刹那を有意義に過ごす(1)

雲が漂うように、 私は5年近く住んでいるホノルルの街を歩き回った。

若い頃は、その時その時の人生に忙しく、「人は生まれた限り死ぬ運命にある。」と言う、単純な事実さえ、稀にしか頭に浮かばなかった。

80歳を一年超えてしまった自分の心の中を覗くと、死という影が直ぐ近くでゆっくり踊っている事に気がついた。

もうどうにも誤魔化し様のない事実が、 まるで虫眼鏡に映し出された虫のように、巨大な姿を現していた。

ある意味では、この年齢まで何とか健康を保ち、5年前の退職時まで、言語を操る仕事を継続出来た事実に対しては、感謝の気持ちで一杯だ。

また、ユーチューブがあるお陰で、もちろん、暇な時間も有意義に過ごせる時代に生きている事に感謝している。 何とも有難い時代の到来だ。

とは言え、「自分の人生が終わりに近い。」事を、身体でつくづく感じるようになった事も紛れもない事実だ。 その事実と、良く睨めっこをしている自分がいる。

数年前の定期身体検査や検診で、 主治医に 思わず、「もう、いいです。」と私は呟いた。

意味は、近い将来、重病化した場合、無理な医療行為をする必要はありません。 「痛みだけ緩和するような医療行為だけで十分です。」いわゆる、本人がホスピス医療を希望している事を主治医に知らせておいたのだ。

そう、それが私の本心です。 日常的に無理なく生活ができる限り、 しかも自立した生活が可能な限り、喜んでこの地上での生活を満喫するつもりである。

人工的に最先端医療を駆使して、長々と命を長引かせるのは、私の希望ではないと言う事だ。 幸い、今のところ、名の付くような病気にはまだ冒されていないようだ。

広大な空を見上げて、雲の変化を見ているのが好きだ。  現代のように技術革新が早いと、人工的に命を長引かせることが可能になるが、 私は自分に与えられた無理のない自然な命だけで十分だと今は思う。

ハワイ大学で、南太平洋文化祭の一部として、バリ島の音楽と踊りを、夕陽が西に傾いた6時頃から即席野外劇場で楽しんだ。

場所確認の必要もあり、早めに行ったお陰で、特等席を確保する事ができた。

インドネシアには、残念ながら行った事はないし、行く予定もない。

でも、ほんの少しでも、南太平洋に位置する島の文化に、ほんの二時間程でも触れられた事は貴重な収穫だ。

ユーチューブによると、インドネシアは回教徒の国であるが、インドネシアの一部であるバリ島やジャバ島はヒンズー教徒が大半だと言う。

長い海洋交易の歴史的遺産らしい。 それ故に、バリ島の今回の出し物はヒンズ−教的色合いが濃かった。

バリ島楽器の合奏曲を聴きながら、演奏者の楽器を見ていて、気がついたら事が一つある。

日本のお寺や自宅の仏壇で良く使う小型の鈴(りん)が、バリ島音楽のリズムを合わせる音頭取り的役割を果たしていた。

また、バリ島の踊りではお面を被って踊る場合もあり、日本の能楽の場面がふと頭をよぎった。 

その上、 男子の踊り手の衣装の模様が日本の歌舞伎衣装的部分もあったのが興味深かった。

人生終盤に近い事は重々承知しているが、「生きると言う事の一部はありとあらゆることに興味を持つ事である。」と、自分勝手な解釈をしているので、興味深い出会いに感謝しながら、公演会が終了後、バスで帰宅した。


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