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節目、を自分でつくる人生

「公」と「私」、をほとんど意識しない、どれも「私」だというスタンスで生きてきたので、今日ここに綴ることも、もっとふさわしい報告の仕方があるという指摘を受けるかもしれないけれど、世の中「こうじゃなきゃダメ」は意外と疑っていいものが多いし、自分のことなので好きにしたいし、今書き留めておきたいことを、また感謝を伝えたいことについてを、アウトプットします。

トダビューハイツを卒業

2017年3月から約5年暮らしたトダビューハイツを、2022年5月に卒業しました。普通、引っ越しました、です。でも卒業な感じ。卒アルのようなトダビューライフアルバムを大家の江美さんからいただいたり、ハイツ仲間のみなさんに送別会だけじゃなく、駅の改札で見送ってもらったり。「こんなに離れ難い賃貸、ないよね」、そう江美さんと話しました。

江美さん作の卒アルと離れ難いねと語らう江美さんと私

トダビューライフは部屋に、じゃなく町に住んでいる、を実感できるものでした。入居時にオススメのカフェやスポットをコンシェルジュのように江美さんに教えてもらって、ご近所仲間を紹介されてイベント一緒にやって、台風やコロナ禍でひとりじゃない感を味わって、そういう日々でした。

帰りたくなる賃貸、帰りたくなる町は、第二の実家のような、ある意味根無し草な私にとって、心強い存在です。

NPO法人コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン(COJ)の代表理事を退任

2020年6月から務めた役割を、2年の任期とともに退任しました。代表理事ではなくなるものの、今後もスタッフとして働くことは変わりありません。代表であってもなくても、私がCOJでやりたいことは変わらないからです。

それでも、2014年から活動を続けてきた組織の代表理事としては、確実にタスキをつなぎたい、という目標が常にあるので、やっぱり重みはありました。コロナ禍とほぼ重なる2年間、なおかつ組織経営の経験皆無という、「よくそれで代表になるとか言いましたねw」と言われてもおかしくない私が、2年の任期を終え次の代表にタスキをつなぐことができたのは、一緒に活動するメンバーが私を信じてくれ、私もそういうみんなを信じることができたからでした。ありがとうございました。

傷つけたし傷ついたし、40過ぎても泣きながら仕事するのかwと思ったし、もっと楽に生きる方法絶対あるよねと何度も思った2年間でしたが、COJの代表理事を務められてよかったです。

COJのみんなによるサプライズ520プロジェクトの写真

拠点を沖縄に移動

人生11回目の引っ越しは、トダビューハイツのある東京都荒川区から沖縄県那覇市への移動となりました。沖縄県民になるのは、2000年に大学卒業とともに神奈川県の実家に戻って以来、人生で2度目です。沖縄のみなさん、再びよろしくお願いします!

沖縄に到着した日は大雨でしたw

沖縄に来た理由は2つくらいありますが、決断は「(人生90年だとすると)残りは45年。頭も体も健康で働ける時間はそのうちどれくらいかわからないから、無駄遣いしてしている暇はない!」という思いによります。誰に言われたのでも、何か動かなきゃいけない理由があったわけでもなく、自分で決めました。

沖縄に来た理由の1つ目。端的に言うと、沖縄だけに米軍基地に派生する問題の多くを押し付けながら「安全」に暮らし続ける場所にいたくなくなった、という感じです。日本という国の、沖縄以外で暮らしていると、日常生活をどのように米軍基地という存在に阻害されているかが、ほとんど見えません。見せないように、1972年に沖縄の施政権が日本に返還されて以降、日本本土の米軍基地は次々に返還されましたが、沖縄の米軍基地だけがほとんど返還されず残されてきました。東京近辺に生活の邪魔になるくらい米軍基地があったら、日本政府と米国は、こんなに安易にスムーズに基地機能を維持させられないからです。

今回沖縄に移るに当たって、何人かの人たちとそういう沖縄の現状を共有できたり、「あだにー沖縄行くのか。ちょっと調べてみよう」そう思うきっかけにしてもらえたり、少しでも逸らされてきた目を沖縄に向けることができている手応えがあって、こういうことを積み重ねていきたいと思っています。

2つ目の理由は、わくわくするから。沖縄には、現状を憂いて嘆くだけではなく、それを何とかしようとアクションする人がいっぱいいます。それは声を上げなければ自分たちの命が危ういという、危機感が強いせいもあると思うので、単純に「すごい!」と私が言っていいとは思っていません。でも勇気づけられるし、これが健全だと思います。

そういう人たちの存在と、私が運よく出会ったコミュニティ・オーガナイジング(CO)という手法と、COを学び実践するために頼りになりすぎるCOJコミュニティが掛け合わされることで、“復帰50年”は「とても祝う気になれない」節目となってしまったけれど、ここからの50年は確実な変化を求めていける時間にできるのではないかと、ものすごく個人的には希望を感じているのです。

沖縄では、首里池端町にあるシェアオフィスをベースに活動します。上述したように、COJの仕事をオンラインでしながら、沖縄に来たからこそできること、やりたいことへのチャレンジを少しずつ増やしていきたいと考えています。ぜひこれからのあだにーもご笑覧くださいませ。

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