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父の死で人生観が変わった話

ちょっとした身の上話です。
私の実父は、47歳で亡くなりました。私が高校3年生のときでした。
父の突然死は、私の人生に多大なる影響を与え続けています。

葬式くらいは行ってやるよ

私が10歳の頃、両親は離婚し、私は母の元で育てられました。
しばらくは父との面会もありましたが、私が中学生になる頃には会わなくなっていました。

父はすこしばかり、暴力的な面がある人でした。
だから私は当時、両親が別れて良かったとすら思ったんです。
それでも、血のつながった生みの親。
もう会うことはないかもしれないけれど、いつか死んだときには葬式ぐらいは行ってやろう。
そのくらいの距離感で過ごしていた思春期でした。

「今日はまっすぐ帰りなさい」

高校3年の秋、受験を控えた模試の日。
テストが始まると同時に、監督の先生が私のところへ来て耳打ちしたのです。
「お母さんから連絡があった。試験が終わったら、今日はまっすぐ家に帰りなさい」
(いつも寄り道して帰ることがバレてる…)

言われた通りまっすぐ家に向かう帰路、ふと父のことが頭をよぎりました。
もしかして、なんかあった?

予想通りでした。

霊安室で見せられたもの

父は霊安室で冷たくなっていました。
いやまさか、数年ぶりの対面が、こんな形になろうとは…
現実味を帯びない状況を目の前にすると、ただ無感情で愕然とすることしかできないんだな、と冷静に考えたのを覚えています。
苦しみの表情のまま亡くなった父を見て、母は泣いていました。

親戚のおばさんが、父の財布を見せてくれました。
「財布の中に、これが入っとったんよ」(岡山弁)
それは、色あせてしわしわになった、私の写真。
見た瞬間、私は泣き崩れました。

押し寄せる親の愛と後悔の念

会いたかっただろうなぁ、私に。
血のつながったひとり娘だもんなぁ。

すぐ近くに住んでいたのに、家も知っていたのに、なんで会いに行かなかったんだろう。
なんで、ずっと生きてるもんだと思っていたんだろう。
突然死ぬって可能性を、どうして考えなかったんだろう。

離婚してから父の悪口ばかり言っていた母は、父との思い出を語るようになりました。
母から父の話を聞くたび、私は父の死をひしひしと実感するのでした。

いきなり死ぬんだ、人って。

死ぬときは死ぬんです。
明日かもしれない。
急に胸が苦しくなって、病院に行っても原因が分からなくて、大きな病院を紹介されて、行ってみたけどやっぱり原因不明で、とりあえず落ち着いたから家に帰ろうと病院を出ようとしたその玄関で、倒れて死ぬかもしれないんです。

後悔のないように生きよう。
やりたいことはやっておこう。
行きたい場所には行っておこう。
会いたい人には会っておこう。
生きてるうちに。

父は、17歳の私にそう教えてくれました。

今、私にできること

父の死から15年。
もしまだ父が生きていたとしても、もしかしたら一度も会っていないかもしれません。ずっと、葬式ぐらいは行ってやるよ、ぐらいのスタンスを保っていたかもしれないし、あるいは結婚式ぐらいには呼んだかもしれません。
でも、今となっては分からないこと。

私は、自分が生きた証を残したい。
さいわい、理解ある家族に恵まれました。
もし明日死ぬとしても、私にできることはまだまだあるはず。
ときどきこうして、向き合い、再確認する時間が必要なのです。

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