痛みを知ったからこそ人に寄り添える

「私、あなたのことが大好き!」

今日は、とても嬉しいことがありました。

今日は仕事の日。私は統合失調症なのですが、週に3日、介護施設で介護補助として働いています。働き始めて9月でまる2年になります。

仕事に行く前は、「あー、仕事かぁ」と思ってしまうのですが、仕事に入ると、利用者さんや職員さんに「ありがとう!」と言っていただけて、本当にありがたいです。やりがいを感じて働いています。

そして、今日、一人の女性の利用者さんのお風呂上がりの髪を乾かしていたら、
「私、あなたのことが大好きなの。職員さんの中で一番好き!」
と、告白されてしまいました(笑)。とても嬉しかったです。
「私も○○さんのことが大好きですよ。私達、ラブラブですね」
と言ったら、素敵な笑顔を見せてくださいました。

髪を乾かして、乳液をつけて、身支度を整えた後もその利用者さんは、鏡の前から動こうとせず、御主人を病気で亡くしてしまい、深い孤独感や淋しさを感じていることについて話してくださいました。私は、アクティブリスニングを心がけて、できるだけお話を聞きました。

話を聞ききった後で、
「お席に戻りましょうか?」
という私に、
「話を聞いてくれてありがとう。やっぱりあなたのことが大好き!」
と、またまた告白されてしまいました(笑)。そして、また嬉しくなった私でした。

やるべきタスクに追われて、お一人お一人のお話をじっくりお聞きするのはなかなか難しいのが実情です。お話をしたくないという利用者さんもおられます。「話をしたい」と思われる利用者さんには、できるだけ心を寄せて、お話を聞きたいなと思いました。それによって、少しでもその利用者さんの心が晴れるなら、そのお役に立てるならすごく嬉しいです。


利用者さんが抱える喪失感、私が抱えた喪失感

この利用者さんだけでなく、多くの利用者さんはなんらかの喪失感を抱えておられます。長年連れ添った伴侶を亡くされたり、お子さんを亡くされたり、兄弟を亡くされたり。また自分の体の機能が衰えてきて、歩行がうまくできなくなったり、体の不調があったり…認知症の症状がある方もおられます。自分の過去や、大切な家族のことを忘れてしまうのも大きな喪失感だと思います。

「家に帰っても商売の邪魔になるから、自分の部屋から出ないでと言われるの」
と淋しそうにおっしゃる利用者さんもおられますが、それも、自己有用感と自己肯定感を削がれるという喪失感を味わっておられるのでは?と思います。

私は、統合失調症を発症して、離婚したことによって、家庭を失うという大きな喪失感を味わいました。今は長男や長男のお嫁さんや次男と連絡を取り合うことができるようになりました。修行僧である次男は、忙しいスケジュールをやりくりして、時々顔を見せてくれます。私のブログも読んでくれて、応援もしてくれています。本当にいい関係が築けています。元夫や長男、長男のお嫁さん、次男に感謝です。

そんな私ですが、離婚後には息子たちと連絡を取ることできず、会うこともできず、
「こんなんなら死んだ方がマシだ」
と思って、オーバードラッグをして自殺未遂をしたこともあります。

あの時死なずにいて、本当に良かったと、いま心から思います。神様だか仏様だかはわかりませんが、宇宙の大きな力が私に、
「まだ死んじゃいけない。生きよ!生ききれ!」
と言って、助けて下さったと思えてなりません。なので、私は、生ききれるようにと日々私なりに頑張っています。そして、利用者さんや私の周りで弱さや辛さ、淋しさを抱えた人の心に寄り添うことができればと思って生きています。


慢心ということ

話は変わるのですが、修行僧の次男が、円覚寺の横田南嶺老師がYoutubeで配信されている法話や対談の動画を教えてくれました。毎日少しずつ視聴しているのですが、これがすごく心に響くのです。

どれも素晴らしいお話なのですが、昨日聴いた「慢心」、「慢」についてのお話はとても心に響きました。少しまとめてみます。

私たちは、学校で社会で、他人と自分を比べてばかりいます。
「あの人と比べて、自分の方が優れている。自分の方が勝っている」
と、優越感を感じたり、反対に
「あの人と比べて、自分の方が劣っている。自分はダメだ」
といたずらに落ち込み自分を卑下してみたり。横田老師によると、これは「慢の心」、「慢心」なのだそうです。他人と比べることにはなんの意味もないのだそうです。

それなのに、私たちは学校で、会社で、社会で、人と競う事ばかりを要求され、時に限界を超えるまで頑張って、人を傷つけたり、自分の心を壊したりさえするのです。かつての私もそうでした。

横田老師は、「他人と比べること」の愚かさを解かれていました。他人のモノサシではなく、自分のモノサシで測ることが大切なのだと説かれていました。

(10) 第204回「最も安らかで穏やかに生きるには」2021/7/29【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 - YouTube


痛みを知っているからこそ、人に寄り添える

私は、統合失調症を発症して、仕事や家庭を失いました。病気がひどかった時、すごく友だちに迷惑をかけてしまったこともあります。音信不通になってしまった友達もいます。それは、私の「慢心」が引き起こしたことではないかと思います。

「もっと、もっと」とか、「自分は人より優れていなければならない」とか、「こうあるべき」とかいろいろなものに縛られて生きていました。苦しかったです。

病気になって、入退院生活をして、仕事も家庭も失って、私は痛みを知りました。痛みを知ったというか、落ちるところまで落ちました。

痛みを知ったことで、落ちるところまで落ちたことで、私は変わりました。
良い方へ変われたと思っています。他人の痛みに心を寄せられるようになりったからです。

父や継母が亡くなったり、元夫と離婚したりと別れを経験したことによって、いまその人と縁が結べていることの尊さに、心から感謝できるようになりました。
「その人のために、自分は何ができるか?」
「どう寄り添えるか?」

そう、あたり前なんてないのです。

痛みを知れたこと、人の心に寄り添えるようになれて良かったと思います。たくさんの大切なものを失って知った痛み。それは、私を以前より優しくしてくれたように思います。

利用者さんの心に寄り添って、明日も仕事を顔晴ります!

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。




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