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ベイベー

2023年5月が終わろうとしている。生きている以上、2023年5月が訪れることは二度とない。当たり前のことだ。例えばそれは2021年3月も、2007年10月も、はたまた1997年12月もそうだ。2021年3月も、2007年10月も、1997年12月も、2023年5月と同様に過ぎていった過去だ。タイムマシンが登場したとしても、そのときのいまを生きていることに変わりはない。180文字くらいを使って何も言っていないことを書いてしまった。

2023年4月に北海道に住んでいた祖母が亡くなった。昨年の夏、祖母の白寿のお祝いで会ったのが最後になってしまった。
小学生の頃から夏休み、冬休み、春休みと長い休みがある度に北海道へ遊びに行った。祖母の近所に住んでいた親戚のおじさんやおばさん、いとこたちは会社や学校で、ぼくは祖母の家で夏休みの宿題をしながらどさんこワイドを祖母とぼんやり眺めたりしてした。そんなような今まで思い出したこともないいくつものなんでもないことを思い出したりした。
高校を卒業して浪人しているころは電話口で、ぼくが大学へ行くまでは死ねないと言われ、晴れて大学へ入学したその年の夏に会いに行ったときは、ぼくが就職するまでは死ねないと言われ、なんとかギリギリ就職をしたその年の夏に会いに行ったときは、ぼくが結婚するまでは死ねないと言われた。「おばあちゃん、それは約束できない」と言ってそのときは笑いを誘ったものだが、現実になってしまった。
葬儀が終わり、告別式までの数時間、会場の待ち合い室でお酒を飲みながら親戚の人たちと話していたとき母親に、おばあちゃんの家にいっしょに行こうと誘われた。明日清掃業者が入るから好きなものがあったら持っていきなさいという理由で。いとこが車で送ってくれて、3人でおばあちゃん家に入った。
玄関のドアをあけると、いつものおばあちゃん家の光景とにおいがした。ぼくがまだ小さい頃はドアがあく音がすると、もうひとつ向こうの扉から「よくきたね」「しばらくぶりだね」と言って出迎えてくれた。ここ数年は足腰が非常に悪かったので、玄関まで出迎えてくれることはなかったが、玄関をあがって短い廊下を二、三歩歩いて扉をあけると、ストーブの横のいつもの場所に祖母がいて、「よくきたね」「しばらくぶりだね」といつものように言ってくれた。しかし扉をあけてストーブの横のいつもの場所に、当然のことながら祖母がいない光景を目の当たりにしたとき、死んじゃったんだ、と改めてわかった。葬儀のときにいた祖母は勿論祖母でしかないのだが、あまり現実的に受け止めることができなかったのか、ふわふわしたまま葬儀が終わってしまった。いつもいる場所にいないことでやっと現実に追いついた。追いついてしまった。
最後に祖母を笑わせたのは、昨年の夏の白寿のお祝いの席で、孫たちが会場に備えてあったカラオケで一曲ずつ歌わなくてはならない謎の流れになり、お祝いの席で盛り上がって尚且つぼくが歌える歌とはなんぞや…と熟考して辿り着いたのがウルフルズの「バンザイ!」だった。全身全霊で全力で歌った。「白寿ベイベー!!!!カモン!!!!」と叫ぶように歌いながらふと祖母の方に目線をやると、ハンカチで顔を覆うように涙を流して笑っていて、よかった…、と内心ホッとした。晩年は耳がかなり遠くなっていて、ぼくの声が聞こえていたかは謎だが、ぼくの動き込みの全力具合がおもしろかったのだなと推測する。ほんと、笑ってくれてよかった。
来週はもう四十九日だということだ。早いな。

今月は秩父に友部正人のライブを観に行ったりしてけっこう活発に動いていた。秩父に行くのはもう5回目くらいだろうか。もういくつか必ずマストで行く飲み屋さんや温泉があったりして楽しい。この前はいいパン屋さんをみつけた。

レコードを買ったり、飲みに行ったり、相変わらずだ。

秩父のオアシスことそば善にて。
実家のタンスに眠っていた高校三年生のときのクラスTシャツ。いきなり起こして申し訳ないので、そっとまたタンスに戻した。
中野サンプラザ前にて。
この日は最初で最後のボウリングに興じました。


2023年5月が終わろうとしている。生きている以上、2023年5月が訪れることは二度とない。当たり前のことだ。

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