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猫様

猫が触れる生き物だと初めて知ったのは中学生のときだ。

それまでは、グッピーとか金魚みたいな、基本的にふれあい無しの観賞用の生き物だと思っていた。猫飼いの人やそうでない人も「は?」と思うかもしれないが、マジでそう思っていた。
もちろん、テレビで猫ちゃんが人間の膝にごろにゃんと乗っている映像も目にしたことはあったが、あれはあくまでテレビの中の出来事だし、かつテレビに出られるレベルの貴重さをもつ触れる猫なのだと思っていた。サーカスのライオン的な。実際、日常的にテレビで見ているアイドルなどでも、「初めてライブに行ったら、本当にいたんだ!って感動した!」という感想を聞いたりしないだろうか。あの感覚である。自分のリアルに地続きになっていなかった。

リアルな猫自体はもちろん見たことがあった。ど田舎育ちなので気ままな野良猫や飼っているのかいないのか曖昧な半野良の猫とそのへんでエンカウントすることもあった。(けれど彼らは目があえばすぐに姿勢を低くして警戒態勢をとり、ピャッと逃げ去る。触れる気配なんてない)

なにより我が家でも猫は飼っていたのである。

いつから飼いはじめたかはもう覚えていないが、私の幼少期、我が家には猫がいた。だがその飼い方も、今となってはちゃんとした猫飼いの人からしたら怒られるような田舎独特の雑な飼い方だったため(当然のごとく外飼い、普段はどこをふらついているのかわからずご飯の時間だけ帰ってくる、ご飯は当然のごとく人間のご飯の残り物。当時は猫を飼っている近所の家も全部こんな感じだった)まったく懐いていなかったのである。家周辺で鉢合わせても基本的には遠巻きに見てくるだけだし、たまに近くに寄ってきても、1メートル範囲からうちには入ってこない。触ろうと手でも伸ばせば逆にとびかかりシャッッッと引っ搔いてきた。肉球の感触などその攻防戦のなかで「今さわった気がする!肉球さわった気がする!」とかそんなもんであった。毛並みに触れるのはまだ難易度が低かったが、彼がごはんを食べている時に慎重に近づいてさわっと触れて、彼が振り向くと同時にすぐ離れるというヒット&アウェイ形式であった。

そんな彼も半野良猫の多くと同じように、家に戻ってくる頻度が少なくなり、そのうち戻ってこなくなった。私が小学生の低学年くらいの時だったか。フレンドリーな付き合いは少なかったが、それはそれで寂しかったのを覚えている。きっと、もっと大事にしてもらえる家に居ついて幸せに飼われてるのさと想像をしていた。

そして時は流れ私は中学生になり、アパートに住んでいる友達の家に初めて遊びにいったある日。
こたつ布団のあたりにもっふりと何かがいた。猫様である。
家のなかに猫がいるのをリアルで目撃したのも初めてだったので、それがまず最初の衝撃だった。父さん、室内飼いは本当にあったんだ!
そしてさらに友達はこたつに入るために猫を抱き上げてどかした。

猫って抱けんだ?

第二波の衝撃である。うちにいた猫でそんなことをすれば確実に顔面をヤられてたぞ。テレビでしか見たことのない光景が目の前で繰り広げられていた。
抵抗するでもなくおとなしくもっちりと抱き上げられた猫は、こたつの4つの面のうち人間二人に占領されていない別の面にまた落ち着いた。私が友達と向かい合わせに座っていたため、ちょうど中間の面である。こたつの中まではいるわけでもなく、こたつ布団越しに伝わってくる暖かさがちょうどよいらしく、ふとんに寄り添い丸くなって目を閉じている。

猫ってこんな近くで寝んだ?

第三波きました。うちにいた猫がこんな至近距離で寝ている姿は記憶なかった。しかも片方は飼い主とはいえ、もう片方は初対面の人間である。そんな人間の近くで寝ていいのかお前。
そしてなによりすごくかわいい。
初めてみる至近距離にゃんこの衝撃とかわいらしさに、私は思わず友達に交渉した。

「さ…触ってもいいですかね…?」
「え?いいよ」

なぜか敬語である。飼い主である友達だけでなく猫様にも聞いたつもりだった。
猫様のほうはわからないが、飼い主の許しがでたのでおそるおそる手をのばす。あんまり上から手をだすと怖がられるらしいので、低めの位置から接触を試みる。脳内ではもう次の瞬間にはシャッッッというお怒りの声とツメの応酬が飛んでくるイメージが止まらず、とんでもない緊張感だった。

ふさぁ…。

優しい感触が指先に触れた。シャッッッはこなかった。猫様は相変わらずおとなしく丸くなっている。触れた先からそっと手のひらを猫様の背におろしてみると、じんわりとしたぬくもりが伝わってきた。

猫って触れんだ………?

これは衝撃というかもう、神に許されたような気分だった。触れることは許されない孤高の獣に触れることを許された的な。自ら触れることを願ったのに怯えを捨て去れない愚民を許して受け入れてくださった的な。何を言ってんだ。

「ありがとうございました…」

友達と、そして猫様にも敬語で感謝を述べ、私ははじめての猫様もふもふ体験を終えたのだった。

そして現在、私はチャンスができるたびに猫カフェに通っている。はじめて猫カフェに訪れた際にはまだ猫様に対する怯えが抜け切れておらず、シャッッッを恐れて震えながら触れようと試みていたが、同じ時間に猫カフェに居合わせた猫飼いのお客さんに触り方をレクチャーしていただいたりもして、(あのときの猫飼いのお姉さま、「なんでそんなに怯えているのに猫カフェに来てしまったんですか」「なんででしょうね」という訳のわからない会話すみませんでした)いまは少なくとも行きつけの猫カフェの猫様たちとは和やかに触れ合えている。憧れの肉球もふにふにと触らせていただいたし、最近では結構な打率で膝に乗っていただけるようになった。膝から伝わるぬくもり。たまらん。

 だがその膝に乗ってきてくれる猫様はかなりのツンデレなのか、人間=暖房器具としか見ていないのか、膝に乗ってくれている状態でもふもふの背中を撫でようとすると、これまた結構な打率でシャッッッされる。

 もしやシャッッッはどこまで仲良くなっても食らうものなのでは…と気づきはじめました。そんなグレーさんです、どうもでした。