言語化は自分にとって原点回帰である、という話

ライター業を始めて3か月が経ちました。
文章を書くということは、私にとって本当に楽しいことです。
ふと、もしかしたら昔から「書くこと」って自分の中では大きな軸だったのかも?と思い始めました。

今思えば、特技だったのかもしれない

小さい頃から、文章を書くことが好きでした。
学校のテストでは算数は10点、国語は100点。(ザ・文系)
受験科目でも、小論文は得意でいつも高評価をもらえていました。
そういえば、創作の物語を書いていた時期もあったっけ…(根暗な中学生時代)

でも正直、今までは「文章を書くこと」って当たり前すぎて、それ自体を仕事にできるって感覚がなかったんだと思います。
話すことや食べることと同じくらい、誰にでもできる自然なことのように感じていました。

でも実は、誰にでもできることってわけでもないのかもしれない。
そう気づいたのは最近です。

視覚的な芸術を言語化する

学生時代、美術大学で芸術学を専攻し、学芸員を目指していました。
バウル・クレーという画家が大好きで、クレーの研究者になりたいと思ったからです。

芸術作品には、必ず意図やテーマ・コンセプトがあります。
作品の背景や作家の思いに触れ、その作品を読み解くことは、感動的でとても楽しいことなのです。

その感動をあらゆる人に伝えたい。
その思いで、たくさんの美術作品を見て、考え、レポートを書く学生生活を過ごしました。
結局学芸員になる夢は叶わなかったけど(狭き門すぎて諦めた)、学生時代に培われた「芸術作品を言語化する力」は、私の人生の幅を広げ、豊かなものにしてくれています。

写真にハマって気づいたこと

娘が生まれてから、一眼レフカメラを買いました。
娘たちの成長を記録するつもりが、ハマったのは風景写真を撮ることでした。
地域の写真サークルに所属し、今ではすっかりカメラ沼の住人です。

撮ることは楽しい。
カメラを始めた頃は、ひたすら撮りに出かけていました。
でも最近、撮ることよりも「見ること」のほうが楽しくなってきたんです。

写真について、じっくり見て読み取り、語る。
写真の技術や知識が深まった今だからこそ、見方や読み方が分かって腑に落ちる。
そしてまた、そうやって読み取ったことを、自分の言葉で言語化することが楽しいんです。

「どんぴしゃ」な表現ができたときの快感

うまく言葉にできない、ってことは往々にしてあるものです。
でもそれを、あえて言葉にしようとしたとき、
「それです!まさにそういうことです!」
っていう表現に出会えたときの喜びって、とても大きいんですよね。

それは、自分の紡いだ言葉でも、誰か他の人の言葉でも同じ。
だけど、自分の言葉で他の誰かを感動させることができたら、より大きな喜びになるでしょう。
自分にとって、唯一無二の表現を見つけたいものです。

めぐりめぐって言語化に回帰する人生。
ここでたどり着いたライターという仕事は、果たして私にとって天職なのか?
始めて3か月じゃまだ分からないけど、とにかくやれるだけのことはやってみたい気持ちです。

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