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#浜崎あゆみ #クロニクル

さて何から切り出そう。
多分結論は、「“本当にお疲れさまです”と伝えたい」になるんだろう。ほかに言いたいことは沢山あれど。

先日ミッツ・マングローブ氏があゆについてのコラムを書かれていた。

https://dot.asahi.com/amp/wa/2019082000048.html

とてもスッキリした。あぁそうかもう“あゆ“じゃないんだ、と。実際、彼女を「お浜さん」と認識することで、ちょうど良い距離を取ることができた気がした。

今さら私が述べるまでもないが、2000年ごろのあゆは本当に無敵だった。当時の私は中学生。あの「髪ブラ」で話題になったアルバム”LOVEppears“(1999)は勿論買ったし、訳もわからぬままあゆの曲がeuro mix(確か”あゆmix“と表記されていた。それさえ可愛かった)でメドレーになったアルバムも持っていた。avexのいいカモだっただろう。最初に買ってもらった携帯はtu-kaだったし(泣いて親にせがんだ)、カラオケではPV見たさにappearsを絶対に歌っていた。ミニチュアボトルしか買えなかったけど、ニナリッチの2番の香水だって持っていた。あゆが使っていると噂のあったクレージュのリップ305番はどのソニプラでも売り切れで、ついに手に入れることができなかった。

しかし最後に私が買ったあゆのアルバムは、全身ヒョウ柄タイツの姿がジャケットになった“Duty”(2000)である。なぜか?端的に言うと「ついていけなくなっちゃった」のであった。もしくは「飽きちゃった」。

前述のように、おそらくavexの戦略なのだろうがあの頃のあゆはremixアルバムを並行して出しまくっていた。ファッションリーダーでもあったあゆは各ジャケットで異なる姿を見せ、中学生の私には無理だったがそれ目当てでコンプリートしていたファンも少なくなかっただろう。original verとremix verを聴きまくる日々が続いた。

飽きた。

あの頃から今に至るまで聴き続けている音楽はいくつもある。サザンやThe Beatlesがそれにあたる。宇多田ヒカルや椎名林檎もそうだ。あれから約20年が経つが、The Beatlesに至ってはもう新曲が出ることはないにも関わらず、折に触れ聴きかえす。その度に発見があり、心に寄り添ってくれるのを感じる。

彼らとあゆは何が違ったのだろうか。今も定かには分からない。

大学生になると“キューティーハニー”倖田來未が出てきた。全く聴いていなかったが、世間では「エロかっこいい」と騒がれノーブラで歌番組に出たとかなんとか言われていた。ROUND1で流れていたPVもセンセーショナルだった。というか普通にいやらしかった。

そんな頃、CDショップ新星堂で私の目に飛び込んできたのは、網タイツで鞭を振るうあゆの姿だった。

「どうした、あゆ」

時代の先を行っていたはずのあゆが、誰かの後追いをしてしまったと思った。あのピュアで儚くてキラキラしたあゆは、もうどこにもいなかった。

その頃から現在に至るまで、約15年の月日が流れている。その間にあゆは結婚したりしてなかったり、サイズが大きくなったり元に戻ったりしていた。ブリトニーだったりマドンナだったり、あるいはレディー・ガガだったり、新しいイメージを打ち出そうとするも一時ほどには流行らず、その度に“あの頃”の姿に戻ったりしていた。「ブレブレやん、あゆ。」そう思っていた(ついでに、バックダンサーとの恋愛沙汰まできっちりブリトニーやマドンナそのものだった)。そして次第に、騒がれるのは「写真と現物が違う」という居酒屋メニューへのクレームみたいなネットニュースだけになっていった(※あくまで個人の認識です)。

そして2018年、あゆと同世代の安室ちゃんが潔く引退した。微塵も変わらぬプロポーションと、ほぼ一切語らぬプライベートと共に。

あゆがエポックメイキングな歌手だったのは間違いないことだ。「あゆ以前」はなかったし、「あゆ以降」もなかった。2000年代、なぜか同じレーベルのavexから似たようなルックスの女性歌手が何人か出てきたが、みな渋谷のビジョンで一瞬流れるだけで星屑のように消えていった。きっと今も、夜の街にはあの頃のあゆみたいなファッションのキャバ嬢さんたちが沢山いることだろう。いやいないのかな、さすがに。なんと言っても20年前のことなのだから。でもあの頃のあゆを見てきた私は、「綺麗な金髪」という点で西野カナにもあゆを見出してしまうのである。

「変わってゆく僕を許せない あなたはどうするつもり?」とB‘zも歌っている通り、あゆがどう変わろうと応援し続けられなかったのは、私の不徳の致すところなのだろう。ご本人も仰っている通り、きっと作り上げた“浜崎あゆみ“というモンスターが大きくなりすぎて、燃費の悪いアメ車の如く走り続けるのが大変になってしまったのだろう。

そして残った引き出しが、直近のあの本になったのだろう。

“Blue Bird”(2006)は好きな曲である。PVでは、teamAの面々がどこかの砂浜で楽しそうにBBQをしている。今年7月ごろのインスタには「一座みんなでハワイへ」という写真が上がっていた。この人数をあゆが支えているのかと思うと、本当に頭が下がる。立派な中小企業の社長さんである。自分のためだけに休んだりする時間は、滅多に取れなかったのではなかろうか。度重なるremixで磨耗してしまった曲たちのように、彼女自身が“あゆ”をすり減らしながらなんとか前に進んできたのかもしれない。ふとそんなことを思った。

例え歌詞に深みがなく感じても、どこかで見たようなパフォーマンスだと思っても、挑戦し創り上げ成し遂げた人の方がただ批判する人よりいつだって偉い。その努力は、揚げ足をとる行為なんかより遥かに尊い。映画『マダム・フローレンス』を観て私はつくづくそう思った。なので、長い年月を経て「お浜さん」になったあゆのことは、これからもあたたかい目で、陰ながら個人としての幸せが達成されるよう祈りながら見守り続けたい。おわり

#コラム #浜崎あゆみ #あゆ #2000年代

お読みいただきありがとうございました。今日が良い日でありますように。