育児と育児以外と。
育児と、育児以外。
家庭と、仕事。
オフと、オン。
ワーク・ライフ・バランス
よく言うこういう考え方がありますが、私個人として、こういう二元論はなんだか苦手です。
なんかうまく天秤に掛けたくなるものですが、私の中には、
・仕事に熱中する自分
・NPOで地域を面白くする活動をする自分
・社団法人で楽しむパパを増やす活動をする自分
・みんなでワイワイ酒飲んでるのが好きな自分
・最愛の妻の恋人としての自分
・妻と家庭をより善い環境にするパートナーとしての自分
・可愛い息子の親としての自分
・新しい知を得たい自分
などなど、色んな自分があり、それが単体としてではなく、重なり合いながら存在したり、時折あちらが顔を出し、こちらが顔を出し、しながら生きています。
この考え方は平野啓一郎さんの著書「私とは何か」にも記載されている考え方で、極めて共感したものです。
本書では、個人は「分割できないもの=in-divisual」として定義されていて、そもそも、輸入してきた考え方である、「個人」という価値観が我々にはないのではないか。と書いています。
確かに日本では、個としての価値観よりも、和としての価値観を大切にする傾向にあるなぁと。
ここで改めて思うのです。
例えば家の中にいる自分を見て、妻との関係を見ても、多様にあるなぁと。
・好きな人としての関係
・家庭を構築するバートナーとしての関係
・子を育てる親としての関係
・お互いの夢を応援し合う仲間としての関係
・同じ趣味を持つ仲間としての関係
など。
たかだか妻との関係でもこれだけ、自分は顔を持っているんです。そして、それぞれが私であり、ころころと入れ替わるのです。
いわんや、社会との接点をや。
育休中に色んな活動をして、自分を複層化するのは、こういった価値観があるからです。そうすると、どうしてもオンとオフのように分けきれない。どれも、それぞれの自分がオンなのです。
私は専ら、いくつもの自分を楽しみながら、育休を過ごしていますし、育休中とはいえ、一日の中の役割が「親としての自分」しかなくなると、きっと辛いだろうなぁと感じます。
意識的に「親以外の自分」を持つことで、もしかしたら、気持ちのポートフォリオを組んで、負荷分散・リスク分散しているのかも。
さらに欲を言えば、趣味と仕事と親の役割がクロスオーバーすればいいなとも思っており、それが今正に仕掛けているいくつかのプロジェクトなわけです。
それは追ってまた。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
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