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「『語ることがないのが終わり』……それがジョジョの奇妙な冒険第5部~黄金の風イエム」ジョジョ5部感想覚書

ジョジョ5部をアニメで観ました。

引用元:Amazon.co.jp(https://www.amazon.co.jp/dp/B07J58ZN6F)

DIOの息子ジョルノ・ジョバァーナが主人公という奇抜な真実から始まる第5部。しかしその中身はDIOの問題にまったく触れることのない、ただひとりのジョルノ・ジョバァーナが夢を叶えるストーリーでした。

さらに複雑化したスタンドバトル。ギャングだからこその容赦ない生き死にの争い、死してなおキャラの魅力が引き立てられる人間ドラマ……あまりにも語りたいキャラやシーンが多すぎます。

たとえば、ジョルノの上司にして共犯者にしてもうひとりの主人公ブチャラティ!

※3話時点でのツイート


勝手に死んどる!


たとえば、ジョルノに反発するムーディー・ブルース先輩ことアバッキオ!

※6話時点でのツイート


警察官の誇りを取り戻して死んどる!!!


たとえばギャング向いてない奴まみれのブチャラティチームにおいて真性頭ギャング鉄砲玉野郎ミスタ!

※19話時点でのツイート


ジョルノがボスになって腹心がミスタになっとる!!??!!??!!
しかもナンバー2は亀になっとる!(恥知らずのパープルヘイズ好評発売中!)


たとえば、たとえばそう!

そんな不屈の魂たちが歩む不可視の『運命』!

※30話時点でのツイート

ローリング・ストーンズで言っとるがな~~~~~~~~~!?!!?!!!!!!!

1.感想ぜんぶ作品に言われる

ジョジョ5部、少なくともアニメ版についてはそんな気持ちでいっぱいです。

視聴者の感想をことごとく作品内で言語化してる。それが私にとってのジョジョ5部体験でした。ブチャラティは勝手に死ぬし、アバッキオは警察官だったんですね。

念のために申し上げますと、これは私が勘がいいとか賢いだとかそんなチャチな問題じゃあ断じてねえ。あからさまに、視聴者がそう受け取る要素をあちこちにバチバチにちりばめています。

例として、ブチャラティの話をしてみましょう。ジョルノとの戦いを経て、彼が麻薬に嫌悪感を抱いていると判明したシーンの感想を紹介します。

ギャングが麻薬を売るのは当然だが、気持ちではどうしても許容できない。そんな矛盾した正義に苦しんでいたのがブチャラティです。

麻薬で苦しむ一般人なんて悪の組織にとっては飯のタネにすぎないはず。そこに目が向いてしまう男がギャングに向いているわけがない。普通にお昼はパン屋さんやって夜は町のパトロールでもした方がよろしいのでは?

などと考えていたら第20話でブチャラティの過去が明かされました。

本当にそこまでギャング向いてないのかよ。

第5部では、そんな感想アハ体験がひっきりなしでした。私がぼんやりと受け取った『語られていないメッセージ』『明示されていないキャラのバックボーン』を、後々キッチリ回収してきます。情報の開示が計算されつくされているのです。最近のギャングは感想闇金もシノギなのでしょうか。

もはや公式が最大手。オタクが抱いた感想なぞすべて手のひらの上です。なにせ全部言ってくるんですから。作品がそこまで教えてくれるならファンはなにを語ればいいのか?

胸に残るものはあれど、気持ちが通りすぎるばかりで言葉にならない。主人公のジョルノを象徴する、さわやかな風のようなドラマだったのかもしれません。

2.思想が……人間および運命への思想が強い……

感想貸しつけ鬼取り立ての極めつけといえば、ラスボス戦の直後に挿入されたローリング・ストーンズ編でしょう。

第5部では随所に『決定された運命』を思わせるワードやモチーフが登場します。

時間を吹き飛ばして未来に介入するキング・クリムゾンがラスボスだったり。

教会で死んでいたはずのブチャラティが、なぜか動ける死体として猶予をもらえたり。

どう考えても5回は死んでいるのになぜか生き残ったミスタ。お前なに?

こうした運命のイタズラじみたケースを挙げればキリがありません。

この『決定された運命』と対決すべく浮上するのが『真実に向かおうとする意志』です
結果だけにこだわらず、過程を真摯に歩み続ければ真実にたどり着ける。この思想は、

「すべて運命で決まってるならどう生きたって変わらないじゃん」

と告げる運命論に、

「いいや、懸命に運命に抗った過程には意義がある。決して滅びない」

と力強く反論します。このふたつの哲学の争いは、結果だけを重視したディアボロに無限の死の過程を押しつけるゴールド・エクスペリエンス・レクイエムの活躍をもって決着を見ました。

よくできた構図でしょう。

なにせ全部ローリング・ストーンズが言ってますからねハッハッハ。

5部で長く語りつづけた運命論は、「死ぬ運命にある者を安楽死させる」ローリング・ストーンズをめぐる騒動のなかで具体的に示されます。

そこで語られたのは運命の絶対性と、それでも抗い生き抜こうとする人間への信頼。ジョジョの奇妙な冒険という枠組みを超えて、荒木先生本人の信念を感じるほどの熱でした。

これまでのストーリーを象徴するすべてが、ジョルノの物語が始まる前にすべて語られていたのです。この奇妙な構成もさることながら、私が舌を巻いたのはその説得力。

「ローリング・ストーンズ編で全部語ってしまうのなら、ジョジョ5部という過程は必要だったのか?」

そんな疑問が生じる余地などみじんもないほどに、過程ことジョルノのギャングストーリーはひたすらに面白かったのです。
ブチャラティ、アバッキオ、ナランチャたちの死が無駄ではなかったと魂で理解できるし、あまりにも力強いメッセージを実感をもって受けとめられました。

作劇のクオリティで思想をダイレクトに読者に届けるストロングスタイル。原作を描いた荒木先生や、アニメに落としこんだ製作スタッフの皆さまにあらためて敬意を表したい気持ちです。

3.裏切り者のレクイエム~OPにさえ感情を先回りされとる~

「初めて聞くとなんとなくいい曲ぐらいでしかないが、本編を見終わるとすべてが一本の線で繋がるアニメ楽曲」

今も昔もオタクが大好き人気が高いですよね。
第5部アニメ後期OP『裏切り者のレクイエム』は、その極致にあるオープニングでしたので、その点にもかるく触れておきたいと思います。歌詞カードがジョジョ第5部の教科書かよってぐらい全部書いてある。

まず出だしの、

「神の運命(さだめ)にさえ叛旗(はんき)を翻すギャングスタ」

『裏切り者のレクイエム』より

からして、第5部への深い理解が見てとれます。
これは前期OP『Fighting Gold』でもそうなのですが、この2つの曲は運命に対して「叛旗を翻す」、『Fighting Gold』ならば「だけどあきらめない」と歌っています。
運命への抵抗を示しながらも「変えられる」とはひと言も歌わないんですね。

悲惨な運命を変える結果ではなく、変えようとした過程こそが第5部のテーマだからでしょう。歌いだし10秒で原作理解度マウントとってきてますよこのオープニングテーマ。

ほかに筆者が好きなフレーズは、1番2番両方のサビにあたるふたつのフレーズです。

「身体(からだ)滅びる時 祈りも消え果てる?Hell No」
「何かを得た者が 真の勝者なのか?Hell No」

『裏切り者のレクイエム』より

これは『真実に向かおうとする意志』にかかってくるものですね。仮に悲惨な末路を遂げたとしても、意志をともなう行動だったのであれば、それはだれかに受け継がれる。だからこそ歌でも「Hell No(絶対に違う!)」と否定するわけです。

私がこの歌詞が好きなのは、ブチャラティチームに限定していない点なんです。第5部で身体滅んだ者、何かを得られなかった者といえば、暗殺チームがいるじゃあないですか。

暗殺チームの人生は、残酷な仕打ちの連続でした。
ギャングに身をやつすしかなく、汚れ仕事である暗殺を割り振られ、報酬は安く、幸せになるためボスを倒そうとすれば後に同じ裏切り者となるブチャラティチームに倒され、リーダーのリゾットはあと一歩でディアボロに敗北して全滅、「恥知らずのパープルヘイズ」では乗っ取ろうとした麻薬ルートはスタンド由来のためボスを倒したところでどうにもならなかったとなぜか公式二次創作で追い打ちされるいや本当に悲惨だな暗殺チーム。

でも、彼らの存在は無駄ではなかったのだと思います。

暗殺チームの急襲がなければゴールド・エクスペリエンスが進化することもなかったでしょうし、リゾットがディアボロを足止めしていなければ、今にも落ちてきそうな空の下でジョルノたちは全滅していた可能性だってあります。

暗殺チームたちは何も得ずに死んでいきましたが、彼らの祈りは計らずもジョルノたちの闘争を助け、ついにはディアボロ打倒という目的を達成したのです。ジョルノに意志を託したアバッキオが、ナランチャが、そしてブチャラティが勝者ならば、暗殺チームも勝者といえるのではないでしょうか。


と、いう感想すら先回りしているのが『裏切り者のレクイエム』なわけです。なんなんだよこの曲!!!!たった数秒でオタクのお気持ちを美しく表現するんじゃねえよ!!!!すげえぜ藤林聖子!!!!!

ジョジョのアニメOPはどれも作品へのリスペクトが強く、歌詞もその意志をよく反映しています。
『裏切り者のレクイエム』もまたその例に漏れず、強烈なメッセージ性をもって第5部の物語を訴えかけているのです。

アニメ映像のみならず、楽曲からも伝わるジョジョへの熱意。「つくづく多くの人に愛されている作品を今更になって観ているのだなぁ」そう、しみじみ思わされました。

最後に.大切なのは『感想を書こうとする意志』だと思っている……。

私的な話になるのですが、私が第5部を見終わったのは3月8日のことです。もう2か月以上も前の物語に対して、2か月以上過ぎた今になって感想文をしたためています。

なにせ、とにかく書きづらい。ジョジョ第5部は、感想を言葉にするのが非常にむずかしいアニメでした。

重要なワードや哲学は劇中ですべて語っていますし、キャラクターたちは作品に流れる大きな渦に呑まれるように行動していました。世界観が単独で完成されきっているのです。

「作品が全部言っちゃってるなら、私がわざわざなにかを語る必要があるのか?」

とも思い、なかなか苦戦させられました。

そして2か月うんうんと悩んだ末に「『感想文が書けない『なら『感想文が書けない感想文』を書いてしまおう」と開き直り、こうして手を動かしています。

結果としては「公式が全部言っとる!!!!」をくり返しただけになりましたが、それでもこのすばらしい物語への感動を形にできたので、ひとまず満足です。

それに、この開き直りを得られたのも第5部で「結果に至るまでの過程こそが大事」と励まされたからかもしれません。
アニメから得たメッセージで現実の行動が変わる……そんな黄金色の体験をした気分です。
うまくまとまりましたね。やったぁ!

さて、次は第6部となります。この感想文を書いている時点ではスカイ・ハイとの対決まで読み終えました。
ローリング・ストーンズの直後に始まった「石の海(ストーンオーシャン)」。石が運命の暗喩ならば、空条徐倫はジョースターの運命で埋め尽くされた絶海でもがいている最中なのでしょう。

徐倫が石の海から脱獄する日はくるのか。その時にまたお会いできれば幸いです。

それでは今回はこのへんで。

ではまた。

PS.

ポルナレフはなにを犠牲にしても生存する運命とでもおっしゃりやがりたいのでございますか荒木先生?


※備考

ジョジョ5部を楽しんでいた時のナマの反応はこちらから。

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