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2019.2.24県民投票:沖縄はいつも私の民主主義の教科書

県民投票当日は朝8時前集合、片付けを終える22時前まで、所属団体のワークショップだった。だから、気になる県民投票の投票率の推移は追えず、県民投票のこと沖縄のことを考える時間もほとんど持てないのだろうなと、集合場所に向かった。それでも、私は自分の仕事は民主主義を育てるものだと思って取り組んでいるから、仕事を全うしたい気持ちと県民投票成功を祈る気持ちは同じものだと信じて。片付けを終えて2人の同僚と大ジョッキで乾杯したとき、35人の参加者と20人弱のスタッフで作り上げたワークショップの会場を包んだものは、やっぱり同じ気持ちだったと、確かに思えた。

日本という国に暮らす私たちは、「そんなことできるわけない」「それは国や行政が考えること」と、知らず知らずのうちに思い込まされていることが多い。ある日、自分や家族や大切な人たちが心身に異常をきたしたり、大きな事故に巻き込まれたりしたときに、「あれ?」と思う。そこで「仕方ないか」「ついてなかった」と何もしないことを、なんとなく美徳とするような空気の中で生きている。子どものころから「がまんしなさい」「みんなと同じようにしなさい」と教えられてきたように思う。でも声は挙げて良いし、黙っていることが美徳でもない。

私が最初に自分の違和感に気が付いたのは1995年で、浪人生だった。予備校の小論文の先生が紹介してくれた『人間を幸福にしない日本というシステム』という本を読んだとき。日本人はおとなしすぎる。自分の意見を主張しない。主張しなければ自分たちの社会を自分たちが育てることはできないというようなことを読み取った。日本でかつて「学生運動」があったと聞いたことはあったけれど、確かにそのころ日本は誰も波風を立てようとしていないように見えたから、筆者の言うことはもっともだと思った。

その直後、1995年9月、私はテレビ越しに現代日本で波風が立った、市民が声を挙げる場面に遭遇したのだ。沖縄県民集会。ものすごい怒りのエネルギーが伝わってきた。こんなに露わになる民意を初めて見た。「このエネルギーを直に感じたい。沖縄に行こう」。そのとき私は、琉球大学で政治学を学びたいと、はっきり思った。沖縄以外で民意が社会に反映されることを肌感覚学べる場所はないと思ったからだ。今思えば、あのときから私の民主主義の教科書は沖縄になった。

1996年9月の沖縄県民投票が、私が最初に投票した選挙なのは、実はけっこう誇りだ。ただ、あのときはただただ「反対にマルを!」と叫ばれていて、そうしないものはまるで非国民の扱いで、違う意見を聞いて一緒に考えるような雰囲気ではなかった。どうしてか振り返ると、投票は「県民の怒りを明らかにすること」を目指す風潮があったからではないかと思う。その先にどんな希望があるか、どうして今県民投票をするのか、それを味わってたのしんでわくわくしながらの投票ではなかった。

でも投票資格者の4分の1を大きく超える人が「辺野古新基地建設反対」の意志を示した今回の224県民投票は、希望があふれるものだった。私に投票権はないし沖縄で直にその雰囲気を味わってはいないけれど、元山さんの「パパはあのときどうしてたの?って将来子どもに聞かれたときに胸を張って話したい」という主旨の発言に象徴されるように、自分たちの1票が将来につながる、未来をつくる、それが自分たちにできるんだ、みんなでやろう、というわくわくする空気を確かに感じた。

自分にはパワーがないと思っている人たちが声を挙げず、投票したところで現状は変わらないと大切な権利を放棄することも少なくないこの国で、投票できるよろこびを思い出させてくれるプロセスが、224県民投票にはあった。CMにも動画にも心を揺さぶられたし、意見が対立してもあきらめず全有権者が投票できる選挙にしたし、建設にどう影響するか不透明なものの無視できない大きさの声にすることもできた。私たちの1票がどんな希望を生むのか見せてくれた。やっぱり沖縄は私の民主主義の教科書。

沖縄から学ぶ民主主義を広めること。それが私のしたいことなのかもしれない。県民投票の行方は追えなかったけれど、今目の前にある何かを変えたい良くしたい、病気でも苦しい立場にいてもあきらめず「コミュニティ・オーガナイジング」を学ぼうと集まったみなさんと同じ時間をともにしたことで、ものすごいパワーをもらった。数年前から私の教科書に加わった「コミュニティ・オーガナイジング」は、『スイミー』のイメージで「普通の人」が変化を起こすことを学ぶもの。People Have the Power!信じる!!

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