見出し画像

ヴェロニカはそこにいる

アフターライフ社の提供する仮想空間内に再現された我が家の居間で、僕は妻のヴェロニカと向かい合って座っている。
「私、死んじゃったのね」
彼女は困惑した様子で呟いた。
「うん。階段から落ちて、頭を打ったんだ」
僕は死因を告げた。意外なほど平板な声だった。
「それで、今の私は死ぬどれくらい前の私なの?」
彼女の困惑の要因はそこにあるようだった。彼女は自分が死んだ瞬間を覚えていない。
「一日だよ。正確には三十一時間。スキャンを受けてから、その、事が起きるまで、それだけの時間が経っている」
とてもじゃないが"君が死ぬまで"なんて言えなかった。でもそれは彼女への思いやりからなんかではなかった。
彼女はますます困惑したようだった。スキャンを受けて、気が付いたら居間にいたのだから当然だろう。
「記憶喪失だと思えばいいんじゃないかな」
彼女は少し考えたあと、いくらか納得したようだった。
「誰だって、全部の記憶が思い出せるわけじゃないものね。それで、その三十一時間の間のことなんだけど……」
聞かれた瞬間、僕の現実の体はびくりと震えた。だがその動きは小さすぎて、仮想空間内の僕のアバターには反映されなかった。
答えようと口を開いたその時、視界の隅に滑り込むように通知が表示された。もう行く時間だ。
「すまないけど、これからカウンセラーとの面会があるんだ」
「カウンセラー?」
「アフターライフのサービスの一環だよ。残された人が、再現された人とうまくやっていけるように、何度か心理カウンセリングを受けなきゃならないんだ」
また来るよ、と言い残して僕はログアウトした。
僕の妻はここにいる。でも、死ぬまでの三十一時間分の彼女はここにはいない。

現実の居間に帰ってきた僕はソファに座ったままゆっくりと振り返った。
そこには二階への階段がある。
彼女の死んだ場所。
僕が彼女を殺した場所。
あの日から、僕はどこにいてもそこからの刺すような視線を感じている。

【続く】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?