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毎夏恒例!感動ポルノ(24時間テレビ)のお時間です。

俺はジャック・バウアー。いまはとあるテロ組織に潜入捜査中だ。
秘匿回線でこの録音を行っている。
ちッ、ヤツらめ、もうこの存在に気付きやがった………
俺は引き続き、このクソヤローどもにビッグなカウンターパンチをお見舞いしてやるつもりだ。幸運を祈ってくれ………

ガガー………ピーーー………

って、いうのはトゥエンティーフォーですが、24時間テレビのお話です。

24時間テレビの予告というか告知を見ながら妻がひと言。

「なんで耳が聞こえないのに、リズムが大事なタップダンスを踊らせるの?」

まあ、実際はもっと砕けた言い方だけどね。

なにかっていうと、毎年なにかと話題になる24時間テレビで、今年はどうやら浅田真央が聴覚障害の子供たちとタップダンスを踊るんだってさ。

感動の押し売りを感動ポルノなんて言うけれど、それ自体は別にあっていいと思う。それこそイヤなら見るな、だよね。
でもなんかそこを越えて、24時間テレビにはよくわからない気持ち悪さがつきまとう。
その「よくわからない」って部分がなんなのかなーって思ってたんだけど、その正体がもしかしたら妻のひと言にあるのではないかと思った。

聴覚障害あるんだけど、耳とかリズム感が大事なダンスを踊れたよ、すごいでしょ?

足が悪いけど、高い山に登れたよ、すごいでしょ?

という具合に、基本的に障害がネックになる挑戦をさせたがるよね?
まあさ、チャレンジしたいって個人の気持ちは前向きだし、尊重したいけど、それを健常者が企画したらなんか違うんじゃねーの?

なんつうか、ことさらに苦労を伝えてくる感じ、すごく、、、前時代的です、、、

あれらはけして障害者のありのままじゃないよね?やっぱり作られてるよね?

障害者のことを周知するときに、果たしてそういう特別はいるのかな?ことさらに努力しないまでも、ハンディキャップの中でそれでもイキイキと楽しんでたり、何かに取り組んでるありのままの姿を映してあげたほうがいいんじゃないのか?

それともなにかい?努力してたりない障害者は応援できないのかい?

もしかしたら企画者は至ってまじめに企画してんのかもしれないけど、演出しようって時点でそれはもう、たぶん差別になるんだよ。
まるで障害者は聖人君子ばかりだとハードルを上げてしまったら、共存なんて一生無理だよね?

感動ポルノはもっとも障害者を毀損してるんじゃないのか?
そう、疑ってしまう夏の午後の妻のひと言だった。

つまー、つまー、、、ナイス!w

#エッセイ #コラム #24時間テレビ #感動ポルノ

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