目先の損得にとらわれないで生きる

目先の損得にとらわれないには?

今日は、台風のために仕事が休みになりました。さすがにこんな日に施設を開けたら、利用者さんも、職員もとても危険です。休みになったおかげで、ブログを書く時間ができました。午後からは、本の執筆に取り組める時間もできました。嬉しい!書く時間は、私にとって、何より幸せなものなのです。

今朝のゼロ秒思考のメモ書きルームのタイトルは、
「目先の損得にとらわれないには?」
でした。タイトルに対しての私のメモ書きは、
ー 目先の利益、損得ではなく、自分の原則の「貢献」に従って生きる
ー 誠実に生きる
― 相手のためにという思いを持ち、行動する
― でも自分軸で
でした。

偉そうなことを書いていますが、毎日、「損得勘定」にかなり振り回されて生きています(笑)
「あっちのお店の方が安いぞ」とか
「これをプレゼントしたら、きっと何かいいものが返ってくるに違いない」
とか(笑)

Clubhouseのシモトリマコトさんがおすすめされている、白取春彦さんの「仏教『超』入門」という本に、損得の事が書かれています。

「人の毎日は決断の毎日でもあります。ですから多くの人は「それは得か、損か」という基準で判断しています。」

「けれども、これとて迷いです。なぜなら、その場の損得が人生の本質ではないからです。損得勘定でずっと生きてきて、死に面してようやく自分の人生は何だったのかと悔やんでも遅いのです」

「そういう意味で、資本主義は迷惑だと言えます。資本主義の目的が『利益の追求』だからです。それはただ金銭的な利益の追求であり、そのためには人間性や善、真理などが無視されています。」

迷惑というのは、仏教用語だそうです。損得勘定に振り回されて、とても大事な人間性や善、真理などを見失ってしまうのは愚かなことだと思いました。そうならないように生きたいと思いました。


心を高めること、魂を磨くことこそが人生の目的

私は、本を読むのが好きで、だいたい週に1冊は読んでいます。そんな本の中でも特に感銘を受けたのが、京セラの創業者の稲森和夫さんが書かれた「生き方 人間として一番大切なこと」という本です。とても有名な本だから、読まれた方も多いのではないでしょうか?
 
生きている意味や人生の目的が分からなくなる時はないでしょうか?私は病気がひどかった時はただ惰性で生きていました。なんの目的も持たず、朝から、ただぼうっとタバコをふかしていました。恥ずかしいけど、パチンコに依存していた頃もありました。そう、生きながら死んでいるようでした。

稲盛さんは、「生き方」の中で、こう書いておられます。

「私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。もっとも根源的といえるその問いかけに、私はやはり真正面から、それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです」

「昨日よりましな今日であろう、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努める」

「生きていくことは苦しいことの方が多いものです。時に、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと神や仏を恨みたくなることもあるでしょう。しかしそのような苦しき世だからこそ、その苦は魂を磨くための試練だと考える必要があるのです」
 
この
「心を高めること、魂を磨くことこそが人生の目的」
という稲盛さんの言葉は、私の心に深く響きました。お金を稼ぐことでも成功することでもないのです(もちろんそれらもモチベーションを高めるために必要なのかもしれませんが)。

昨日の自分よりも、少しでも心を高める。魂を磨く。それこそが究極の人生の目的だと、稲盛さんはおっしゃっているのです。

シモトリマコトさんが、Clubhouseのゼロ秒思考のメモ書きルームで、
「昨日の自分より、また少しレベルアップしましたね」と、毎日おっしゃって下さいます。この言葉が、私は大好きです。他人と比べるのではなく、自分自身にフォーカスして、その心を高めて、魂を磨くことが大切なのですね
 


利他の心で生きる

また稲盛さんは、「利他の心で生きる」ということの大切さを説いておられます。
「おのれの事は脇に置いて、まず他人を思いやる」
「仏教でいう『他に善かれし』という慈悲の心、キリスト教でいう愛のことです。もっとシンプルに表現するなら「世のため、人のために尽くすということ」
これらの言葉にも、私は深く共感しました。

私は、誰もが幸せに安心して暮らせる優しい社会を創りたいと思っています。優しい社会とは、誰もが、自分を認めて受け入れて、自分と違っている他者も認めて受け入れて、互いに思いやれる社会だと定義しています。それは、誰もが安心安全に暮らせる社会です。

そのためにこうしてブログを書いて発信しているし、自分自身のメッセージを伝える本を出版したいとも思ってもいます。「違いを認め合える会」Crossroadsの活動も、そんな思いから続けています。大変なことももちろんありますが、「優しい社会を創りたい」「違いを認め合える社会を創りたい」という思いが、私を突き動かしています。

そんな優しい社会を創っていくためには、稲盛さんがおっしゃっているように
「慈悲の心」、「愛の心」、「利他の心」を一人ひとりが持つことが大切なのではないでしょうか?
 
稲盛さんは、また、こうも書いておられます。

「どんな時でも愚直なまでに真剣に物事に取り組み、真正面から困難にぶち当たっていく。それが、成功するための唯一の方法であり、私達が日々心掛けるべき原理原則といえます」

「ど真剣さ」が大切なのですね。岡本太郎さんは「燃えるようなイエスを持つこと」が大切だとおっしゃっています。

「利他の心持つ」「ど真剣に生きる」「燃えるようなイエスを持つ」。簡単なようでなかなか難しいです。でも意識していきたいです。
 
私にできることは小さなことかも知れません。社会を動かすことなんてできないのかもしれないです。けれど、仕事で、そしてプライベートで、
「自分はその人のために、自分は何ができるだろう?」
と考えながら、人に接していきたいし、行動していきたいです。

思いを持ち続けて行動し続けていたら、神様も仏様も、きっと背中を押してくれると信じています。頑張ります。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。


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