までわざわざ小さな店の営業に来る人がいないからなのだけれど、わざわざ来て下すって、とてもよろしい気分になった。そもそも、新刊のチラシやTwitterで本は見知っていたので、あ、はい、それ、仕入れますね、もともと仕入れたかったんです、というもので、その場で注文をした。会えるというのは嬉しい。

同郷出身というおじさんが新聞記事を持ってきて、その新聞というのはもう2年くらい前に取材されたもので、その取材もあまりいい思い出がなく、断続的に4時間くらい話して、電話もされて、「その時、カバンの中には何が入っていたんですかね?」「や、取材ですし本とメモくらいですけど」みたいな謎の会話が繰り広げられ、とくに求めたわけではなかったのに「本当は見せないんですけれども」というこれまた謎の注釈つきで原稿確認が回ってきたので、修正して返したら、「上司がかなり手を入れまして…。でも原稿確認でかなり良くしていただいたので掲載前にお見せしてご意見を」とこれもなぜか極秘的な扱いで持ってきて、そこには以前見た原稿の骨子はかけらもなく、たいへん理想論というか、あることないこと、本大好きな若者が田舎から出てきて一念発起して本屋を頑張っているストーリー、になっていて、大変辟易して、もうご自由にどうぞ、といって送られた掲載紙もみていないようなやつで、とはいえ全国紙だったので意外とそれを見て人が来るので、来るたびに幻想を見せてすまんな、というか、この人にはこの店の幻想が見えているのであろうな、ということが想定され、今回もすまんな、と寛大に応じる心を見せたものの、おじさんは本も見ないで話しかける/どのあたりの出身なんですか? 高蔵寺。 そうですかぁ、私味美の方でね、いやぁ同郷と聞いてどんな人がやっているのかと思ってね/ので、気分がのらずに適当に返していたら、本には触らず店内を一周して、「じゃあ、がんばってください」と言って帰っていった。なにをどうがんばったら、なにがどうなるのだろうか。

それで、はぁ災難、という気持ちでいたのだけれど、今日は妙にソロの男性ばかりが入ってくる日で、男女か女性二人組、という構成が圧倒的に多いので、とても珍しがっていたところ、数人の別々の男性が、プリーモ・レーヴィであるとか、パトリック・モディアノであるとか、樋口恭介であるとか、大きな単行本を買ってくださり、心がたいへん落ち着き、店を、やっていて、よかったなぁ、と。そういう本はHABの場合はめったに売れないものであるから、しかしながら置いておきたいものでもあって、この売上によって棚にスペースができるのでまた違うそういう本を仕入れることができるのであり、つまりとても嬉しい気持ちで閉店を迎えた。

今晩は店を閉めたあと、来月のイベント、というか、催し、のためのチラシをキンコーズに印刷にいくタスクがあったので、がんがんこなすぞ、と原付に乗り秋葉原の、まずはヨドバシカメラに赴いた。印刷用の紙を書い、マクドナルドで、研修中の女性と先輩が担当するレジカウンター、でハンバーガーとコーヒーを購入し、カードゲームをしているグループと、巨人戦の中継(クライマックスシリーズ!)を見ながら話しているグループに挟まれながら、これから印刷するチラシのデータを調整してみたあと、ようやくキンコーズに入店した。慣れない印刷機は割と失敗が多く、設定に難儀しながら何度か印刷していたところ、楽しそうな、おそらく学生っぽい10人くらいの一団がどやどやと入店し、どうにも楽しそうにしかし大胆に印刷機と作業台を占拠し始めて、たいへん迷惑、と思っていたところ、どうやら同人誌を印刷しているようで、よくよく見るとそれは東方のもので、「表紙カラーって何枚?」「先輩にあげるやつは白黒でいいでしょ?」「出来た分からホッチキスで閉じちゃうよ」「おま、右綴じだって。逆だよ。一個無駄になったじゃん」、という様相だったので、なんだかすべて許した。しかしながら、ぼくもそこそこ難儀している上、彼らもコピー機をずっとわいわい使っているので、長らく新規の案内ができない状態になっており、なぜだか大盛況していたキンコーズではけっこうな順番待ちの列ができてしまってた。ので、焦りながら、とにかく自分の後ろに人が待っていて、その、待ってます! という雰囲気がめちゃくちゃ苦手なので、焦りながら印刷を終え、会計を行った。のち、僕のあとにコピー機を使い始めたおじさんを見ると、彼も東方の同人誌を刷っているようだった。今晩は長い夜になるのだな、おじさんもきっと優しい気持ちで待っていてくれたのだろうな、と思ってその場をあとにした。明日はきっと例大祭。

10月14日(日)
相方の記念日だったため日曜日だが店を休むことにし、慣れない都市に出て、慣れないホテルなどに宿泊し、慣れない夜景などを見た。学びはあった。

#READING  ガルシア=マルケス『百年の孤独』(新潮社)

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