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撮影について

フェーズが変わると急に言葉が頭の中に浮かんでくるので、最近も今までも定期的に聞かれる撮影について・撮影依頼についての現在のスタンスをお話しておこうと思います🙇‍♂️

【被写体活動について】

私は高校一年生の秋から被写体として活動して6年が経ちます。
活動なんて仰々しい物ではなく、突き詰めるとただ単に好きだから続いています。

事情でアルバイトが出来なかったので生活の為に依頼料を頂いて活動していた時期もありました。
しかし、全てを経験した上で今は撮影には賃金を発生させたくないと考えています。
たくさんの理由がありますが、1番はドキドキしていたいからです。
賃金の発生=仕事=責任が生まれるの図が生まれざる得ない(というか、生まれていなくちゃ駄目)だからです。

最初にお伝えしておかなくちゃいけないと思いますが、私は有名になろうという意思がありません。
結果的に有名になってしまうなら致し方ないけど、なろうとしてなるならもっと努力をします。

究極、私は常に新しくてパチパチするドキドキを求めています。
それは人・自分・物・場所に限らず、いつまでも強制的に目を惹き付けられ、その場にいる物を押しのけても近付いてしまう不可抗力のときめきを求めています。
それはハレとケの「ハレ」の部分で、特別で、秘密で、最上は最上のまんまでいて欲しいのです。
エゴです。でも私はそれでいいと思っています。
そこに責任が発生すると途端にトキメキは言葉を選ばないと義務に変化します。
撮影会など、覚悟を決めている場合はそれでいいしそうあるべきなのです。
でも、常に撮影の度に金銭を頂いていたらそれは「ケ」と同等、平日の仕事と変わらなくなってしまいます。
そんなの私が嫌です。ずっとドキドキしていたいし、何故活動するのか?と突き詰めたら、いつか死ぬ時に1つだって後悔したくないからです。我儘だから。
私達の時間は有限です。
若さにも限りがあり、それを考えると一秒だって好き以外に割く時間はあまり残っていないのです。

私にロリィタ文化を教えてくれたのは母の存在でした。
母はクラシックロリィタを手に取って「もう少し若かったらもっと着られたのに」
と言っていました。
早くから母になった母は、もっと沢山の仕事を経験したかったと言っていました。
それでも私達を育てあげる中途、趣味のフラダンスの団体をつくりあげたり、ピアノ教室を始めたり、いつまでもいつまでもキラキラと、生き生きとしています。
母はずっと少女です。
きっと道端に美しい花があったら容赦なく詰んで、リビングに飾るでしょう。
もしカワイイで選んだペットが思ったのと違う行動をしたら容赦なく売るでしょう。
彼女はそういう人です。
我儘で自由で人情があって、ずっとずっと楽しいことに目を向けている。
すっごくキュートでかっこよくて、さみしい時もあったけれど今は彼女のような生き様に憧れます。

だから私は、誰かのための自分になんてなれないです。
有名になろうと意図する事は即ち、自我のどれかをひとつでも変形させなくては行けない気がするのです。
それは言い過ぎなのかもしれないし、もっと器用な人は上手くやりようがあると思います。
それでも私は、やっぱり私が好きな私でいたいし、いつだって平日以外はドキドキで溢れていたい。
初めてみる町、景色、人、物、特別は特別であって欲しい。
現実じゃない非現実は、いつだって夢を見ていたいし好きなフリルや服や、リボンを身にまとい好きな姿でいたい。誰にも責任を発生させたくないし合わせたくもない、そういう自由気ままで我儘なスタンスなのです。

なので撮影は現在無償で私から声を掛けて、もしくは同じようなスタンスの方から頂くスタイルが多いです。
勿論、賃金を発生させることによってWebや紙面に載せる際の配分が楽になったり、様々な用途、場合があると思いますのでそこはその都度、要相談だと思います。
その際は宜しくお願い致します。

被写体活動については以上です。
ただ、どうしても撮りたい!!!と言って下さる熱意を感じると私も嬉しいですし、お気軽にお問い合わせ下さると大変嬉しいです。

私が撮る場合の条件もゆくゆくは考えていこうと思いますのでその際はまた宜しくお願い致します。


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