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写真を撮っておくともしかすると後々いいことがあるかもしれないっていう気づきについて

昔、というより小学生の頃、写真が嫌いでした。

そんなもん撮らんでええやんけ、くらい思っていた気がします。なぜそこまで思っていたのかは全くわからない。お子様なりの尖りだったのか。もしくはあの頃、色んな物語にでてくる過去に何かを抱えたヒーローや悪役に少し惹かれていたような気もするので、過去に囚われているような感じが気に食わなかったのかもしれない。

(え、ということは過去の証拠とか残さないようにして、謎の人物っぽくしたかったってことですかね?非常に痛いですね、もはや泣ける)

そういうわけで、家族が撮ったものはさておいて自分が小学校や中学校の行事で購入できたはずの写真などは、ほぼ手元に残っていない。

覚えている限りではあるのだけど、小学校の時、林間学校に行って、後日写真選びをしている時にクラスで1人だけ写真に興味を示さず別にいいわ、みたいな感じを出していたのを覚えている。担任にものすごく心配されて渋々1枚買ったもののどんな写真だったか覚えてないし、今、どこにあるのかもわからない。

高校生になってからは携帯で写真を個別に撮ったりするようにはなったけれど、卒業時に買えたはずの写真はやはり買わなかった。というより、ほとんど自分の写っている写真がなかった。もはや裏で何かの力が働いて自分の写真が消されたか、或いは実は入学してなかったのか?というくらいには写真がなかった。

もしかすると、カメラの前に行く習性すらなかったのかもしれない。裏で謎の権力が働いてないとすれば、だけどね。


とはいえ、写真の良さに気づいてしまったのも事実なのです。


もちろん、自分でみんなと写真を撮るようになってからは、写真っていいなあ、とはなっている。楽しかった行事とか遊びを写真を通して振り返り良い思い出として何度も繰り返し味わえる。それは良い。


ただ、気づいた写真の良さっていうのはそういうことではなくて。


自分が忘れてしまった時間や、覚えていない時間、あるいは記憶に止めることができない期間(幼少期)など、そういった時間をそこだけ切り取って自分に見せてくれる、その素晴らしさに気づいたのです。とても当たり前ではあるのだけど。



それを痛感したのが、幼少期の写真を見返したいる時でした。


当然3歳くらいの写真が出てくるとめちゃめちゃに可愛い顔をしているわけで、我ながらかわいいじゃん、とか思ってしまうんですが、大事なのはそこではない(掘り下げても何も生まれない)


例えば自分が覚えていない期間、1歳とか2歳とかそれくらいの写真を見ると、自分ももちろんそうだけど、家族も同じだけ若く写っている。そして、その人たちの目線が自分に向いていて、幼いの僕の興味関心を惹こうとしていたり、微笑ましく見守っているような感じが読み取れる。そうすると何だか大切にされてきたんだなあという気持ちになる。

何度か見たことのある写真であるはずなのに、初めてそんなことを思ったということは、モノの見方も少し変わってきて大人になったのかもしれない。

なんで、そんな見方をするようになったかといわれればそれは、親になる年齢にだんだん近づいてきたからだと思う。

子供の頃、というか今も、親は最初から自分の親なわけで、敵わない気がするけれど、幼い頃の写真を見ると、親も頑張って、苦労して自分のことを育ててきてくれたんだなあ、と。超上から目線で言うと親も成長してるんだなあ、という気持ちになるとともに、感謝の思いがだだ漏れになっています。

あと10年もしたら人の親になっている可能性が高い(そうであれ)わけで、そうすると自分は果たして人の親というものにしっかりとなれるのだろうかという気になるのですが、親も初めから親ではないということを再認識すると少し気が楽になります。そして、自分も自分が受けてきた愛情をそっくりそのまま子供にたっぷり与えてやりたい、と思うわけです。うちの親みたいに。


そして話はそれるけれど、幼い頃自分が笑ってる写真を見たり、祖母や親に囲まれていたり、また写真ではないけれど幼稚園とのやりとりの日誌とかをみるにつき、もっと今を大切に生きなきゃなあ、とまで思いました。今のところ死にたいなんて思ってはいないけれど、こんだけ大切に育てられたら死ねないなあって思うわけです。


他にも、家族が撮ってくれた運動会の写真などに写っている担任の若い男の先生は、昔自分がみていた先生とはまた違った顔をしているように見えました。

小学生の頃は、若くて、エネルギッシュって感じしかしなかったけれど、いざ成長して見返してみると、若さ以上に、気を張って暖かくも注意深くこちらを見てくれていたんだ、ということを確認できたことは、新鮮でした。





(組体操の写真だったからかもしれないけど)





いずれにしても、自分がみてきたはずの風景でさえも、違った視点を与えてくれる写真ってとても偉大だなって思いました。


だから今日から自分も出来る限り目の前で起きたことを後世に残すために、写真を撮っていきたいなって、そしていつかその瞬間を見返して新しい気づきができたらいいなと思います。



ということで今日の1枚


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「筋トレ用マットと僕の長い脚」です。お納めください。

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