2020/06/01

ジョージ秋山氏が先ごろ入神なさった

Twitterでは怒涛のように氏を悼むメッセージが飛び交っている

カネゴンも同じく痛み入りつつも、ジョージ秋山氏の漫画がなぜ人を惹きつけるのか、その面白さのデーモンコアがどこにあるのかをつい考えてしまう【香典払わぬおれカネゴン】

欲望をむき出しにする異様な人物像が人気の秘密なのか: たぶん違う

執拗に繰り返される謎の説法が人気の秘密なのか: たぶん違う

女性の太ももを徹底的にねちっこく描写するからか: たぶん違う

氏の漫画はよく考えると、ごく初期のギャグ漫画を除いて、終始一貫とても青臭いものがみずみずしく流れていて、普通の人が口にすることも考えることもまずないような気高い理想が正面から堂々と語られる【青くて臭いおれカネゴン】

氏の理想は昨日や今日取ってつけたようなものではなく、心の底から本気でそう思っているとカネゴンが認定いたします【何様稼業のおれカネゴン】

そしてそれと同時に、どんなに押さえても押さえきれない、ありとあらゆる身勝手な欲望のこもったメッセージも手を変え品を変えてマグマのように噴出を繰り返す

さらにそれと同時に、「ブ男」「ブ女」「犯罪者」「下衆な人間」であることの苦しみがどれほど苛烈なものか、決して美男美女にわかろうはずはない、という極めて強いメッセージを必ず放っている【すべてを備えるおれカネゴン】

この相矛盾する3つのメッセージが同居して金切り声のように軋むことで、ストーリーが強力にドライブされているのだとカネゴンは勝手に思うことにしています【勝手なことならおれカネゴン】

3つのメッセージがダイナミックに相互作用した結果、「たとえ世界中の人が飢えと貧困から完全に解放され、安心して好きなだけ目についた相手と自由自在にセックスできるようになり、どんな仕事でも誇りを持ってできるようになる日が来たとしても、この世から苦しみがなくなるはずはない」という結論を手を変え品を変えて導き出す

カネゴンとしては、それを「文学」とか「哲学」のようなチャラい言葉でこじんまりとまとめたくない

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その苦しみは、自らが「ブ男」「ブ女」「犯罪者」「下衆な人間」であることを自覚した瞬間に始まり、決して終わることがない

しかしその自覚なしには「ブ男」「ブ女」「犯罪者」「下衆な人間」であることを克服することはできない

その苦しみに立ち向かう者、苦しさから逃れたくて自らから目を背ける者、目を背けようとして犯罪を繰り返す者、笑ってごまかす者、泣いてごまかす苦しみぬいた挙げ句挫折し死んでいく者だったりするのだけど、彼らはひとり残らず自意識過剰だったりする

しかし「ブ男」「ブ女」「犯罪者」「下衆な人間」であることに気づくことは、苦しみの始まりであると同時に、克服と解脱と救済と許しの第一歩であり、それ以外に道というものがない

だからこそ自意識過剰に苦しむということは、絶望でもどんづまりでもデッドエンドでもなく、まだ見込みがあるということだったりする

氏の漫画は、そうした人物がもがきにもがく様を、手を変え品を変えて何度でも描写し、止むことがない

そしてそれとは反対に、そうした苦しみに無自覚な登場人物は、氏の漫画では一人残らず美男美女であり、それゆえに最も救いがたい、見込みのない人々として登場していることに気づくべき

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氏の漫画は「数年に一度もう一度読みたくなる」という不思議な特性を発揮する

3つのメッセージがあたかも電界と磁界のように相互作用した結果、奇妙な普遍性を獲得している

普遍性が高いということは、読んだ人が否応なしに「他人事と思えない気持ちにさせられる」ということだとカネゴンは勝手に考えています

どれほど精緻な描写であっても、どれほど人手と資金を投入して巧妙に構築された作品であっても、それが他人事として受け取られたら最後、たぶん二度と思い出されることはなさそう

これらのメッセージを駆動する3つのエネルギーの描く軌道は、決してラグランジュ点周辺の惑星軌道のように安定することはなく、あたかも三体問題のようにそんじょそこらの解析的手法をあざ笑うように拒み、作者の予想すら超える複雑かつ豊穣な軌道を描く

それだけに氏の漫画は外れるときは壮大に外すのだけど、その作られ方を考えれば無理もないと思う

登場人物が尋常でない苦しみに苛まれる漫画はいくらでもあるし、欲望を剥き出しにする漫画もいくらでもあるし、理想を臆面もなく語る漫画もいくらでもあるけど、たぶんそれだけではもう一度読みたくなる漫画にならない

氏の「デロリンマン」という漫画は、ちょくちょくモーパッサンの小説から筋立てをいただいていることはカネゴンの中でだけ有名なのだけど、普遍性を獲得するうえで避けられない作業だったのだと考えることにしている

菊池寛や松本清張の小説には、嫌な人物・意地悪な人物が藤子不二雄Aの漫画のようにこれでもかというぐらい大量に登場するらしいのだけど、氏の漫画はそれに通じるものがあるかもしれない【読まずに語れるおれカネゴン】

Twitterで見かけた画像のうち、一番ジョージ秋山氏らしいと思ったのがこれ↓

ところで氏の漫画は日本国内ではこれほど知られていながら、絵柄が災いしてか、それともアニメ化されたことが極めて少ないためか、海外で熱烈なファンをとんと見かけない気がする

その点では楳図かずおやどおくまんと似たようなものかもしれないけど、どうにかして彼らの漫画の得も言われぬエッセンスを海外に問答無用で伝えるすべはないものだろうか【なくてもねだるおれカネゴン】

なお今回の弔辞は、主語を楳図かずおやどおくまんに差し替えてもそのまま問題なく使えるように仕上げております【テンプレ人生おれカネゴン】

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