働くということ

野口塾での学び

土曜日は野口塾に参加しました。Zoomで参加しました。

野口塾は、日通を定年退職されて、現在グリットコンサルティング合同会社の代表で、大学の講師をされたり、野口しあわせ研究所の所長でもある、野口雄志さんがやっておられる塾です。月に一度、リアルとオンライン併せて、限定10名で学ぶ塾です。

私は昨年の11月からこの塾にZoomで参加しています。野口さんが毎回2つお題を出されて、それについての自分の考えをまとめて、発表し、それについて質問したり、フィードバックをしたりします。アウトプット重視の塾です。

この野口塾、とても面白くて、楽しいのです。英語で表したら、interestingであり、enjoyableといった感じでしょうか?あっという間に時間が過ぎてしまう、とても濃くてためになる学びの場です。

自分の考えをまとめて、アウトプットすることって、あるようでないですよね?野口塾は貴重な場だと思います。

自分の考えをまとめて、アウトプットするのも楽しいのですが、他の参加者の方の発表を聞くのも、すごく面白いし、学びになります。

参加者の方の中には、経営者の方もおられたり、心理学を教えておられる方もおられたり。普段なかなかお逢いできないような素敵な方ばかりです。

私がお誘いして、私のカウンセラーの妙さんも塾生になられました。

うっかりしていると、すぐ定員に達してしまう野口塾。毎回急いで申し込んでいます。

すごく楽しい学びの場であると同時に、野口塾は、安心安全な場でもあります。みなさん、お互いを批判したり、否定されたりしません。

日通で300人の部下をまとめ、一人のメンタル疾患者も出さなかったとおっしゃる野口さん。そんな野口さんの温かいお人柄が、野口塾を安心安全な学びの場にされているのだと思います。

私にとっては、本当に貴重な学びの場。それが野口塾です。


働くということ

今回の野口塾のテーマは、「働くということ」「信頼感とは」というものでした。私がアウトプットしたことや、野口先生の著書
「働くことは人生だ!きみたちはどう『はたらく』か?」から得た気づきについて、まとめたいと思います。

みなさんにとって、「働くということ」はどういうことですか?
「楽しい」
「しんどい」
「できれば働きたくない…
いろいろな思いがあるでしょう。

野口さんは、「働くことは人生だ!きみたちはどう『はたらく』か?」の中で、「『働く』とは、『はた』を『らく』にすること」だとおっしゃっています。「傍(周りの人)を楽(らく)にすることから成り立っている」とおっしゃっています。

つまり、「自分が動くことによって、自分以外の誰かが楽になる」ということだそうです。そう、自分が誰かの役に立つということです。

「楽」には、らくという意味に加えて、「楽しくする」という意味もあると、野口さんはおっしゃいます。自分が誰かを楽にして、誰かの役に立ち、そして誰かを楽しくさせる。それは、とても素敵なことだと思いませんか?


私にとっての「働くということ」とは?

では、私にとって、働くということとはどんなものでしょうか?

私は、今3つの「働く=傍を楽にする」ことをしています。
①介護補助の仕事。
②「違いを認め合える会」Crossroadsの活動。
③ブログを書いて、発信することです。

それぞれへの私の思いを書きます。

①介護補助の仕事
私は、現在、障害を開示したオープン就労で、介護施設で介護補助の仕事をしています。主にお風呂上がりの利用者さんの髪を乾かしたり、身支度を整える整容の仕事をしています。

この仕事をしているのは、お金を得るためと、「誰かの役に立ちたい」、「誰かに必要とされたい」という思いからです。

お金が頂けるのは本当にありがたいです。そのお金で、野口塾で学んだり、妙さんのカウンセリングを受けたり、LAUNDRY CAFEの英語のイベントに参加出来たりしています。

また、利用者さんや職員さんから、「ありがとう」「おおきに」と言われたら、本当に嬉しいです。その言葉で、私の自己肯定感は上がってきました。

やりがいのあるこの仕事。これからも続けていきたいです。


②「違いを認め合える会」Crossroadsの活動

これは、まったくのボランティアでやっています。妙さんと一緒にこの会の活動を始めて3年目になります。月に一度、妙さんのお宅で、季節の食文化を共に楽しみながら、開かれた対話を皆さんとしています。

3月にはみんなで植物園に行ったりもしました。5月にはBBQもしました。シンガーソングライターの阿部ひろ江さんの歌を聴いたり、アイルランド音楽の生演奏を聴いて楽しんだりもしました。みなさん喜んでくださいました。それがまた、私と妙さんの励みにもなっています。

正直、大変なこともあります。なのになぜ、私が、まったくのボランティアでこのCrossroadsの活動を続けているのか?

それは、私自身の経験と、統合失調症という病気を抱えたことにあります。

私は22歳、大学4回生の時に、僧侶であった元夫と結婚して、中国地方の小さな町の山寺に嫁ぎました。元夫しか知り合いがいなくて、しかも姑との同居生活。大変なことがいっぱいありました。でも、まわりに友達はいませんでした。
「誰かと話したいな」
「愚痴を聞いてほしいな」
「淋しいな」
「ガス抜きしたいな」
と、いつも思っていました。

私と同じような思いや病みを抱えている人の居場所づくりをしたいと思ったのです。

そして、もう一つの動機は、私自身が統合失調症という病を抱えたこと。この病気を発症して、約20年になります。今では働けて、一人暮らしもできるようにもなりましたが、通院して服薬を続けています。

この病気になって、感じたこと。それは病気のことを自己開示することの難しさです。差別や偏見や無理解が怖いからです。

今では、初めて会った人にも、病気のことを自己開示している私ですが、長い間、自己開示できずにいました。そのことで、私はいつもびくびくしていました。

Crossroadsには、統合失調症の当事者の方や、統合失調症のご家族がいる方が、参加してくださったことがあります。それ以外の心の病を抱えたことのある方も参加してくださいました。

Crossroadsが、誰もが安心できる居場所になれば嬉しいです。そして、心の病を抱えた人やご家族の方が、安心して自己開示できる場になればいいと願っています。そのために、妙さんと共に頑張っていきます。


③ブログを書いて発信すること

これは、私のライフワークです。ブログを書く理由は、Crossroadsの活動を続ける理由とかなり重なります。

心の病や生きづらさを抱えたたくさんの方が、私のブログを読んで下さっています。たまにコメントも頂きます。

また、リアルで会ったことのある方が、
「実は自分も鬱をかかえている」とか「家族が心の病を抱えている」
と、自己開示してくださいます。

「あー、やっぱり、なかなか言えないんだなあ」
と思います。心の病を抱えていなくても、生きづらさを抱えている方も読んで下さっています。本当にありがたいです。

そんな方達お一人お一人に寄り添えるようなブログが書けたら…
読んで下さる方の傷口をいやすことができるようなブログが書けたら…

と、常に思っています。

ブログを綴ることなんかで、世の中を変える事なんてできないかもしれません。私は何の肩書もないし、非力な人間です。

でも、誰かが声をあげなければ。誰かが行動に移さなければいけない気がしています。それが私を突き動かしています。

私にやれることをやれる範囲で。
でも、誰かの心を温かく、明るく照らしていきたいのです。

私にとっての3つの「働くということ」。その一つ一つをこれからも心を込めながらやっていきます。

長文になりました。最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

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