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法律が何なのか希望とともに捉え直した

2023年5月24日の衆議院法務委員会で行われた、性犯罪に関する刑法の法改正に関する、寺田学さんの質疑に、すごく大きな意義を感じたので、議事録探せば読めるのに、文字起こししてしまった(※文字起こししたのは0:58:00~1:08:20頃)。かみしめたくて。せっかくなのでここに残しておこうと思う。
※リアルな語りだからこそ心に響くのですが、状況によってはしんどい部分もありますので、閲覧、視聴の際はご自身の状態に合わせて、無理のない範囲でお願いします。

立憲民主党・無所属
寺田学さん

私が長年取り組んできたこの刑法の質疑の最後となると思いますので、自分自身として考えることをしっかりと述べ、議事録に残したいと思っています。私自身考えていることを申し上げますと、今回の法改正の中核的な要素というもの自体は、性的同意というものを初めて本質的に理解し法案に落とし込んだことだと私は思っています。

その意味を踏まえて、過去自分自身の性行為に関して特に若い時に、その相手との性的同意がどういうものであったかということを改めて振り返りました。相手の同意を得ずにしたことはないと私自身は確信しているのですが、同意と思っていたそれ自体は相手が嫌がらなかった、または拒否しなかったというもので、それ自体を、「いや、本心は嫌がっていないはずだ」「恥ずかしがっているだけなのだ」と自分にとって都合のいいことを考えていたのではないかと、正直戸惑いが今もあります

この性的同意に対する未熟な理解をもとにした性行為というものは、一方の勝手な思い込みと過信でしかなくて、今落ち着いてその時の相手の気持ちに立てば、拒否できない、怖い、嫌われたくない、言い出しにくい、そのような気持ちをただ表面化できていなかったのではないかなと想像がついて私は反省が募ります

いずれ私を含めて多くの成人が、今回の法律をもとに過去をあり方を振り返るべきだと私は思います。逆に、性的同意のあり方を振り返ることもなく、従来通り、これは法務省の担当記者から、「おとな同士の性的同意は阿吽の呼吸なのだ」というようなことを言われたのですけれども、そういう認識でとどまっている人は自分自身のコミュニケーション能力が乏しいということを今回の法律をもって気付くべきだと私は思います。

今回の改正は、日常に暮らす方々に特段大きな負担を課すものではないと私は思っています。ただ単に相手との性行為に臨むにあたり、地位や相手との関係性を利用することもなく、酒の力も借りず、年齢差も利用せず、当然お金で買うこともなく、相手の気持ちと立場を尊重して丁寧に相手の同意をとって臨むことを求めているものに過ぎないと思います。この法律は、この要件に不安を覚える人は、性行為に及ぶこと自体を思いとどまるよう説くものでしかないと思っています。

ある友人女性から言われたことが印象に残っておりますので申し上げます。「女性は圧倒的な力の差から深層心理では常に男性から脅かされている存在だ。だからこそ1対1の状態で男性に対して自由に断れるということはまずないという前提に立つべきだ。だからこそyes means yes.なのだ」と2年前に言われました。力の強い側から見るとおよそ対等だと思える環境であっても、力の弱い側から見ると対等ではないということは事実なのだと思います。このこと自体は裁判所の中でも起きていることだと思いまして、ある一例を紹介します。

強制性交等の被害を受けた女性が、被害の翌日友人から強く勧められて救急外来に行きました。過呼吸になって嗚咽しながら受けた診断の結果、陰部に負傷があり、被害者が妊娠を心配したことから、緊急避妊薬が処方された。警察に被害を通報したけれども、涙を流して震えるばかりだった。そのような中で様々な形でその被害は申告し裁判になったのですが、結果として裁判所は、被告人と被害者の間に性交があったとは認められないし、被害者が性行為に同意していなかったとも認められない。被告人を無罪とした。

その判事中には「被害者が声を出せる状態であったのに、性交されるかもしれないという段階に至ったにも関わらず、大声で助けを求めるような行動にも出なかったというのは不自然。逃げられるタイミングがあったのに部屋からも逃げようとせず、目を覚ましたとき、被告人と部屋に二人きりになったことに気づいた時点で部屋を出なかったことも、初対面の異性の被告人を信頼しすぎであり、被告人にまったく男性としての好意を持っていなかったのか疑問」という風に、公判中に裁判官は述べたそうです。抗拒不能の判断というのはいかにポンコツであって、内心の判断というものがいかに現実こういう形でなされているのということは、私はこの判例を見ながら思いました。

夫婦間における性暴力に関しても、今回明文化することに疑問を持つ人が少なからずいるようです。いくら夫婦であっても自分の体ではないですから、除外することは私はできないと思っていますし、従来からこのことは組み込まれていたものだと思います。現に、私の友人でも、夫の性行為の誘いを断ったがために、クレジットカードを止められたという人が居ります。例え夫婦であっても結局立場の強弱は生まれていると思います。

そもそも、私はここ強く思うのですが、男性と女性で性行為の向き合い方が全く違うと思っています。ある男性からは最近このようなことを言われました。「性交同意年齢を引き上げることに関して、少年少女の恋愛が性愛に結びつくのは、純真と性の目覚めと好奇心等で様々で、思春期の少年少女たちの行為行動を一律に法的に悪とするべきではない」という話でした。一見ごもっともに聞こえるような立派な発言ですけれども、少年少女というもの、男性と女性の性行為への向き合い方を同列に語ること自体、大きな誤解があると私は思います。

国会の場で言うべきかどうかわかりませんけれども、言ってみればセックスにおいて単に精子を出すだけで、その後に起きうることに関して究極的に何ら責任を負わない男性と、セックスの先には妊娠出産という命がけの行為が控え、体の変化はもとより、それからの人生が大きく変わってしまう女性とでは、当然ながら性行為に対する捉え方が天と地ほど違うというのは当然のことだと私は思います。

従って女性にしてみれば一部例外の人は除いて、性行為というものはかなり限定的に消極的に行う行為であって、それにも関わらず中学生だって恋愛したら性行為をしたくなるはずなのだ、中学生と成人の間にも真摯な性的同意はあり得るのだという、女性にしてみれば顎が外れるような勝手な思い込みが男性側からもっともらしく発せられているのが悲しいかな現状だと思います。

強者と弱者、男性と女性で性的同意の認識が大きく異なるにも関わらず、今までその違いが共有されることもなくここに至り、その結果として一方が望まない性行為が往々にして発生し、多くの弱者や女性は深く傷つき、そして本来であれば、先ほどのような、罰せられるケースですら本人(被害者)の同意があったのであろうとして処罰されずにきました。今回の法律は、その意味において、ようやくそのような現状に対して重い腰を上げて、弱者を守るために、弱者の声なき声を拾い上げるために審議された法律だと私は思っています。

もちろん、人を処罰する刑罰ですから、権力性は曲げなければなりません。そして明確でなければならないと、そのようなことは当然踏まえながらも、この法律は性暴力にあっても声も上げられず、その暴力によって汚れたと自分を責め、その苦しみを乗り越えられずにいる多くの人たちの声なき声を代弁する法律であって、年長者や力や立場が強い者の、自己中心的な同意や思い込みに基づいて語られては断じてならない法律だと、私は強く確信しています。

最後の質疑になるこの場において長々とこの法律が持つ意味を語り続けるのは、国会においては、あなたか味わった苦しみを、少しでも理解しようとする者が集い、その犯罪による被害者を一人でも減らすよう、そしてもし不幸にも起きてしまっても、確実に加害者が処罰されるよう、そのことによって受けた苦しみは少しでも減じられ回復につながるよう、知恵を絞り問題点を改善すべく議論していた事実があることが苦しみを抱え一人で苦しむ人に伝わるときが来るよう、永遠に残るこの議事録にしっかりとその形跡とその意味を残しておきたいと思うからです。

今回の改正もまだまだ第一歩だと思います。改善点は多々あります。これからも歩みは続くと思いますけれども、それでもこの一歩が社会にとって大きな役割を果たすことを、立法者の一人として強く望みます。与野党のみなさん、この国会で必ず成立をさせるべきだと思いますしそのための最後までの努力をしなければならないと思います。どのような理由があってもこの改正案の成立が遅れることは、新たに地獄の苦しみを味わう被害者を生むのだということを心に留めて頑張りたいと思います。

そして法務省初め、関係する警察や裁判所行政府のみなさんには、この法律が成立した暁にはぜひ、弱き者の立場に立ってこの法律の主旨とするところを全うしていただきたいと心から望みます。

そして最後に、被害に遭いながらも声を上げてくださったみなさん、そしてその被害者たちを寝食を忘れて懸命に支えられた弁護士や支援者、研究者、執筆家のみなさま、中には、流れ星を見るたびに刑法改正、刑法改正と願いを込められた方もあると聞いています。様々な壁に拒まれながらも歩みを進めていただいたことに心から感謝申し上げたいと思いますし、本当にありがとうございました。ここまでたどり着くことができたのも、そういう方々の努力だと思っています。

いずれにせよ、今後も自分がどのような立場になろうとも、この問題にはライフワークとしてやってきましたので、しっかりと取り組んでいくということをお誓い申し上げて、私の最後の質疑を終わりたいと思います。以上です。

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