フィルター

夜中に手紙を書いた場合は封をする前に、次の日の朝もう1回みなおすべき、というのは誰に言われるでもないこの世で最も重要な掟のうちの1つですが、こんな時間(23:07)からnoteの文章を書き始めた僕は、この文章を一晩寝かしておくべきなんでしょうか。


長らくnoteを更新していなくて、そろそろ何か書こうかなあなんてずっっと思ってはいたんですが、なかなかタイミングがなく、何なら今もタイミングではないような気もしますが、走り出した手前止まるわけにもいきません。

4月から社会人として働き始め、はや1ヶ月と少しが経ちました。はやい。社会人とはいえ、1年生なので、さして忙しいわけではありませんが、職場の仕事のできる先輩方を見ていると、ああはやくああなりたいな、という気になります。

当然、僕の周りにも今年から働き始める人も多く、時々近況報告をしあったりするのですが、話していると、「〇日目でさっそく怒られた」とか、「上司に怒られたんだけどさ…」のような話題がまあまあ出てきます。

僕は上司に今のところ、まだ怒られたことはないので、へえそうなんだ、大変だね…と返答していました。

と、ここでふとこう思いました。そもそも「怒られる」ってなんだ?と。

会話をしていた友人たちの「怒られる」は自分にとって「怒られる」に値するのか、あるいは自分が「怒られる」と認識してなかった上司の言動は、友人達にとっては「怒られる」という言動だったらどうか。

例えば、友人達のいう「怒られる」が、文字通り怒りの感情を全面に出し、パワハラなんぞ知ったことかというが如く、大声で叱責されていたなら、当然僕も「怒られた」と認識するでしょう。(それに、そんな人の下では働きたくはない。)

けれども、上司から仕事上のミスを指摘されて、次からはこうしてほしい、と言われた場合には、僕はきっと「怒られた」ではなく「注意された」とか「教えてもらった」と捉える気がします。

例えとしては、まあそりゃそうだろうという方も多いかと思いますが、この認識の差って意外と大きくないか、とこの時思ったのです。上司から5回仕事上のミスに基づいて何かを教えてもらったときに、5回とも「教えてもらった」と捉えるか、5回とも「怒られてしまった」と捉えるかは、モチベーションに大きな影響を及ぼす気がするのです。

これをポジティブシンキングというのかはさておいて、モノの捉え方というか、言葉の使い方は意外と重要なのかもしれないな、ということをこの間気づいたので、書き留めてみました。


ちなみに、晩に書いた手紙も意外と朝見返してみると悪くない(多少暑苦しい時もある)こともままあるので、今回はこのまま載せてしまおうかと思います。眠いので画像はつけません。読んでくれてありがとう、おやすみなさい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?