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友情・上

人生で一番友情を感じた瞬間ってなんでしたか。

どうもグレーさんです。

ここまで何本かの記事がずっとシチュエーションCD絡みで読者置いてけぼり感が半端なかったのは自覚してるんだ。都合のいい言い訳ですが「忙しくて」記事も更新できてなかったしね。そんなわけで久しぶりに個人的な思い出の話でもしようかと思います。

それぞれ別の友人、時間軸の話ですが、私が人生で最も『友のありがたみ』を感じたお話です。豪華二本立て。最もって言いながら二つある。今回はまずその一本目。遠方に住む友のお話です。

彼女は四国に住んでいる、夏希さんというインターネット上で知り合った絵描き友達だった。ちなみに私は東北住み。距離はめちゃくちゃ離れてはいるものの、絵を描いているときによく作業通話をして、たまに遠出して東京で遊んだりもした。仲の良い友人だった。

いまから数年前、そんな彼女と京都旅行を計画した。楽しい女子旅である。ちょっと奮発していい宿を予約し、巡りたい寺院や観光地などを調べてキャッキャウフフと旅行の日を心待ちにしていた。もちろん私自身も。

毎日ロキソニンを飲みながら。

当時の私は、日々悪化していく自分の体調から目を逸らし続けていた。食欲がわかず、午後から夜にかけての震えるほどの熱の悪寒、全身のだるさ…その他も諸々。明らかに健康とは程遠い状態だった。(あっ持病も人には感染しないやつだから今まで私に会った人も心配しないでね!体大事にな!)

持病のせいなのはわかっていた。わかっていたが、その当時よりさらに前、持病のせいで長期の入院や手術を何度も経験していた私は、束の間に掴んだ自由を手放したくなくて解熱剤を飲みながら仕事(当時は会社勤め)を続けていたのである。病を経験すると健康な生活のありがたみがわかるというが、ありがたすぎてしがみついてしまっていたのだ。解熱剤を飲めばまあ仕事ができる。仕事ができるなら遊びにもいける。そうやって自分の体を騙し騙し暮らしていた。

で、まあ御察しのとおり、騙しきれなくなって倒れた。
週末、「お疲れ様です、また月曜日にー」なんて気楽に職場の同僚に挨拶をしていたはずなのに、次の月曜日には病院のベッドに横たわっていた。

夏希さんとの旅行の、一ヶ月くらい前だったか。
突然たのしい夢から覚めさせられたような、日常生活からの断絶が辛すぎてずっと泣いていた。病室の窓から見える晴れ渡った空と町並みが、ひとり切り離されたような孤独感を倍増させた。持病が悪化しすぎて倒れた際にでた症状は、過去に症例がないものだった。点滴や手術ですぐ治るようなものではなくなっていた。
悪化から目を逸らした己の自業自得とはいえ、薬もちゃんと飲み続けて、通院もきちんとしていたのに、「一体じぶんが何をしたというんだ」という考えが巡り、泣き続けた。

それでも外の世界の日常は進んでいく。会社に目途の立たない休みになると連絡を入れ、事務手続きの説明を聞き、絵のほうでの繋がりのある友人や関係者へ連絡をいれ…夏希さんに京都旅行に行けなくなったことを泣きながら謝った。

「いいよ気にすんな!よくなったらまた行けばいいんだから!いまは自分の体を治すことに専念しよう!」

そう言って彼女は励ましてくれた。観光地をネットで調べて、行きたいお店の話やお寺の話で盛り上がった通話を思い出して余計に泣いた。夏希さんへの連絡のあと、予約していた京都の宿をキャンセルしたとき、完全に京都旅行計画は消え去ったのである。

それからおおよそ2日後。(おおよそなのは正直この頃の記憶が辛すぎて脳みそが無意識に記憶を薄くしてしまっているのである。ごめんね。)

病室のベッドに座り、私は相変わらずひたすら泣いては放心するということを繰り返していた。もう大丈夫、いい加減に前向きにならねばと思っては頭に後悔や疑問や憤りや辛さが溢れかえってまた泣くというループにどハマっていたのである。

その日の午後はベッドに腰かけて眺めている窓の外で、通り雨が降り出した。陽の光が雲の切れ間から漏れ出しながらも、ザーッと勢いよく雨が降りそそぐ。それを泣きはらした目とこの世の終わりのようなツラで眺めていたときだった。

ガラッと病室の扉が開いた。振り返ると、

「よう、雨宿りにきたぜ」

笑顔で夏希さんが立っていたのである。

四国から遠く東北の福島県まで1000キロ近くある。それを連絡を入れてからたった2日後に大移動して会いにきてくれたのである。

盛ってると思うだろ?これマジだからね。台詞も原文ママだよ。

男気が溢れすぎている。全米が泣くわ! もちろん私も泣いたわ!夏希さんに抱きついて子供のように泣いた。夏希さんが男だったら惚れていた。もしくは私が男だったら抱かれていた。ん?いや違うか…まあいいか。

べそべそと汚い泣き顔を晒しながら夏希さんに感謝した。連絡をいれた人みんなが励ましや慰めの言葉をくれてはいたが、申し訳ないが頭のなかにそんなものは沁み込んでこなかった。孤独でいっぱいだった。そんななかで家族以外で誰よりも早く駆け付け、抱きしめてくれた夏希さんの男気とぬくもりにはとても救われた。

しかも彼女は、私の見舞いが終わったらすぐに日帰りで四国に戻ると言った。本当にたった数時間、私に会うためだけに1000キロの道のりを超えて来てくれたのである。普通そんなんできひんやん…。半端ないって…。

そして現在。持病も当時に比べたらかなり良くなった。しかし治療の過程で色々失ったものがあったり、制約ができてしまった。正直、自分の面倒を見ることで精いっぱいである。それでもいつか、彼女にあのときの心を救ってくれた恩を返すまでは死ねないと思っている。あと京都旅行リベンジも。

ありがとう夏希さん。あと今度の同人誌タイトル「カルデアおっぱいパーリナイ」ってマジ?