見出し画像

日記hibi/ 2018/12/17〜12/23

12月17日(月)
ひとまず、昨日に引き続き店に向かい、昨日の営業時間のうちにまとめておいた本、をカートにセッティングするところからスタートした。この台車でで50冊程度の本を事務所まで運び入れ、事務所近辺の、SPBSさんであるとか、代官山蔦屋書店であるとか、B&Bなどに直納するための一次置き場とするのが良さそうだ、と昨日思いついたのでそうすることにした。50冊の運搬、はもうだいぶ慣れてしまっていて、くるくるとダンボールとカートをバンドで固定し、地下鉄の駅へ下っていった。
そうすると、朝調子が悪い、といっていた相方から、ノロっぽいという連絡があり、おぉぉぉぉ、と心配、心配したがなにも出来ることがないのでただ祈った。事務所について本を置く。取次をしている本を作られている方が事務所の近くでお仕事をされているとのことだったので、追加の受け取りがてらご飯でもという話になり、事務所から徒歩3分の待ち合わせ場所に向かい、ごはんを食べながら改めて本を作った経緯や、お仕事の話などを聞いていた。ぼくはほとんど本の直接営業には赴けず、そういうことは最初からできないので流通と最低限のFAXDMやSNS、直取引店へのメールのご案内くらいですよ、とお話しているのだけれど、それでお相手の方が出版とか、本屋について全く知識や経験がない方だと、そこで終わり、となってしまうことを毎回懸念していて、その方自身がSNSで話題をつくったり、本の良さを広く伝えてくださらないと、マジでジリ貧みたいになるし置いていただいている本屋さんにも申し訳ないことになってしまう懸念があるのだけれど、出版元の方がノウハウをお持ちでない場合などの限界があって、みんなにとってヘルシーではないな、という状況に置かれてしまうことが多いのだが、しかし……ととりとめもないことを、ビーガン料理を食べながら考えたり、お話したりしていた。
それからは勤勉に働いた。先週、勤勉に営業活動に励んだ新刊の発売日が明日に設定されていて、実際は配送の関係で前後するのだけれど、その発売に関するアナウンスや受注の対応に追われていて、そうすると、あれ?このお店受注いただいていないのでは? というお店がいくつか見い出されたため、お電話やメール、再度のFAXなどでお願いをすることにし、あぁ、ここは、いつもたいへんお世話になっているし、きっと本も合うし、なんとしてもご案内したいしお礼も申し伝えたい、と思ったため夕方からは青山ブックセンターの本店に赴いた。まず、まず本当はお声がけを先にするべきなのだろうけれども気後れしてしまってタイミングが図れないまま声を掛けられず、なおかつ、お店、本屋! ここに本屋がある! という興奮に来店の際はいつも包まれてしまうため、店を先に一周することにして、ぐるっと見て回った。いい、いつ来てもここはいい、と思える品揃えで、平台が新刊だけ“じゃない”ところ、面だしや企画のコーナーなどいつも参考になる、嬉しくなると思ってみていた。fuzkueと『読書の日記』の特設コーナーでTシャツを吟味したあと、しかし文芸のコーナーで『途派文芸集第一巻』が手に取られ、それは出てすぐのころに装丁が素敵で買おうとして忘れていたもので、いまはあまり店頭で見かけなくなっているもので、だから棚で見て思いだし嬉しくなり、そうして購入がなされた。購入の際に、というか、購入する前からレジが混んでいなさそう、というタイミングで購入に向かい、それでレジを打っていただいているタイミングでお声がけし、本のことをお話すると担当の方、ぼくも見知っている方は本日お休みとのことで、それでチラシをお渡しして、お礼をお伝えして、別れた。ほかの営業の方はどのタイミングで声をかけていらっしゃるのだろうか。わからない。帰りがけに入り口の平台コーナーでまた引っかかってしまい、店をでるまでに結局3周くらいぐるっと回った。お声がけ3分、お店周回20分くらいの時間の割合で、ほんといい本屋だな毎日来たい、という思いに駆られた。
辞してのち、再び蔵前の店まで戻り、それは毎月恒例のラジオの収録があったからで、それでいつものメンバーとたのしくお話をした。『あるノルウェー大工の日記』の話で、時給、許されざる管理体制、常に否定していきたい管理のための仕組み、というような話をしたりしなかったりした。仕組みはわかる、しかしそれにはなるべく従いたくはない、みたいな気持ちがある。
帰ると相方が倒れているはずなので、お腹にいいものを買ってみたが、すでにおかゆを自分で作ってたべたとのことだったので、褒め称えたし、無力さを恥じた。

12月18日(火)
発売日であったので、発売を銘打つ。それとは別で、『ニューQ』の全国発送日にも設定されて、というか、ぼくが設定していた日のため今日もまた店に向かい、荷物を郵便局へ届け、それから八木書店に短冊を届け発送のお願いをした。そこから出かけたルートのついで、という感じで、小伝馬町のANDONと清澄白河のリトルトーキョーに納品を行う。前回、寒さにやられ、心も体もやられてしまったルートで、今回はなるべくはやく、暖かく遂行する目標があったため、明るく明るく運搬に努めた。それはそれで、帰ってきてからコーヒーは飲んだ。心は明るいが、体は寒いし、暖めないと死んでしまう。
暖まるとまた勤勉さを発揮したが、夜も更けたころ、以前お話したトークの原稿を機関誌に載せたいので校正おば、というメールが来ていて、開いてしまったが最後、気になって結局けっこうな深夜まで手直しをしてしまって、なんか言っていることはぜんぜん間違っていないんだけど、この表現気になるなー、この前後の文脈、文字起こし通りだと伝わりづらいニュアンスだから補強したいなー、みたいなことでいろいろ直した、というか多分リライトした、みたいなことを行ってしまい、ライターの方に申し訳なく思ったが、ぼくの発言として世に出るのだものなぁ、どうにも主旨が異なったり誤解を生むところは見ておかないとなぁなど思いなおしたが、ぼくは逆の立場で原稿校正をお願いすることも多いものだから、なんか、そのへん、出すとしても受けるとしても気をつけていこうより一層、と新たにしたが、最終的には言語表現の趣味嗜好の問題なのかもしれないという気もしてきた。

12月19日(水)
『工場日記』を朝一番に読み終わる。もう、本編は読んでしまっていて、序文、なんだかお友達が書いた序文、を後回しにしていたら、それは最後に読んだほうがいいなというもので、人となりや背景がわからないまま、本文の日記部分を読めてよかったなと思ったし、日記を読んだあと序文を読むとそれは愛にあふれるものだったので、愛した。

そこで、朝すぐに読み終わってしまうことがみえていたので、次の本を持ち歩こうと思い本棚で思案していて、今日は夕方から納品で多くの本を持ち歩かないといけないし、軽い本、物理的に軽い本がいいなと思って、『ゆたかな社会 決定版』が手に取られた。どんな本だか全然わからないまま、とりあえずいまこの気分と思って買ったもので、読んでみたら経済学の本だったようであった。

夕方に納品、40冊。カートにダンボールをくくりつけてそのまま運んでいき、最初の納品先でダンボールからおもむろに30冊取りだす。いつもこんな感じで納品しているんですか? と尋ねられたので、大体そうですけど今日は冊数が多いです、とお答えした。それで、先日営業した新刊を、このお店も仕入れていただくととってもお互いハッピーな感じなのでは、と思いおすすめすることにして、ぎこちなく、関連すると思われたコーナーの方にお声がけしたところ、なんかたぶんそれうちのジャンルじゃないんで、ほかの売り場行ってください、とすげなく断られたため、ほかの売り場に赴くと、先程納品を受け取ってくださった方と同じ方が担当者であったようで、なんか、なんどもすみません、あの、あ、HABの本じゃないんですけどね、これね、とってもいい感じに出来上がったんですよね、ぼく的にはここかなー、と思った売り場でお声がけしたら、なんか違うってことだったんで戻ってきたんですけれども、とお見せすると良い反応とご注文をいただいて安堵した。このへんがいいんじゃないかな、はお店の方のほうが詳しいはずでご指摘はもっともなのだけれども、実物を、最初の方は、なんだか実物をお見せしたときにぜんぜん本を見てくださらなくて、あれ? おかしいなー、これ見ただけでめっちゃテンション上がるっていうか、え、その装丁なんなの? 良さげじゃない? あー、書いている人は、あぁ、いいなー、これいい! みたいな反応を、ぼくだったらきっとするであろうくらいにいい感じだと思っていたので、ぜんぜん、こう、喜びがまったくない瞳で本を手にとられて、そんなに見返しもされなかった時に、絶望したというか、ぼくだけの独りよがりでぜんぜんこの本はだれにも愛されないのかもしれないと思って、心底ショックだったのだけれども、ほかのコーナーの方は良き感じで本を見てくださったので安堵した。ぼくも気をつけようというか、本を、ものは違えど、本を、あんな死んだような目でみてあしらえるように、本を売っている方でもなってしまう瞬間があるということは、恐ろしいことだった。性格なのか、経験なのか、趣味が合わなかったのか、わからないけれども、少なくともいまぼくの手の中にあるこの本は、生き生きとしていたし、良い本だと信じられた。それで、あの方は、もしかしたらほかに愛する本があるのかもしれない、きっとあるがしかし、あの方には扱っていただかなくてもいいなと思ってしまった。ぼくにも愛せない本はある。だからお互い様といえばお互い様で、だからこそ、愛した本を愛してくれる人ともに売っていきたいなと、強く思った。肯定されて、違う価値観だったとしても、対話をして、受け入れたりやはり拒絶しながらも、対話、その前向きな姿勢、それで良く生きてける、らしい、本とぼくは。

夜からB&Bのイベントのアテンドがあり、下北沢に戻り、B&Bにもカートから本をだして10冊納品した。それからわいわいとアテンドを行い、家に帰ってビールを飲みながら、今日営業した本を見ていた。見ていたら、やっぱりいいなー、いいなこれ、となって、いいよ、きみはやっぱりいい、と本を肯定した。肯定されれば、本も長生きできるだろうか。きっとそうだろうと思ったので、強く肯定した。

12月20日(木)
起きる。打合せのために下北沢に向かい、それでお昼になったので近くの、よく行く中華食堂でごはんをたべることにして待っていると、隣の円卓におじいさんとおばあさんの一団が、それはおそらく近所の町内会とかのつながりで、毎月定期的にやっている、みたいな雰囲気で、「あら、田中さん今回これないの? お姉さんの旦那さんが? 亡くなって? あらー」というような会話で状況を確認しあっており、それでどうやら元気なみなさまはこの食事のあとはカラオケに行くようであって、和み、を感じながら中華炒めを食しているとなんだかとてもかしましい、というか、ずっと声が聞こえているようなしかしそれが会話ではなくガヤっぽい、一団の会話というか、複数のグループの会話のようなガヤガヤした感じ、で声が聞こえてきたので、おや、と思いよく見ると、ある方が話し始める->会話が終わる前にほかの方が相槌を打つため話しだす->その相づちに反応するためさらにほかの方が話しだす、しかし最初の方はまだ話している、という状況が生まれているようで、なぜ? と思いさらによく見るとそれは単純に、思考が発話に追いついていない、ということがわかってきた。すばやい発話の停止も、一言の相槌も、相槌に対応した話題の変更も、すっ、と。すっと行えず会話の末尾が発話されたままになり、それが2人3人と連なっていくことで、会話にガヤ感、いやこれはもう「輪唱」と呼べるものなのではないか、その輪唱が行われるようであって、それはそれで意思の疎通が図られていることもわかってきた。『メタモルフォーゼの縁側』で市野井さんが
「ずっと「立つ」をやってたから「歩く」に移行するのに時間がかかるのよ」
と言っていたことを思い出した。もちろん、嫌な感じのするものではなかった。

内海が西武に移籍するらしい。信じがたいし、あんまりだ。あんまりだと思う。

昼からは渋谷の法務局に、急に謄本が必要になって取りに行かなければということになったため向かい、それはそれで、SPBSへ納品する用事もあったためルートが通り道で好都合、ということもあり20冊担いで向かい、納品し、謄本をとり、それでちょっと歩いたので休憩しようとフグレントウキョウでコーヒーを飲むことにして、フグレンは事務所から近いがしかし向かうとちょっと距離がある、という場所に位置しているためいままで行ったことがなく、しかし今回の道中にはちょうどいい場所にあるため勇んで向かい、向かったところ平日の昼間なのにけっこう混み合っており、それてテイクアウトにして飲みながら帰ることにして、買って、飲んだところ、「なにこれジュースwww」というすごいコーヒーで、飲み、はー、世界、ひろいなー、おいしいなー、と喜びに満ち溢れて帰所した。
夜は夜で、清澄白河の「ほ志の」というごはん屋さんに向かい、そこは春先に相方とたまたま入って食べたところ、とにかくおいしく、おいしいねー、これおいしい、また来たいね、もう定期的にね、このニラとかほんと、定期的に食べに来たいね、となったお店でそれでその定期が訪れていたため、入り、相方が、無事ノロから回復した相方が、しかし仕事で遅れてくるとのことでビールを飲み上がら『ゆたかな社会』を読みながら待ち、迎え入れ、食べ、帰宅した。総じておいしいなー、という日で喜んでいた。『ゆたかな社会』では経済学の歴史的なことが語られていて、とても勉強になる。まだ弱肉強食、あ、いま保証の話とかがでてきた。寝る。

12月21日(金)
10月末にくじいた足のケアに、しかし一ヶ月以上サボってしまっていた整体に向かい、そうするとてきめん歩けるようになって、整体の偉大さ、野口晴哉の『整体入門』を読みたい、という気持ちを一層強く持った。きっと読まないわけだが。

新刊の、ここでいう新刊はHABのものとそうでないものと両方のことなのだけれど、方々から注文や追加を頂き喜び勇んで箱詰めをしていた。箱詰め、出荷。この喜び。ずっとこれだけやれたら、もちろん愛する本だけを扱いつつ、ずっとこれだけやれたら幸せなことだろうなと思う。思うがきっとそうなったら飽きるはずで、ほどほどに、売ったり紹介したりしていきたいがしかし、出荷のよろこびはまた素晴らしいものがある。それで、夜があっという間に更けていくとSPBSさんより、「昨日納品きてもらったばかりで申し訳ないんですけど他の本で……」とご注文いただき、ぜんぜんいいっす! と嬉々として閉店前のSPBSに向かった。すでに22時ごろであったが店内にはお客さんが、所狭しといらっしゃり、お伺いするとわりと夜はそのようにお客さんがいるとのことで、見習いたい学びたいと、店内を物色、いや、見習いたいとは思ったが、ぼくはぼく自身がただただ本を見たいだけで、物色して楽しんでいると『3月のライオン』の最新刊があり、「この時間からだと帰り道の本屋が空いていないし、これは助かるー」と購入した。購入したので、喜んで普段本屋にはあまり寄らない相方に「かったー」と連絡したところすでに買ったし読んだ、ということでライオンは二匹になって我が家に居着くことになった。

12月22日(土)
気がつくとまた今週は三連休であるようで、その初日として店が開けられた。年末最後の土日は店を休むことにしていたので、この週末が年内最後の営業になる。なるのだけれども、日取りの関係でむしろこの週末は「クリスマス!」という様相で、年末感はまだ町に溢れておらず、それでなんだかぼくだけが雰囲気を先取り、みたいな状況が生まれていた。しかしながら、年内最後と謳ったからか、見知った方が多く来てくださり、ぼくが個人的に押していた『ニューQ』や『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』などが売れていき、なんと、なんとありがたい日か! と微笑んで、上々の売上で連休初日は終了した。営業終了後に『3月のライオン』。相方に遅れること一日、なんだか家でこれ、この本のことを話したそうにしてたので、家の中の熱が冷めきらないうちにぼくも読む。良い、とても良い。最後のほうにあった
「なんでもなくなかろうよ。どうした?」
のセリフで、たいへんときめいたことを伝えるため家に帰ることにして、帰りに、クリスマスだしなにか温かい、スープ的なものが食べたいなと、クラムチャウダーを買って帰ったところ、相方も同様のクラムチャウダーを買ってきて、まさかのw 2日連続カブりwww と、チャウダーが二つ家に居着くことになった。一つはその日のうちに美味しくいただいた。

12月23日(日)
普段どおりの起床。相方が今日は実家に帰るとのことで見送り、そうすると店の開けるまで少し一人の時間ができたので、ちょうどよいとばかりに「SSSS.GRIDMAN」の最終回を見ることにした。昨日の夜やっていて、しかしリアルタイムで見れなかったもので、一刻も早く見たい、みたいぞ! という楽しみさで毎週過ごしていたので、今回も視聴し、それで、それでこの完璧な最終回! 愛。愛していなければできない。これが愛!! というものを見て、それでぼくはずっとグリッドマンのことを考えながら店を開けた。
「覚・醒」していきたい。
しかし別段、覚醒はなされない。普段どおりの時間で、昨日に引き続きいろんな知り合いの方が来てくださり、たいへんな感謝の気持ちとともにあいさつをしていた。そうすると、LINEに通知があり、それは友人からで、「グリッドマンは見たか?」とのことだったので、「見た。完璧だ。愛」と送るとすぐさま「今日の夜は暇か?」と聞かれ、それは願ってもないというか、ちょうど相方がいない夜でしかしとくに用事もないため、これはもうホームセンターに行くしかないかな、と思っていたところで、それで二つ返事でOKして、営業終了とともに秋葉原に向かった。それからはずっとグリッドマンの話をして、たのしく別れた。世間ではクリスマスが迫ってきているようだった。

#READING  『工場日記』(シモーヌ・ヴェイユ、筑摩書房)
#READING  『ゆたかな社会 決定版』(マイケルガブリエル、岩波書店)
#READING  『3月のライオン』(羽海野チカ、白泉社)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?