シルバニアに救われた話

これは、恨みごとではなく、人間の構造って不思議だなと感じた話なのですが、シルバニアに救われたことがあります。

シルバニアってあれです。シルバニアファミリー。可愛い動物たちが素敵な家で素敵な暮らしをしているという設定の、あの玩具。

詳しいことは知らないのですが、おそらく日本の、ドールハウスの走りなのではないでしょうか。

買ってみると分かるのですが、これがまたよく出来てる。キッチンの下の扉を開けるとちゃんと排水管がついていたり、トイレの蓋の上げ下げがちゃんと出来たり、なんというか嘘がない。

私は子どもの頃、これがとても欲しかったんだと思います。

思います、というのは、よく覚えていないから。

家庭によって、環境によって、どんな物が与えられるかはそれぞれですが、私は自分の親に誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも貰ったことがありません。

当然シルバニアだって買ってもらえない。

他の子は貰っているのに自分は貰えないというのは辛かったけど、だからどう、ということもないんですよ。うちの家はそういう家庭だったんです。そのことで恨むということもない。(自分たちのことしか考えられない人たちだからなあ、くらいは、大人になってから思いましたけど。)

ただ、体が大きくなり始めてから、大きくなって萎んでいく過程にある今も、私は小さな子どもが大の苦手でした。

どうしたらいいのか分からない。そこにいられると困るもの。扱いかねるもの。うるさいもの。可愛いと思わなきゃいけないもの。とにかくそばにいられると息苦しい存在でした。

子ども好きの姉に言わせると、まだお前が子どもだからだ、だそうです。

末っ子で、甘やかされて、だから子どもが嫌いなんだ。

そう言われてもね。じゃあどうすればいいんだよって話じゃありません?

仕事場のお客様にそのことを話すと、よく言われたのは「大丈夫よ、自分の子どもは可愛いから」。

たぶんそうなんだろうな。生めば変わるのかも。そんな話、よくエッセイで見ました。可愛くなければ放置するつもりだった、生まれたら自分は遊びまくる予定だった、でも実際に生まれたら可愛くて可愛くてどうしようもなくて、子どもに夢中になった。

私もそんな風になれるのかな。

だけど、とにかく前提として、子どもに嫌悪感があるんです。子どもが欲しいなんて思ったことは一度もないし、子どもが可愛いという人たちの笑顔を、よかったなあ、と目を細めて眺めることはあるけど、羨ましいとは毛筋も思わない。

そんな私に、子どもを好きになりたいならとにかく子どもを産んでみろって? 博打過ぎない??

まあそんなこんなでいい歳になりまして、ある程度自由になるお金も出来て、趣味につぎ込む金額が増えました。

私はオタクなので、二次元のキャラクターを好きになりがちなんですけど、ここまで読んでくださったそこの貴方、「ねんどろいど」というものをご存じでしょうか。

二次元や映画のキャラクターを2.5頭身くらいにした人形なんですけどね、それを買ったんです。

でもなんだか物足りなくて、背景が欲しくて、でも簡易な背景だと写真を撮るにはいいけど、欲しいのはそういうものじゃない。

どうせならちゃんとした部屋が欲しい。

そしたら、ねんどろいどの大きさにはシルバニアファミリーの家具がいいらしいよ、という情報をキャッチしまして、行きましたイオン。

まだあるんですねえ、シルバニアファミリー。棚の一面がシルバニアファミリー。息が長いシリーズだなあ、私の子どもの頃からあるよなあ、と感心しながら「これは欲しい」「あれも必要かな」とあれこれ取るうちに手で持てなくなって、しまいにはカートが必要になりました。

そう、手も足も出なかった子どもの頃とは違うんです。

なにせ今の私は大人! 赤い屋根の大きなお家も、おすすめバスルームセットも、せんたく機そうじ機も、冷蔵庫セットも、なんならベビーベッドセットだって買えちゃうんです!

大人すげー!! と自画自賛しながら会計をして、ひと抱えもある大きなお家をえっちらおっちら車に乗せて、自分の部屋で箱から取り出した時、

「あ、私いま、すっごい嬉しい」

と感じました。

そうだったそうだった。私シルバニアすっごく欲しかったんだっけ。忘れてた。

広げた家に家具を好きなように配置して、その家具の精巧さにいちいち感動して、カーテンを手作りして、ぺったりし過ぎたベッドカバーが気に入らず綿を入れた掛け布団を手縫いして、庭用に芝生に見えるマットを買って、まだ広い空間があるからグランドピアノも買って、渋く盆栽を置くのもいいな、屋根裏には物騒なものを置いても面白いかも、子どもたち用の椅子も必要、もっと家庭的な食事風景でもいいかも……。

おおよそ二ヶ月くらいでしょうか。時間も給料もつぎ込んでそんなことをしているうちに、赤い屋根の大きなお家には空き部屋がなくなりました。

素敵な、でも生活感のある、いいお家だなあ。

我ながらしみじみと満足してそれを眺めた瞬間、これは比喩ではなく本当に、ふっと気持ちが楽になったんです。

自分の中の子どもが成仏したというか。

ああ、満ち足りたんだな、って思った。

欲しくて欲しくて仕方がないものを、私手に入れたんだなって。

それから子どもが怖くなくなりました。

嘘だと思うでしょう。でも本当です。小さい子どもが来ても、ごく自然に受け入れられるようになった。

ぬいぐるみが好きな子とはぬいぐるみを使って遊び、自分のお人形にミルクをあげている子には「その子お名前あるの?」と訊いている。

当たり前の風景に見えるかもしれないけど、ほんのちょっと前の私には、とても出来なかったこと。共感をもって、慈しみをもって、子どものすることを眺めること。それがごく自然に出来ている。

こういうのたぶんね、心理療法とか、そういうのを詳しく調べたら、名前があると思うんですよ。難しい漢字を使ったなんとかかんとか療法っていうの。

ただ私は、自分に必要なそのなんとかかんとか療法にシルバニアが必要だなんて夢にも思っていなかったし、ねんどろいどに導かれていなければたぶん手に取ることもなかった。

人は突然救われることがあるし、なにに救われるか分からないものだなあ、と感心したっていう話でした。

大人になったら子どもの頃の自分を、泣いて喜ばせてあげることも必要なんですね。

 

(正式タイトル「ねんどろいどに導かれシルバニアに救われた話」)

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