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ナンカヨウカイ「折る」②

化け猫・緋山まひるは便利屋「ナンカヨウカイ」の従業員。 今日も所長の一声で、依頼の調査に向かう!「折る」第1話はこちら

 窓の外から中をのぞくと、ジーパンに包まれた長い脚が見えた。
 足を高く組んで腰掛けているソイツは、何やらチャラチャラと装飾のされた、先のとんがった靴をはいている。
 なんとなくムカついたので、俺はそのヒザめがけて、ツメを出したまま窓から飛び込んでやった。

「いっ、痛たたたたたっ!」

 みっともなく悲鳴をあげたソイツからひらりと離れると、俺はそのままズブリと影に潜り、再び人の姿へと化けた。

「ひどい! まひるっち、何すんだよ!」
「おー、悪いねカッパくん」
「もー! その呼び方やめてって言ってるじゃん!」

 涙目で言うソイツは、溝淵渡(みぞふちわたる)。
 今時流行りの恰好なんかしてやがるが、コイツの正体は河童。イメージがカッコ悪いとかで正体を隠したがっている。
 すらっとした長身で茶髪。ま、見てくれはよくても中身は大したことない。

「だいたい何なんだよ、その靴は」
「あ、これ? カッコいいでしょ! 新作ブランドだよ」

 知らねーよ。

「で、所長と姫子は?」
「姫ちゃんは学校。所長はまだ来てないよ」
「学校? 夏休みじゃねえのか?」
「夏期講習だって。高校生は大変だねえ」

 ふーん、ご苦労なこった。

 俺はスプリングのイカレたソファにボスっと座ると、宙を仰いで「あー」と声を漏らした。

「どしたの、まひるっち」
「クーラーないのに暑くねえのかよ、お前」
「うーん、暑いけど……ほら、俺って夏の妖怪だからさ! 暑さには強いみたい」

 目を輝かせて笑うワタルは、無駄に元気が良すぎて暑苦しい。俺はうんざりした目を向けながらため息をついた。

「皿が乾いて苦しいとかないわけ?」
「ちょっと、ソレいつの時代の河童の話だよ」
「時代とか関係あんのかよ」
「あるに決まってるじゃん! そんなの、現代日本でちょんまげ結ってるくらいの時代錯誤だよ」
「そんなことはどうでもいいけどよ、なんでクーラー直ってねえわけ?」
「そんなことって何! どうでもよくないよ!」
「クーラー直すからって、前回の給料削られたんだぞ。何で直してねえんだよ、あのクソジジイ」

「誰がクソジジイだって?」

 急に背後から響いた声に、肩が小さく跳ねた。

 ……苦い気分で振り向いた俺の視線の先で、現れた男はさも嬉しそうにウヒャウヒャと笑っている。

 細身の黒いスーツに細いボウタイ。
 ちょっと小洒落た陽気なオッサンにしか見えないこの男が『ナンカヨウカイ』の所長、中川草介だ。

「よー、朝からご苦労。さて、お仕事の時間ですよ」

 ご機嫌な様子でそう言いながら、所長は自分のデスクに腰かけて俺たちを見回した。

「ちょっと待てよ、何でクーラー直ってないんだよ」
「それがさ、クーラーの修理代にはちと足りなかったわけよ。なので今回の依頼達成で、めでたくクーラーが直ります。やったね」

 所長はタバコをくわえると、おちゃらけた調子でそう言った。

「ふざけんな! なんでまた給料削ろうとしてんだよ、お前が自腹切って直せよ!」
「そうだよ! どうせ麻雀でスッたんだろ!」
「ブラック企業反対! 給料上げろ!」
「そうだそうだ!」

 珍しく意気投合したワタルと俺が、ふたりして意気揚々と吠えた、次の瞬間――。
 パキン、と固い音がした。
 振り返った俺の視線の先で、分厚いガラスの灰皿が真っ二つに割れている。

「上等だァ、ガキ共」

 所長がゆらりと立ち上がる。
 ぞわ、と足元の影が蠢いた。

 窓枠が音を立てて震え始め、どろりとした濃い影が壁を這う。
 真夏の日差しも蝉の声も、一瞬で掻き消えていく。
 俺たちのいる事務所だけが世界と切り離され、闇の中へと堕ちていく。
 ぐにゃり、と空間の歪む感覚がした。
 思わず手を取り合った俺たちのほうへ、所長が一歩ずつ近づいてくる。

「妖怪にゃ義務教育もテストもないが、裁判所も労働組合もないって知ってたか。俺たち妖怪に『法』なんか存在しない。もめごとを解決するのは己のチカラのみってわけだ。なあ?」

 俺たちを射抜く所長の目は、いつもの漆黒ではなく、血のような赤。
 ヤバい。これは相当ヤバい。

「てめーらみてぇな木っ端妖怪が、誰にケンカ売ってんのか分かってんだろうなァ!」
 
 闇が、爆発した。

 息が詰まって悲鳴も出せない。
 皮膚には見えない何かがグサグサと突き刺さって、体の内側が急激に冷えていく。痛みと吐き気が全身を駆け巡る。
 見ることすら敵わない、ケタ違いのチカラ。
 それが俺たちを掴んだまま、ミシミシと膨れ上がっていく。

「じ、ジョーダンだよ、冗談! なあワタル!」
「も、もちろん!」 

 俺たちは抱き合うようにして互いを支え合いながら、へへっと笑ってみせた。

「なーんだ、冗談かよ」

  部屋を支配していたチカラがフッと消えた。
 闇は一瞬で溶けて、焦げるような日差しと蝉どもの合唱が戻ってくる。

「もー、お前らが突然妙なこと言い出すから、オジサンびっくりしちゃったじゃないの。もっと笑える冗談言えっつーの」

 所長はそう言ってソファに寝転ぶと、ばさりと競馬新聞を広げた。

「じゃあそういうことだから。ふたりとも、仕事よろしくねん。すっぽかしたら承知しねえからな」

 それだけ言うと、所長は鼻歌なんぞ歌いながら新聞を読み始めた。

(このクソジジイ……!!)

 だが、これ以上は命取りだ。
 俺はワタルに目配せすると、そそくさとその場を後にした。

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