サンタクロースのドッキリとAromantic

 年末、TVで芸能人がドッキリを仕掛けるバラエティ番組を観ていた。

モテる(ということになっている)芸能人が変装したり、夫と親しいという設定にしたりして、ターゲットの学校や自宅を訪れて、きゃあきゃあ言われるというドッキリで、いちいちナレーションが「黄色い声」とか言っててセクハラとしか思えないのだが、人が観ているので仕方なく私も観ていた。“一般人” が芸能人に遭遇したらきゃあきゃあ言うものだというお約束をまもってあげる高校生たちはやさしい。

 「ソリは空に浮かないと思うからサンタクロースは絶対にいない」という意見の少年にサンタクロースを信じさせるため、クリスマスの晩に男性俳優がサンタクロースに扮して現れるというエピソードがあった。なぜこの少年にサンタクロースを信じさせたいのだろう。ソリは物理的に空に浮く可能性は低いし、こどもからそういう意見が出てきたら、私なら、飛行機が空に浮くのは何故か、どのようなソリなら空に浮くか、一緒に調べるだろう。楽しい話題だ。ソリを冬の夜空に飛ばすには、トナカイは何頭必要だろうか。

なぜサンタクロースが子どもにプレゼントを贈るのが楽しい嘘として演出されるのか。子どもの中に純粋さを見出したいのだろうか。そういえば「もっと子どもらしくしろ」と子どもの頃言われていたけど、子どもらしい純粋さというのも謎概念だ。サンタクロースは、サンタクロースを信じるこどもによって、大人に、夢を与えている。そんなことを思いながらトイレに行った。(きめぇ…)

 ところで、私は「恋愛」もこどもの純粋さを大人が楽しむためのドッキリだと思っていた。大人にだけ訪れる正体不明のキラキラした感情で、プレゼントがもらえて、色々な決まりを破っても許されるらしい。心中とかまで正当化されるので、結構危険なドッキリだ。

Aセクシュアルの人の性嫌悪もなかなか生きにくそうだが、恋愛嫌悪もおおっぴらに語りにくい。Aロマンティックであることは私にとっては楽なことだけど、ときどき起きるネガティブな感情を無害化する方法が少なすぎる。10代の頃、同性の友人がいなかった。女の子たちが修学旅行でガールズトークをするように、私もAro’s トークがしたかった。そんなことを思いながら、ヒゲのおじさんのラベルの茶色の液体を4リットル背負って帰る。