家事は明日の自分のための積み重ね

月曜日の朝、出張の荷物が玄関に置いてある
キッチンには洗いものがなく、すっきりと片付いている
冷蔵庫には週末につくり置きしたおかずが入っている

たったそれだけのことで、その日を充実して過ごせそうな気がします。


ちゃんと睡眠をとって、朝ごはんをしっかりと食べて、用を足して、家を出る。その毎日の繰り返しがこころを穏やかにしてくれます。

あ、ちゃんと俺回ってんな、って。


逆に、

日曜日の夜に洗濯物が大量に残っていたり
月曜日の朝から冷蔵庫はスッカラカンだったり
あ、寝る前にiPhoneの充電するの忘れてたわ、ってなことも

そんなときは、ただそれだけで幸先が悪く感じてしまうもの。たいしたことではないはずなのに、ウッと出鼻をくじかれてしまいます。


昨日は明日やればいいやって思っていたことが、今日になってみると昨日やっておきゃよかったと後悔するのだから不思議だ、くそ。


一週間の始まりでも、一日の始まりでも、朝イチバンでヨーイドン!とうまくスタートを切ることができると気持ちがいいもの。ヨッシャやるぞ!と勢い良く家を出ることができます。


そのためには、今日の自分が明日の自分を思いながら、わずか三分の手間を惜しまないことが大切なんだと感じています。

明日の自分が気持ち良いように、今日すこしだけ頑張っておく。毎日その繰り返し。

とは言うものの、そんなこと分かってるつもりでもなかなかできないのが人間のサガか。


以前「家事は明日の自分のためにやるんだよ」という言葉を聞きました。


小難しい経営本に書いてあるマーケティングの原理原則よりもよっぽど素直にウンウンと頷いたものです。きっとこれって小学1年生の連絡帳にだって同じようなことが書いてあるんだと思います。


ならばさっそく実践一念発起、ということで週末に食材を大量に買い出し、せっせと保存食づくりに勤しんだのでした。明日の自分のためだけじゃなくて、(欲張って)目指せ一週間先の自分。


もやしの和え物、きゅうりの浅漬、きのこづくしのマリネ、茄子の揚げ浸し、夏野菜のピクルス…これで一週間分の食には困らずに過ごせるぞ。

なんて思っていたら、あっという間に食べ切ってしまい、三日と持たずに冷蔵庫は空になったのでした。


スッカラカンの冷蔵庫の片隅に残った(賞味期限の迫った)卵で漬け卵をつくったのがせいぜいの悪あがき。

忙しさのせいにして、昨日も今日もテキトウな飯を食べている。気づけば、洗濯物もこんもりと溜まっている。嗚呼

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